ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

♬イチゴの季節になると思い出すのは、…「苺の季節」(堺正章)という歌

2023-06-01 21:33:35 | うた

わが家の庭に、イチゴが実る季節となった。

以前住んでいた家から苗を少し持ってきただけだったから、実ったら食べようなんて思いはあまりなかったのである。

それが、昨日の記事ではないが、野生化するように自分が生きていけるようにとランナーを伸ばし伸ばし、広がって行った。

その結果、今、毎日20個くらいの小さなイチゴが取れる。

以前書いたことがあったと思うが、すっぱいイチゴである。

 

 

イチゴの季節になったなあ…と思う。

イチゴの季節、といえば、昔学生の頃、堺正章が「苺の季節」という歌を歌っていたことを思い出した。

 

君がかわいい男の子をつれ

街を歩いているのを見ました

横にいたのが旦那さんでしょう

ペアのセーター似合っていました

 

こんな歌詞で始まる歌だ。

あの頃特有の、少し前の恋人との思い出を歌う歌である。

昔の恋人が、親子連れとなっている姿を見かけたわけだ。

だが、一番の、この先の歌詞は記憶に残っていない。

なのに、2番の歌詞は、どういうわけかよく記憶している。

 

苺の季節になると思い出すのは

二階の窓辺のちいさな鉢植え

君が花屋で買ってきたんだったね

青い苺がたくさんついてた

いつか真っ赤になったなら 二人で食べようねと言った

けれど別れの時が来て 苺は枯れたね

君を愛したわずかな月日も 青い葉っぱのままで枯れたよ

君を愛したわずかな月日も 青い葉っぱのままで枯れたよ

 

イチゴの季節だなあと思うと、「苺の季節になると思い出すのは…」と、この歌の2番のフレーズが思い浮かんでくるのだから、不思議なものだ。

40年以上たってもだいたい思い出せるのは、あの頃よく聞いていたからだろう。

そんなにヒットした歌でもなかったのだが、自分としては気に入っていたということだろう。

 

改めて調べてみると、この歌詞の作詞者は、喜多条忠。

あのかぐや姫の「神田川」や「赤ちょうちん」の作詞者だった人だ。

「苺の季節」にも、「神田川」や「赤ちょうちん」と通じる若者の悲恋、別れが描かれていたのだ。

不安定な心、将来への不安、…若者ゆえだった。

この歌の底辺に流れる哀しさが、自分は好きだったのだろうなあ…。

イチゴだけにすっぱい青春ということかな。

 

コメント (2)
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