ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

毎日収穫できる野菜があるのは、うれしい

2017-08-21 22:18:23 | 草木花
すっきりしない天気が続くせいで、野菜の育ちが悪く、例年より高価になっているという。
そんな状況下だが、今年も家で野菜を育てていて助かったなあといえる。

その野菜の代表格は、この花が咲く野菜。

おっと正確に言うと、そちらは雄花。
食べられるのは、こちらの雌花。

そう、キュウリ。

今年は、初めて2本の苗を植えてみた。
当初の実り方は、今一つだったが、ここに来ておよそ1日1本の収穫があるのは、うれしい。


ちなみに、キュウリと一緒に写っているのは、水菜。

【4月の水菜の菜の花】
春に、菜の花となって咲いた後、落とした種から発芽して、またとても立派な葉を伸ばして、しっかりした水菜となった。

そんなことで、キュウリと水菜は毎日ありがたくいただけている、わが家の野菜事情である。
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休み休み、20㎞を走る

2017-08-20 20:28:12 | RUN
夕方近くなった4時過ぎ。
気温も30℃はないだろうと思い、走りに出た。

日陰の多い目指す自然公園までは、3km強。
そこまでの日射しは結構暑かった。
今日の目標は、1kmを6分前後でコンスタントに20km走ること。
熱中症で倒れたりしてもいけないので、5km走ったところで、公園内備え付けの水道で水を飲み、ひと休み。
少し心拍が落ち着いてから、また走り出した。

1周が約1.5kmなので、2周ごとに水を飲み、小休憩を入れた。
歳も60歳なのだから、このくらい体をいたわらなくては。

8kmでは、1kmに6分23秒もかかってしまった。
だけど、この辺から体が慣れてきて、再び1km6分前後で走れるようになった。

合計4回休みを入れ、そのたびに塩飴を1個なめた。
汗びっしょりになりながら、家に戻り、ちょうど20kmになるように距離を調節。
すると、走っていた時間は、2時間00分11秒。
おお、だいたい平均1km6分ちょうどくらいで走れたことになるぞ。
(4回の休みは時間に入れてなかったけど…。)

家で、体重を測ってみると、さすがに大量の汗をかいただけのことはある。
70.4㎏。
これは、20代以来の30数年ぶりの最小値なのであった。
距離を走るようになったら、やせるものだなあ…。
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新潟、仙台に屈辱の逆転負け~最下位独走状態に

2017-08-19 22:52:01 | アルビレックス新潟

81分まで勝っていたのに。
なぜ逆転負けしなくてはならないのか!?
サポーターのはらわたが煮えくり返るような、屈辱の逆転負け。

仙台戦は、5月のアウエー戦でも、1-2の逆転負けだった。
そこから、3か月間勝利がない。
弱いから負ける。
それだけではないような気がする。
弱い点はどこなのか?
前半を終えて1-0で勝っていたのだから、そのままいけばいいのに、後半になったらやけに引き気味になって、相手をよみがえらせてしまった。
おまけに、仙台が5月の試合で逆転の2ゴールをたたき込んだクリスランを登場させると、それまで攻守によく働いていたDFの堀米をソン・ジュフンに交代させた。
それが全くの裏目。
すぐに、同点にされたのは、ソンがゴールを決めた選手にいとも簡単に振り切られたから。
ゴール前で相手の動きを予測できないとは、どういうことか。
それまでの堀米選手の動きがよかっただけに、その緩慢さは目立った。
守備の選手なのに…。

そして、お決まりのように、相手の逆転へのシナリオが出来上がる。
ゴール前でシュートを打たれると、味方に当たってコースが変わり、決勝点を奪われた。
これら2本のシュート以外、危ない場面はまったくなかった。
シュート数だって、こちら11本、仙台6本だぞ。
なのに、どうして負ける?

17位の広島は勝利して、勝ち点を18にした。
新潟の持つ勝ち点は9だ。
倍の差になった。
勝てそうな試合を簡単に落とす。
転がり落ちる石は、勢いを増してしまった。
最下位独走状態となった。


それでも、Nスタンドのサポーターたちは、負けて挨拶に来る選手たちに悪たれをつかず、「アルービレックス」のコールで送っていた。
まったくすごい人たちだと思う。

私?
私も声は出したけど、今日は拍手では迎えられなかった。
帰りの車では相当落ち込んでいた。
そして、今こうしてぼやきを書いている。

三浦前監督は、1勝2引き分け8敗。
現呂比須監督は、1勝1引き分け10敗。
うーん……………。
いいのか?これで。
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イネの花が咲いている

2017-08-18 22:18:30 | 草木花
先日、娘の日課のように、散歩に出かけた。
いつも歩いているのと違う道を通ったら、田んぼがあった。
田んぼで育てているのは、もちろんイネ。
イネから穂が出てきた穂が伸びたなあと思った。
よく見ると、白い花を咲かせていた。

イネの花は、おしべの花粉を風で飛ばす風媒花だと聞いたことがあったなあ。
そんなことを思い出しながら、田んぼの一角を歩いた。
もうひと月もすれば、黄金色に実る稲穂が見られることだろう。
日照時間が短いといわれるこの夏だが、豊穣の秋であってほしいと思う。
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大井監督最後の夏の甲子園、2回戦で惜敗

2017-08-17 21:07:58 | スポーツ
まったく、惜しい試合だった。
夏の甲子園2回戦、新潟県代表日本文理、1点に泣く。
仙台育英に0-1で敗れた。

たった1点すら取れずに、敗れる。
どこかのサッカーチームなら、去年も今年も、見慣れた風景になってしまったが…。
いくら新潟の代表だからって、真似しなくてもいいじゃないか…。

失点のシーン。
一死一、三塁のピンチで、サードゴロをさばいた三塁手が、併殺を企図して二塁に投げずに本塁へ投げていれば、1点を取られることはなかった。
ほんの一つの判断ミスが、結局勝敗の分岐点となった。
それでも、三塁手を責めることはできない。
その後は、再三の好守で失点を防いだ守備陣であった。
一死三塁のピンチにも点をやらない、よい守りであった。
ただ、それを上回る、相手校仙台育英の守備であった。
外野手のダイビングキャッチや、内野手の好フィールディングに、得点を阻まれた。
互角の試合であり、本塁打が乱れ飛ぶ大会の中で、2回戦最後のこの試合が大会初めての0-1の僅差の完封試合となった。

この敗戦が、75歳の大井監督、最後の指揮となった。
大井監督に引導を渡す形になったこの試合、相手の仙台育英の監督は、奇しくも、大井監督の大学の後輩となる、早稲田大学出身の57歳の佐々木監督であった。

日本文理が準優勝した2009年まで、新潟県の高校の最高成績は、ベスト8が1回あっただけであった。
それが、あの9回表2死ランナーなしから奇跡の追い上げを見せた準優勝や、3年前のエース飯塚を擁してのベスト4進出など、目覚ましい活躍を見せるようになった。
その時の新潟県代表は、大井監督の指揮する日本文理であった。

名将大井道夫監督の勇退で、新潟県の高校野球はどう変わっていくのだろう。
ともあれ、大井監督の功績と今までの多大な労苦に、新潟県民の一人として、ねぎらいの大きな拍手を送りたい。

大井監督、本当にお疲れさまでした。
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「雑草キャラクター図鑑」を読んで

2017-08-16 21:20:39 | 読む
「雑草キャラクター図鑑」(稲垣 栄洋著 誠文堂新光社)

どこまでがタイトルなのかはわからないが、表紙には、「雑草キャラクター図鑑  物言わぬ植物たちの意外な知恵と生態が1コママンガでよくわかる」と書いてある。

著者の稲垣栄洋という人は、ほかにも雑草関係の話をよく表している人なのだが、この本は、様々な雑草をキャラクター化している。
右のページに、その雑草を人間に例えてキャラクター化して漫画化している。
左ページには、そう名付けた由縁を分かりやすい文章で説明している。
紹介する雑草を、その方法ですべて見開き2ページに表現している「雑草図鑑」なのだ。

例えば、つい先日までわが家にも咲いていたネジバナ

などは、「ルックス勝負のビジュアル系」のカテゴリーに入れ、こんな形容をして紹介している。
「出た!ゆるふわ系の必殺オヤジころがし」
左ページの説明文の見出しは、
「かわいらしさを武器にサバイバル」
「使えるものは菌でも使え!」

…ですからね。

ほかにも、「メジャー選抜イレブン」のカテゴリーに分類された「ツユクサ」は、
「オトリを駆使するだましのファンタジスタ」。
「最凶ヒール軍団参上」カテゴリーの「セイタカアワダチソウ」は、
「雑草ファースト!アグレッシブな実業家」
…という具合だ。

約70種類の雑草がキャラクター化されて紹介されている。
その個性豊かな生き方は、読んでいて楽しい。

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今年も亡くなった同級生たちの家を回る

2017-08-15 22:55:10 | 生き方
盆の間は、回っておきたいところがあった。
それは、去年も回ったが、亡くなった高校時代の同級生たちの家だ。

4人いたが、1人の家は、もう家族が誰も住んでいない。
だから、昨年家族あてに送った郵便物も、戻って来てしまった。

今回は、3軒を訪ねるが、車で回った総距離はおよそ110km。
胎内市、新発田市、新潟市と結構距離がある。

まず、9時半頃訪ねたのは、胎内市のM氏宅から。
M氏は4年前に亡くなった。
高校時代の同級会の幹事をいつもやってくれていた彼。
肺がんで入退院の結果、亡くなった。
私が初めて新潟シティマラソンのゴールにたどり着いた年には、彼は新潟市のがんセンターに入院していたのだった。
今日訪ねた時、ちょうど奥さんが外出しようとしていた。
ギリギリセーフだった。
仏壇には、今春編集した還暦記念文集が供えられて(?)あった。
それをうれしく思った。
奥さんは、文集には協力できなくて悪かったけど…と言いながらも、その文集を読んでいいなあと思ったとのことであった。

新潟のSI氏は、去年3月に1年早く退職し、4月上旬に信州への最後の家族旅行に行った後、下旬に亡くなった。
家族・奥さん思いの人だったことが、記念文集に寄稿してくださった奥さんの文章から伝わってきていた。
訪ねてみると、奥さんはあいにく外出中であり、お寺さんがお経をあげに来ていたため、線香をあげた後、早々に辞去してきた。
夕方、わが家に奥さんから、礼の電話があった。
丁寧で誠実な方だなと思った。

新潟市の周辺は、帰省した車やUターン客の車で結構混雑していた。
そのため、新発田市のO氏宅を訪ねたのは、午後2時近くになってしまった。
O氏が亡くなったのは、もう10年も前になってしまっていた。
10年前の7月下旬の休日に、彼は会社の同僚宅で突然倒れ、亡くなった。
その4年前、奥さんが入院したベッドの隣が、私の母だった。
そのため、私のあることないこといっぱい話をしたらしい。
その時、私の母が50代で未亡人になった話をしたのだが、はからずもO氏の奥さんも同様の運命をたどることになってしまった。
子どもたちも学生だったし、途方に暮れた。
もっと私の母の話を真剣に聞いておけばよかった、などという話もしたのだった。
しかし、今は10年たち、上の娘も結婚し、やっと余裕が持てるようになったと言っていた。

今日お会いできた2人の奥さんは、まだ退職となっていないこともあり、「やっぱりまずは健康が一番ですね。」と同じことを言っていた。
そして、夫を亡くすという経験をしたが、時を経ることによって、強くなったように思う。

「お忙しいでしょうけど、また来てください。」
「はい。わかりました。また図々しく参ります。」
奥さんのいた2軒とも、そんな話をして、あとにした。

記憶はだんだん薄れていくかもしれないが、同級生たちと同じ時代を生きてきた。
生きてきた証、思い出を語ることによって、その人たちの人生が浮かび上がったり、改めて貴重な存在であったことを思ったりできる。
盆の期間の訪問は、大切にしたいと思うのだ。
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J1新潟、崖っぷちを越えてしまったのか…?

2017-08-14 22:12:45 | アルビレックス新潟
アルビレックス新潟。
今までが崖っぷちだったが、いよいよそれを越えてしまった。
崖から転落しつつある、という感じになってしまった。
昨日の試合の相手は、新潟と同じ降格圏16位に低迷する大宮。
この一戦に勝てば、大宮との勝ち点差は3に縮まり、負けると勝ち点差は9に開き、降格圏脱出などおぼつかないという状況になる。
どうしても勝たなくてはいけない一戦だった。
だというのに、昨夜は、0-1。
またしても、1点も取れず、相手のたった1点を返せずに負けてしまった。

これで10試合連続勝ち星なし。
相手が、Jリーグ上位であろうと下位であろうと、とにかく点が取れないし、勝てない。
J1リーグで勝ち点が、まだ1桁の9。
勝ち星はわずかに2。

一昨日、選手を2人、期限付き移籍で放出し、鳥栖から新戦力2人を獲得した。
だが、思う。
もう遅すぎるのでは?と。

昨日の試合は、悪くはなかった。
チャンスは、それなりに多かった。
コーナーキックに至っては、2けたを記録した。
しかし、たった1点が取れなかった。

得点できない選手たちのイライラ感がそのまま伝わって来た。
イエローカードをもらってしまうのは仕方がないとして、オフサイドの笛がふかれた後もプレーしてカードをもらったり、控え選手なのにピッチの近くに出て騒ぎ過ぎてカードをもらったりという姿もあった。
得点さえできれば、そんな見苦しい姿はないはずだと思う。
選手たち一人一人の実力が、格段に劣っているようには思えない。
だけど、負け続けていることから、プレーに余裕がないのだ。
それが、焦りにつながっているのがよくわかる。

チームプレーがより要求される下位チーム。
個人プレーが少なくなるので、想定外のプレーが少なくなる。
新潟は、想定外の相手のプレーで、失点したシーンが多い。
仙台戦のクリスランのボレーシュートしかり、横浜戦の天野のロングシュートしかり、前節川崎戦の中村憲剛のシュートしかり、そして昨日の大宮戦の江坂のショートトラップからのシュートしかり、だ。

余裕のなさ、募ったイライラがプレーの不安定感につながっている、と見ている。

試合数は、もう12試合しかなくなった。
崖っぷちどころか、崖から転がり落ちつつある新潟。
崖を越えてしまった状況を押しとどめることは相当困難だ。
ただ、最後まで、もうだめだ、とあきらめる気はないのだが…。
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盆の入り

2017-08-13 22:24:29 | 生き方

8月13日、盆の入り。
テレビでは帰省等の大移動が話題となっている。
盆帰り。
この時期、去年は高校の同級会を計画し無事開いたが、盆だということで、逆に帰れないという人も多くいた。
女性だと、嫁ぎ先によっては盆になると帰省客が来て忙しいという人もいる。
また、この齢になると、自分の子どもが帰省する、という人も結構いる。
誰もが帰れる訳ではない。
私の場合、盆帰りできたのは、学生時代4年間と社会人生活5年間の計9年間だったなあと思う。
あの頃、やはり帰省できるというのは、特別な感情があった。
しかし、その9年が終わると、盆帰りはなくなった。
なぜなら、帰らなくてもよくなったから。
正確に言うと、父が亡くなって自分たち夫婦が家に入ったからだ。

さて、今日は迎え盆。
息子は勤務日だったので、妻と娘とで墓参りと、菩提寺の水あげに行って来た。
菩提寺には、私たちが中学生時代赤ん坊だった長男が、今はしっかりした僧職を務めていて、その子どもたちが玄関で遊んでいた。
墓参りをしていたら、本家の従姉の2人の娘が、本家に関するいくつかの墓に花をあげたり水をあけたりしていた。
当然のようにその作業をしている2人も40代前半。
ああ、時代がというか世代が代わったなあと改めて思った。
彼女たちの両親である従姉夫婦だって、今日も働いているとはいえ、60代の後半だものなあ。

自分が間違いなく齢をとってきていると強く感じた、迎え盆の日であった。
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夏の甲子園、日本文理、大井監督に贈る1回戦勝利

2017-08-12 22:17:36 | 新潟
高校野球、夏の甲子園。
1回戦最後の試合に、新潟代表の日本文理高校が登場した。
2回までに2本の本塁打を打ち、7-0とリードし、相手鳴門渦潮高の左腕エースを引きずり降ろした時には、この試合は楽勝だと思った。
しかし、そこは高校生同士の試合、簡単に決まるものではなかった。
代わった相手の軟投右腕に、なかなかタイミングが合わない。
タイムリーが出ないでいると、相手の方に流れが行く。
3点を取られ、4点のリードがまるで1点差のように感じる。
しかし、最後に登板したエースが、なんとかおさえていく。
すると、ついに8回に追加点のチャンス。
ここで2塁打を打ったのが、初回に本塁打、2回に2塁打を打った3番川村。
大きな2点の追加点を得た。
その裏、1点取られてなお無死満塁のピンチ。
そこを、投ゴロ併殺などで切り抜けたのは大きかった。
最終回も1点は取られたが、日本文理が9-5で逃げ切った。

徳島と新潟が対戦するといえば、ひと頃までは、徳島の優勢は動かしようがなかった。
何と言ったって、あの池田高の存在は忘れられない。
新潟は、勝率が全国で最下位を争うような野球後進県だった。
それを変えたのが、日本文理の大井監督だ。
春の選抜で、初めて新潟県のチームがベスト8に入る「偉業」を達成した。
そして、8年前のあの、今も語り草となっている、中京大中京の決勝戦。
9回裏2死無走者からの大追撃。
惜しくも届かず準優勝となったが、5点を取って追いすがった、球史に残る決勝戦。
そして、3年前には、現在DeNAベイスターズの飯塚を擁して、ベスト4に勝ち上がった。

このような姿に感動した選手たちが全国から集まって来る、ということはあるだろうが、結果を残す、というのは簡単ではない。
監督の手腕にかかるところは大きい。

その大井監督も75歳。
このチームをもって、監督を引退するという。
「子どもたち(選手たち)が、勝利をプレゼントしてくれると言っているから、期待したいね。」
と、昨日試合前に行っていた通りに、1回戦の勝利を贈ることができた。
選手たちは、大井監督と一日も長く試合をしたい、と言っている。
監督も、今日の勝利後、
「子どもたちとまだまだ野球をやれるのは、幸せだな。」
と語っていた。

名将大井監督、最後の夏。
日本文理の選手たちの、これからの更なる活躍を期待している。
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