実業家大倉喜八郎は、1837年現在の新発田市に生まれた。
彼は17歳で江戸に出て、商才を発揮。
明治・大正期に貿易、建設、化学、製鉄、繊維、食品などの企業を数多く興した。
大倉財閥の設立者であり、渋沢栄一らと共に、鹿鳴館、帝国ホテル、帝国劇場などを設立した。
1900年に設立した大倉商業学校は、東京経済大学の前身である。
その大倉喜八郎別邸の蔵春閣が、新発田の東公園に移築された。
もともとこの東公園も、彼が大正初期に当時の新発田町に寄贈してできたものだそうだ。
蔵春閣は、東京・向島の別邸の一部として、1912年に建設された。
渋沢栄一ら政財界の大物や海外の賓客をもてなす「迎賓館」としての役割を担っていた。
その建物が、大倉文化財団から新発田市に寄贈され、移築されたというわけである。
移築工事が終了して、4月から6月いっぱいまで無料開放するというので、遅まきながらその期間が終わらないうちにと、行ってきた。
フラッシュを光らせなければ、写真撮影も可ということなので、ありがたい。
玄関から入る。
まず正面に食堂。
広めの階段を上がり、2階へ。
2階の広縁。
東京にあったときは窓の外が隅田川であり、椅子を並べて食後の喫茶スペースとして、利用したそうだ。
今は、向かいの諏訪神社がよく見える。
駅前のホテルも。
床は、大理石モザイク張り。
描かれている都鳥は、オスとメスがあるのだとか。
桜がモチーフ。
2階の大広間は、33畳の畳敷き。
天井は、八角形と四角形の組み合わせによる格天井。
水晶のシャンデリアは、新築祝いにドイツ高官から贈られた。
月見台。
椅子に腰かけ、ウイスキーを片手に月見を楽しんだのだとか。
なるほどなあ。
迎賓館と言えば、今NHKの朝ドラ「らんまん」でも、「高藤様」のダンスパーティーなどが描かれ、明治初期の西欧化の様子が描かれていたが、ここでもその雰囲気のいくらかが味わえた。
大倉喜八郎がなくなったのは、1928年(昭和3年)である。
私にしてみれば、亡父が生誕した年である。
100年近く前の建物が保存され、今の時代にこうして移築されて公開されているとは。
改めて現代の技術はすごいものだなと思った。
また、こんな別邸を建て、あまりにも多くの業績がある大倉喜八郎について、もっと知りたいというか知る必要があるとも感じたのであった。