「日本の原風景」
へえ~。
絵本作家の安野光雅氏が、日本の原風景に関する画文集を出していたのか。
借りてみようかな。
じゃあ、もう1冊「原風景のなかへ」という本もあるから、これも借りよう。
…と、図書館から2冊を一緒に借りてきた。
2冊の出版社が、山川出版社というのも、へえ~と思った。
山川出版社といえば、高校時代の世界史や日本史の教科書や歴史資料集の会社だった。
懐かしいなあ、世界史の学習は楽しかったし、好きだったなあ…。
そんなことに気を取られて、内容をあまりよく見ずに借りてきて、ちょっと失敗。
何が失敗かというと、実はこの2冊、タイトルが違うだけで、同じ文章と同じ絵が載っている本だったのである。
つまり、書名とスタイルを変えて出されただけだったのである。
「日本の原風景」は絵本タイプ、「原風景のなかへ」は単行本タイプでの出版だったのだ。
表氏の絵も違っていたから、気づかなかった。
まあ、それはいいことにしよう。
この本は、安野氏が「原風景」というテーマを与えられ、日本各地を巡って描いた画文集である。
描かれた絵、土地の数は34である。
それらの中には、私も旅して行った土地もいくつかあった。
熊本・阿蘇山、京都・寂光院、千葉・佐原、犬吠埼、茨城・筑波山、山形・最上川、奈良・明日香村ほか…。
それらの、知っている地名が出てくるのは、非常に懐かしいものがある。
読みえ終えて、内容として特に気持ちが一致したように思えたのは、「昭和の面影」について書かれた、千葉県佐原市の街並みについて書かれたものである。
そこには、正確な日本地図を描いた伊能忠敬の旧宅や記念館があったので思い出に残っているが、私には街並みも印象深い。
佐原の風景について、安野氏は次のように書いていた。
佐原の町並みを写した写真を見たのがきっかけで、この町へまた来た。前に来たとき、時計屋さんが置時計を修繕するのを見た。今回その時計屋さんもなくなっていたが、旧式の郵便ポストや荒物屋さんの店先などにこころをひかれた。自分が年とったということもあるが、町並みが昭和初期の面影を温存し、わたしが子どもだったころの町を惜しみなく見せてくれているからである。
ここに、「原風景」と感じる要素がしっかり表現されていると感じた。
かつて、自分が見てきた風景。
それを懐かしいと感じる風景。
そして、時間の経過とともになくなろうとしているものがある風景。
ものだけではなく、ここで書かれていた時計屋さんのように、人も…。
あくまで自分が懐かしいと感じるものだから、こうして安野氏と同じ思いになるものもあれば、そこは自分と違うなと思うものもあった。
原風景らしいものが失われていくとすれば、それを変えていくのは人の営みだと思う。
元のままの風景が残っていれば、原風景だといって懐かしむ人もいるが、風景は、そこに手を加えたり逆に放置したりすることによって変わって来る。
人が、風景を変えていっているのだ。
そんなことを思いながら、読み進んでいったら、あとがきに次の文があった。
いままさに、原風景は失われようとしている。それも加速度をましているように思う。風景を大切に思うのは、ほんとうは罪滅ぼしの感覚ではない。たとえ貧しくても、自然の風景の中に住んでさえいれば、そこは本当に安住の地なのであることを、(後悔と共に)早く気がついた方がいいのにと思っている。
「自然の風景の中に住んでさえいれば、そこは本当に安住の地」
そう。きっと誰にとっても、安心できる土地、原風景はあるのだろうなあ。