ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

花たちはもう夏から秋へと移行し始めている

2022-08-11 21:16:13 | 草木花
毎日が、真夏日はおろか時には猛暑日となっている毎日。
花が咲いているのを見ると、少しは爽やかな気分になれる。

今年の夏は、6月のうちに梅雨明けを迎え、暑いには続いたせいか、夏に咲く花々が早く咲いた。
代表的なもので言えば、

ヒマワリ

アサガオ

7月中にそれらが咲いていたときは、まだ8月になっていないのに、早過ぎるよと思っていた。
暑い日がずうっと続いているので、8月の今になったら、もう花は終わりになってしまったようだ。
花の咲き終わったヒマワリは、下を向いてうなだれ、すでに日々種の部分が目立つようになってきている。
アサガオは、10日ほど前までは毎日色とりどりの花が咲いていて、今日はいくつ咲いたかなと数を数えるのも楽しかったのに、ここ2,3日はほとんど花を咲かせるものはなくなった。
そして、ツルに残った種が、だんだん大きくふくらんできている。

そして、庭のシオンの花は、次第に多くなってきた。

夏から秋にかけて咲く花として、ピークを迎えようとしている。

今日の夕方、日課の庭の水やりをしていたとき、何げなくニラの茂っているところを見ていたら、先端に白いつぼみをつけ始めたものをいくつか見つけることができた。

連日35℃近い気温が続いていて、人間たちはうだっているが、花たちは確実に秋へ移行しようとしている。
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8月10日=全校登校日だったっけ…

2022-08-10 22:10:59 | 「育」業
8月10日。
子どものころは、特別な日だったなあ。
何かというと、夏休み中の「全校登校日」だったのだ。
私の住んでいた地域では、毎年7月25日から8月31日までが夏休み。
だいたい38日間の夏休みだった。
だが、夏休み中でも学校に行かなくてはいけない日があった。
それが、「全校登校日」というもので、8月の10日と21日の2回あった。
子ども心に、「夏休み中なのに、なんで学校に行かなくちゃあいけないんだよぉ」と思ったものだった。
先生たちは、「子どもたちが元気かどうか確かめるため」なんて話していたけれど。

中学生の頃だったかな、その真の理由が分かった。
8月10日は、あの頃に新潟県の教員全体を対象にしていた「寒冷地手当」という特別な手当の支給日だった。
21日は、8月の月給の支給日だった。
要するに、先生たちは手当や給料を受け取るために、必ず出勤する必要があった。
どうせなら、生徒指導上のこともあるから、子どもたちも全員学校に呼んで、生活を引き締めよう、といいうことだったらしい。
「じゃあ、オレ達にも給料くれよ~!」なんて言う同級生もいたけどね。
登校日については、小学校の頃には、粗暴な(?)同級生たちとは会いたくなかったからいやだった。
けれども、中学校の頃には、学校に行けば、久しぶりに好きな女の子に会える、なんていう邪な気持ちもあって、そんなにいやではなかった。(「邪」…「よこしま」と読む)

大人になって、学校に登校してくる子どもたちを迎える立場になった。
すると、久々に会う子どもたちが真っ黒になって元気でいるのを見ると、本当にうれしかった。
給料や手当をもらう以上に、子どもたちに会うことがすごくうれしいものだった。
やっぱり、登校日っていいなあ。
登校日のよさを深く認識したのであった。

やがて、件の手当は地域によって出なくなり、給料も金融機関へ振り込まれるようになったから、無理に出勤する必要はなくなった。
また、無理して子どもたちを学校に登校させることによさも見出せなくなり、ほとんどの学校で全校登校日もなくなった。

8月10日=全校登校日。
こんなことも、古い時代の思い出にしか過ぎないものになっていく…。
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長崎市平和祈念式典の報道を見て

2022-08-09 21:48:47 | ひと
8月9日。
長崎に原爆が投下された日。
広島には行ったことがあるので、原爆ドームを見たり原爆資料館に入って展示物を見たりしたことはある。
だが、長崎には行ったことがない。
広島に次ぐ、2番目の被爆地、長崎。
だからといって関心を薄くしてはいけないという思いがある。

今年も長崎市平和祈念式典が行われた。
記念式典ではなく「祈念式典」。
死者を慰霊し、世界の恒久平和を祈念するための式典だ。

式典の中で、長崎市の田上市長が平和宣言を読み上げた。
その中で印象的だったのは、「核兵器を持っていても使われないだろうというのは幻想だ」ということを言っていたことだ。
ウクライナへの侵攻で、ロシアは、核の使用をほのめかして脅かしていることを上げて言っていた。
そのうえで、「核兵器をなくすことが、未来を守るための唯一の現実的な道だ」と訴えた。

また、被爆者の代表として「平和の誓い」を読み上げた、82歳の宮田さん。
被爆したのは5歳のときだった。
その誓いの中にあった言葉。
「ウクライナに鳴り響く空襲警報のサイレンは、あのピカドンの恐怖そのものだった」
ここでも、自身の77年前の被爆体験と現在のウクライナ侵攻を重ねながら、核廃絶を訴えていた。

77年前の惨禍も、現在のウクライナの危機も、どちらも自分たちのものとして考えていることが分かり、切実感があった。
たしかにそうなのだ。
他人ごとでなく自分ごとに感じられることが、平和に近づく一歩なのだ。
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「かんかん照り」(井上陽水)の気分

2022-08-08 20:30:12 | うた
いやな夏が 夏が走る
あつい夏が 夏が走る


今まさに、この歌の気分。
50年前に井上陽水が出したアルバム「陽水II センチメンタル」にあった、「かんかん照り」という曲。


初めて聴いた時は、大げさすぎてそんな馬鹿なことがあるか、と思ったものだった。

やけついた屋根がゆらいで見える
お日様は空であぐらをかいて
スズメたちはやけどをするのがこわいのか
どこかに隠れてる


…ここまではいい。
そんな馬鹿な、は、次以降だ。

水道の水がぐらぐらたぎり
セッケンはすぐにどろどろとける
恋人はレモンのジュースを作るのに 困った顔してる
いやな夏が 夏が走る


さすがに、「水道の水がぐらぐらたぎる」そこまではないだろう。
どろどろとけるセッケンのことは、いかにも50年ほど前の話だと思う。

帽子を忘れた子どもが道で 直射日光にやられて死んだ
僕の目から汗がしたたり落ちてくる
本当に暑い日だ

あの頃は、「直射日光に当たらないように。帽子をかぶって家を出なさい」とはよく言われたものだ。
熱中症とは言わずに、日射病と言っていた時代だった。

動かないことが一番いいと 寝転んでいても汗ばむ季節
恋人はやさしくよりそってくるけれど 心も動かない
いやな夏が 走る
あつい夏が 走る


井上陽水の「かんかん照り」は、こんな歌だった。
あの時代は、エアコンのことをクーラーと言っていたし、クーラーがある家はまだ限られていたのだった。
でも、50年あまり前は、今みたいに、35℃を超えるような日はめったになかった。
31,32℃になると、とてつもなく暑く感じたものだった。

今は、35℃を超える猛暑日が多いのも事実。
陽水のこの「かんかん照り」が、妙に現実味を帯びて感じるのは、酷暑のせいだろう。
今日も暑かった。
そして、夜になってもなかなか暑さが収まらない。
昨日は、立秋だった。
その日が過ぎたというのに、この暑さ。
困ったものだ。

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昨日のホーム徳島戦、何かと楽しかったことあらかると

2022-08-07 20:26:02 | アルビレックス新潟
昨日の試合は、同点に終わった試合だったけれども、いろいろと楽しさがあった。
そのことを書いてみる。

1 新潟日報サンクスデーで、特製の選手シールがもらえた
新潟日報が用意してくれたのは、新聞に載った所定の用紙を切り取って名前等を書き込んでブースに提出すれば、先着2,000名に特製シールをくれるというもの。
しっかりいただいた。

そのシールは、選手の似顔絵が描いてあったが、雰囲気がなかなかよく似ていてよかった。
試合前には、日報のキャラクター、ニックちゃんががんばって踊って、ムードを盛り上げていた。


2 被災地に励ましの横断幕
選手入場時に掲げられることがある、ゴール裏の横断幕。
この日は、「被災地に勇気を!新潟一丸」。

このたびのゲリラ雷雨で被害を受けた方々を勇気づけよう、と新潟のサポーターたちは訴えた。
全県みな仲間というコンセプト。
この思いがあることが、県民の誇りだ。

3 試合前の通算試合出場の表彰がなんと4人も
試合前には、4人の選手の表彰があった。
① 伊藤涼太郎 … Jリーグ通算100試合出場


② 鈴木 孝司 … Jリーグ通算250試合出場


③ 堀米 悠斗 … Jリーグ通算250試合出場


④ 高木 善朗 … Jリーグ通算300試合出場


皆、家族から花束をもらって、それぞれ一緒に記念写真を撮るなんて、素敵なシーンだった。
伊藤、鈴木、堀米と自身の奥さんを含めた家族と一緒だった。
4人目の高木だけは、この日のイベントのゲストだった父の高木豊氏と一緒の授彰だった。
父で元プロ野球選手の高木豊氏は、「(ほかの選手は奥さんや子どもたちと一緒なのに、善朗選手と一緒なのが)オレでゴメンね」と謙そんして言っていた。
いいオヤジだなあと思った。

4 ハーフ・ムーンが試合を見守っていた
Nスタンド1階の私が見ているところからは、上空にハーフ・ムーンが見え、いい感じだった。

勝ち点3ではなく、引き分けの勝ち点1だったから、喜びも半分(ハーフ)ということで、ちょうど合っていた(!?)

5 主審は女性の山下主審
この日の主審は、この秋のカタールW杯で、史上初の女性審判員として参加が決定した山下良美主審。
試合前のウオーミングアップも、しっかり行っていたところから見ることができた。

ジャッジについては、少々ファウルの笛を吹くのが遅めに感じてしまった。
ほかにはあまり不平不満はなかったけれども。
また、昨日の対戦相手の選手たちは、倒れた後や交代時間などにやけに時間を取るなど、主審に甘えているように見え、見苦しかった。
女性主審も、なにかと大変だよなあ…と思った次第である。

6 柏崎市・出雲崎町デーで地元のキャラクターたちが登場
この日は、柏崎市・出雲崎町デーでもあった。
柏崎市のマスコットキャラクター、えちごんがハーフタイムに場内を1周していた。

そして、ヌーボーとしたレルヒさんも同行していたが、その間にトチオンガーセブンもいたぞ!?
なぜだ?
彼は、長岡市(旧栃尾市)のはずだぞ?????

7 試合後の新井直人選手のあいさつ
試合が終わった後、しばらくしてから、徳島の選手として立ちはだかってくれた(?)新井直人が、わざわざNスタンドのサポーターにあいさつに来てくれた。

大学4年生も終わるころ、新潟のキャンプに練習生として参加して実力が認められ、新潟と契約。
最後の最後でJリーグのチームに就職することができた彼だった。
新潟での活躍が認められ、去年はセレッソ大阪に移籍、今年は徳島で活躍中の新井直人。
前半戦での対戦では、われらの本間至恩を自由にさせず、今回の対戦でも事前のデジタルポスターのとおり、バチバチにやってくれた。
わざわざやってきて、Nスタンド前で深々とお辞儀する彼に、サポーターたちも大きな拍手を送っていた。
新潟のサポたちが、叫べないけれども、口々につぶやいていたこと。
「新井直人、来季は新潟に帰って来い!」
「今のチームだと、プレーが荒れるだけだぞ!」
今回発売されたサポーターズマガジン「ラランジャ・アズール」には、新井直人選手のことが書かれたページもあった。
彼が苦労人であること、期待できる選手であることを皆、知っているのだ。

…こんなふうに、いろいろと楽しめた試合であった。
だが、もし追い付いて引き分けにまで持ち込めていなかったら、楽しみは半分になっていたことであろう。
もし勝っていたら、もっと楽しく感じられたことだろうなあ…。
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引き分けに終わったが、0-2から追い付き、大興奮! ~2022ホーム徳島戦~

2022-08-06 22:48:03 | アルビレックス新潟
いやあ、興奮した。
サッカーJ2リーグ第30節、ホーム・アルビレックス新潟対ヴォルティス徳島戦。


後半13分で0-2と、徳島にリードされた。

新潟が、後半27分に、主力選手の伊藤と松田に続いて、ボランチの高と星を交代させた時点で、負けを覚悟した。

ところがどっこい。
交代して入った、両ウイングのシマブク・小見ががんばり、ボランチの秋山・島田の攻撃的な配球に、試合が大きく動いた。

新潟の選手たちの、ホームでむざむざ負けるわけにはいかないという気迫が伝わってくる猛攻だった。
後半33分、獲得したFKで高木が蹴ったボールは、誰か分からないけれど、頭に当てたボールが、ゴールに転がった。

決めたのは、右サイドバックの藤原だった。

1-2。
1点返した、あと1点だ。まだ時間はある。

こうなると、スタジアムの熱狂は、高まった。
声が出せないものだから、一体となった拍手が選手たちの背中を押した。
はね返す徳島の選手たち。
それを拾って、攻撃を組み立てる新潟の選手たち。
相手陣内でボールをつなぐ場面が多くなった。

すると、後半40分、同点ゴールが生まれた。
秋山がペナルティエリア手前からパスを供給すると、ペナルティエリアに走り込んだ堀米がヘディングシュートを放ったのだ。
試合の終盤まで走れる堀米のすばらしさ。
さすが頼れるキャプテン、ゴメス!

今度は、左サイドバックが決めたじゃないか。
左右のサイドバックで得点して追いつくとは、チームとしての総合力を発揮したということだ!
すばらしい!!
2-2。追いついた!


この後も同じように攻め続ける新潟。
時折鋭いカウンターで、新潟のゴール前に迫る徳島。
スタジアム内の観客は、皆ゲームに引き込まれ、興奮して見守っていた。

残念ながら、そのまま2-2の引き分け。

ホーム戦3連敗は回避することができた。
3戦勝ちなしにはなった。
だが、0-2の劣勢から追いついた新潟のサポーターにとっては、勝ちに等しい引き分けだと思った。


場内を1周する選手たちを、皆、温かい拍手で迎えた。
だが、選手たちの表情は、一様に険しかった。

引き分けを喜ぶ選手はいなかった。
勝たなくてはいけないホームの試合なのに、追い付いての引き分けの試合をふがいなく思っていることが伝わってきた。
私を含め、サポーターたちは、そんな選手たちを頼もしく思ったに違いない。

今日試合があった1位の横浜FCは、大宮に2-3で敗れた。
3位の仙台は金沢に4-1で勝って、勝ち点3を得た。
その結果、勝ち点は、1位横浜FC57、2位新潟56、3位仙台55となり、差が詰まった。
次節は、どのチームにも首位になる可能性がある。

アルビレックス新潟を応援する身としては、今日の後半の怒濤の攻めにはすごく迫力を感じたので、次節アウェイ栃木戦の勝利を期待したい。

Visca Albirex !!
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8・28水害の記憶が、冷静な判断につながっていた

2022-08-05 21:34:46 | 新潟
昨日の豪雨で大きな土砂崩れの被害を受けながら、死者等を出さなかった村上市小岩内地区。
区長が、冷静な判断で、集落の全員をきちんと避難させていたのがよかったということを、各局で放送していた。

何でも、市から避難指示が出ていたので、消防団員を使って各戸を回らせ住民を地区の公民館に避難させたのだそうだ。
だが、公民館ではまだ危ないと感じて、さらに高台の家々に分散して避難させた。
その勘は正しかったようで、公民館には壊れた家の建物や無数の流木がぶつかっていたから、危なかったとのこと。

区長は、「過去に8・28水害のことがあったから」ということを言っていた。
8・28水害(はちてんにはち すいがい)とは、昭和42(1967) 年8月28日に起こった豪雨災害のこと。
豪雨によって、新潟県の下越地方から山形県西部にかけての広い範囲で河川の氾濫、土砂災害等が発生したのだった。
胎内川流域の胎内市(旧北蒲原郡中条町、黒川村)では、胎内川の氾濫や支流小河川の土石流により、あわせて死者・行方不明者42人、重軽傷者275人、住宅全半壊313棟、床上・床下浸水約6000棟という大きな被害を受けた。
その災害で亡くなった人たちを悼み、教訓としてその災害を忘れないために、今でも旧黒川村では8月28日に慰霊式を行っている。
私も、そちらに勤務していたときには、3年間この式に参加した。
県内の他市町村や山形県でも、計134人の死者・行方不明者が出るなど大きな被害を受けたから、この水害は羽越災害ともいわれている。
区長の言葉は、その過去の水害を教訓にして、早めの避難や命を守るための行動をとることができたのだということを意味している。

同様に、今回大きな被害を受けた関川村では、「大したもんじゃ祭」という大蛇の祭りを行うが、その祭りは羽越水害とのかかわりが大きい。
その水害では、村で死者・行方不明者34人など多くの犠牲者を出しており、惨事を忘れることなく次代へ引き継ぐため、8・28水害の数字を取って82.8mとなったということだ。
また、阿賀町の三川中学校では、合唱組曲「阿賀野川」が歌い継がれている。
その歌には、8・28水害のことが大きく扱われ、毎年生徒たちに歌われている。

私は、昭和42年当時小学5年生だったが、当日は1日中強い雨が降ったのを覚えている。
自分の住む集落には大きな被害はなかったが、それでも近くの坂道がみにくくえぐれてしまったことが印象深く残っている。

それから55年。
年輩の人間たちには、その水害の記憶が教訓となって、とった行動が犠牲者を多くしなかったことにつながったのだ。
それを思うと、命だけは助かって、よかったなあとしみじみと感じるものがある。

もちろん、これからの後片付け作業や、これからの住まいや暮らしのことを考えるととても大変なことも分かる。
でも、命にまさるものはないのだ。

命を守った過去の災害の記憶。
今回の災害のことも、記憶に残し、後世への教訓となってほしいとも思う。
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まさかの2日連続の浸水 …昨日以上のものだった

2022-08-04 18:04:03 | 自然・季節
まさか、2日続けて道の前の道路が川になるとは思わなかった。
当然車庫も、浸水。

しかも、今日の方が深刻だった。

夜中にも強く降った時間帯はあったのだが、今朝7時過ぎ、また強く降り始め、不安に思った。
まさか、昨日のような状態になるのでは?

それにしても、降り方が強い。
降り止む時間がないままに、たたきつけるように雨が降った。
道路に水の流れができ、みるみるうちに昨日と同じように川に変わった。



1時間もすれば、線状降水帯も移動するはずだと思い、雨雲の少しでも早い通過を願った。

ところが、路上にできた流れの高さは、昨日を上回っていた。
雨が降り止んでも、家の前の流れは一向に減らない。
長靴をはいても、水が入りそう

なので、隣家や空家となっている2件の土地にお邪魔して、流れ込む水の先を確かめに行った。

家の近くの公園の脇の道から、勢いよく水が流れてきていた。
その流れの元を見ると、用水路と川の両方から、行き場を失った水が路上を走っていた。
本来ならば、川に注ぐはずの用水路の水も、川自体があふれているから行き場を失っていた。
そして、川の水も用水路の水も、わが家の前の道路をまるでバイパスのように使って、低い土地へと流れて行っていたのだった。
わが家は、その途中にあるというわけだ。


通りかかった車が、水しぶきを上げながら進んでいったが、

その先にできた大きな水たまりに恐れをなしてブレーキを踏み、やがてバックで戻ってきた。


川と用水路の水が一緒になって流れているということは、それらの水がはけない限り、この路上の流れは消えないということだ。
その時を待って、静観することにした。
雨よ止め、早く止んで水よ引け、…そう願いながら。

ようやく水が引いて、車庫の壁を見ると、昨日より数センチ高い浸水だったことが分かった。

【昨日】


【本日】

また、道路より少々高いところに建つわが家だが、もう10㎝も高いと床下浸水になったはずだとも思った。


2日連続の浸水となったわが家だが、北の村上市や関川村では、比べものにならないくらいはるかにひどい被害が出ていた。
テレビで報道されているだけであんなにひどいのだから、交通路が遮断されている山間部にはもっと悲惨な被害を受けている地域もあるのではないかと推測できる。
住まいや、生活の糧を得る田畑が破壊され、甚大な被害を受けている人たちがいる。
とんでもない大水害だ。
これから、人や建物、土地などに対する被害の実態が明らかになるだろう。
それを考えると、恐ろしくなる。
どうか、せめて奪われた命の数がありませんように。
それが無理なら、できるだけ少ないものであってほしいと祈るばかりだ。
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またしても出水!線状降水帯による大雨が襲う

2022-08-03 19:49:26 | 自然・季節
またしても線状降水帯発生。
東北もそうだが、当地でもすさまじい雨が降った。

午後1時ころに、大雨警報、洪水警報が出た。
たしかに、降っていた雨は、とても強い雨に変わった。
最初は、南側からの風で家の中にも雨が吹き込んできたが、この風が舞うようになり、めったにない北側の窓から吹き込むようにもなるなど、閉口した。

外出する予定はあったのだが、警報もあって、やめて2階に上がった。
昨夜は、暑くて寝苦しい夜だったため、睡眠不足で頭痛がするものだから、雨が強く降ってはいたが、少し昼寝しようと思ったのだ。
10分間ほどは雨が気になったが、その後は、30分間くらい寝入ってしまった。
目覚めてみたら、外がとんでもないことになっていた。



家の前の道路が、川になっていた。



6月下旬の前回と同じように、車庫は浸水していた。



短時間に狭い地域にものすごい量の雨が降ったから、近くの川や用水路の水が一気にあふれてしまったのだ。


家の前の道路や、反対側の隣家との境界が、またしても流れのある川になってしまった。


幸い、その後の降り方は弱くなり、1時間ほどで水はひいた。
だが、また車庫内が泥水で汚れてしまった。
近所の家の人も、同様な浸水に、憤懣やるかたない困り声を出していた。

このような大水が出たことは、当地に30年住んで1度もなかったのに、一昨年の8月初め、今年の6月末、そして今日と3回目になってしまった。
しかも、今回は6月末からたったの1か月しかたっていない。
その間に2回ということは、これからも頻繁にこういうことが起こりうるということか!?

水はひいたがこれで安心してはいけないようで、明日の正午まで多いところでさらに150mmの雨が降る可能性があるとも報道されている。
それはカンベンしていただきたい。

1週間の間に、酷暑と豪雨の両方を、しかも埼玉でも新潟でも味わうなんて、オカシイよ。
でも、今や日本中のあちこちで同様のことが起こっている。
北海道や東北、東海、九州と、最近聞いたものだけでも全国、場所を選ばない。
酷暑にも豪雨にも、自然災害に対する警戒が必要な時代と認識しておきたい。
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TV中継とはいえ、長岡大花火は素晴らしかった

2022-08-02 22:01:10 | 新潟

【今年の長岡花火のポスター】

長岡の大花火が、3年ぶりに行われた。
新潟県にいながら、会場近くまで行って見たことがない私。
今年も行くことはなかったが、NHKのBSプレミアムの生中継でその一端にふれることができた。
以前も、中継を見たことはあったが、今年は心への響き方が違っていた。

NHKのゲストで来ていた平原綾香が、自身の歌唱曲「ジュピター」が入った「フェニックス大花火」を見て涙していたが、その気持ちが分かるような気がした。

長岡の大花火は、ただ単に美しい花火大会というわけではない。
花火の始まりの際には、大戦の鎮魂を願っての「白菊」が打ち上げられる。

そして、「フェニックス」には、中越地震からの復興の願いがこもっている。

あんなに美しい花火が、あんなにたくさん次々に打ち上げられる。
見事と言うしかない。
すばらしい芸術だと思う。
わずか数秒しか持たない、はかない光の芸術。
あれだけの花火を作るのに、いったい何人ぐらいの人がかかわっているのだろう。
いったいどれだけの時間をかけているのだろう。

平原綾香が、「花火の音は、胸、背中、腹に響く」と言っていた。
いろいろ抱えていた胸がすっとする。
背中を押され、勇気が出る。
お腹に響いておなかがすく。
…とか。
なかなか言い得ている。
うなずいてしまった。
もっとも、3つ目の腹の件は、「腹がすく」のではなく、決意の意味で「腹がすわる」の方がいいと思うのだが。

それはともかくとして、同じ火薬でも戦争に使われるのと花火大会に使われるのでは、まったく違う。
今のご時世では、そんなことを考えざるを得ない。
人を傷つけたり殺したりするために使うのではなく、こうして人の心を癒したり元気づけたりするために使われるものであってほしい。
花火の中継を見ながら、そんなことを強く思った。


【2020年の長岡花火のポスター】

COVID-19感染症の拡大のために、2年続けて中止されていた長岡大花火。
たくさんの人に、様々な思いを抱かせてくれたことと思う。
かたい決意で実行してくれた人たちに、心から感謝したいと思う。
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