夏季休暇を利用して、家族で京都・奈良に行って来た。
今年は、平城京遷都1300年祭。
「せんとくん」に会いに行こう!
という単純な動機付けがきいてか、今や20代真っ盛りの娘・息子たちも、珍しく我々夫婦に同行した。
運転に自信のある娘は、高速走行に大いに役立った。
息子は?「運転?パス!」であったが。
向こうへ行くと、意識しなくても、見るもの会うものに歴史を感じた。
平城京遷都は、「なんと 大きな平城京」で覚えた710年。
ついでに、平安京遷都は、「なくよ うぐいす 平安京」で794年。
今思うと、どちらも8世紀のできごとなのだ。
奈良時代は、84年しかなかったのか!?と改めて認識したしだいである。
それなのに、受験生時代(遠い!)は、覚えるだけで必死であった。
「古事記」・「風土記」編纂、「日本書紀」撰上、三世一身の法、聖武天皇、長屋王の変、薬師寺東塔、興福寺五重塔建立、国分寺建立の詔、墾田永年私財法、盧舎那大仏造立の詔、 行基、日光・月光菩薩像、「懐風藻」、鑑真和上来日、唐招提寺金堂、講堂、正倉院、養老律令、長岡京遷都、薬師如来像…。
84年と言うと、今では、人1人の一生分でしかない。
平城京歴史館では、新しい都への期待や遣唐使の苦悩なども知ることができたが、今の時代とは違う「一生懸命学ぶ姿勢」を知ることができたような気がする。
遣隋使・遣唐使に代表されるように、遠い異国から優れた文化を吸収しようとしたこと。
律令制など国の制度を整えようとしたこと。
仏教の教えがさらに広められようとしたこと。
和歌などで自分の思いを表現しようとしていたこと。
その時代の熱気のようなものを感じてしまった。
今、人生80年の時代。
80年余だった奈良時代。
時代自体が、一人の人間の人生のように、生き生きと生まれ成熟しやがて活気を失っていったようにも感じたのである。
今年は、平城京遷都1300年祭。
「せんとくん」に会いに行こう!
という単純な動機付けがきいてか、今や20代真っ盛りの娘・息子たちも、珍しく我々夫婦に同行した。
運転に自信のある娘は、高速走行に大いに役立った。
息子は?「運転?パス!」であったが。
向こうへ行くと、意識しなくても、見るもの会うものに歴史を感じた。
平城京遷都は、「なんと 大きな平城京」で覚えた710年。
ついでに、平安京遷都は、「なくよ うぐいす 平安京」で794年。
今思うと、どちらも8世紀のできごとなのだ。
奈良時代は、84年しかなかったのか!?と改めて認識したしだいである。
それなのに、受験生時代(遠い!)は、覚えるだけで必死であった。
「古事記」・「風土記」編纂、「日本書紀」撰上、三世一身の法、聖武天皇、長屋王の変、薬師寺東塔、興福寺五重塔建立、国分寺建立の詔、墾田永年私財法、盧舎那大仏造立の詔、 行基、日光・月光菩薩像、「懐風藻」、鑑真和上来日、唐招提寺金堂、講堂、正倉院、養老律令、長岡京遷都、薬師如来像…。
84年と言うと、今では、人1人の一生分でしかない。
平城京歴史館では、新しい都への期待や遣唐使の苦悩なども知ることができたが、今の時代とは違う「一生懸命学ぶ姿勢」を知ることができたような気がする。
遣隋使・遣唐使に代表されるように、遠い異国から優れた文化を吸収しようとしたこと。
律令制など国の制度を整えようとしたこと。
仏教の教えがさらに広められようとしたこと。
和歌などで自分の思いを表現しようとしていたこと。
その時代の熱気のようなものを感じてしまった。
今、人生80年の時代。
80年余だった奈良時代。
時代自体が、一人の人間の人生のように、生き生きと生まれ成熟しやがて活気を失っていったようにも感じたのである。