連日暑い日が続く。
そんな中での盆の入りだ。
墓まで砂の坂道を上って、父母や本家、親戚の方々の墓のところに行く。
墓のある場所は、実は夏は大変なのだ。
なぜかというと、草が生い茂る。
墓の周囲を荒れ放題のままにはしておけないから、誰かが草刈りをしに行かなくてはならない。
だが、ここ数年は草刈りをしに行ったことがない。
母が亡くなってからの数回は、私たちも除草に行ったが、近年は本家や親類の若い人たちに任せてしまっている。
(今年もありがとう。)
夕方近くに行けばいいのだが、午後から雨が降るという予報もあったので、今年は、同じ午後でも早めに行った。
早めに行ったのはいいが、日はかんかんに照っていた。
簡単に汗が出てきた。
持って行った紙を丸めて線香に火をつけたら、地面の刈り取られた草の残りが枯れ草となっていて、まるで導火線のようにほかに移って行こうとしたので、あせった。
急いで、供える花を入れて持って行った水をかけて、その火の広がりを防いだ。
近くに墓参りに来ていた人は、本家の遠い親戚にあたる人だった。
お会いしたのは、10数年ぶりだろう。
私の母世代に近かったはずだから、90歳近くの方だろう。
うちの墓にも、線香を立てていってくれた。
まだかくしゃくとして歩いていたから、「お元気そうでなによりです」と、声をかけた。
それにしても、日ざしが強かった。
墓参りを終えて、汗びっしょりになった。
ここまで暑い盆の入りはなかなかなかったはずだ。
今回特に思ったことは、自分の周りで生きていたたくさんの方が亡くなってしまったなあ、ということだ。
子どものころに、私に声をかけてくれた近所の人たちで残っている人は、本当に少なくなった。
空家のようになっている家もある。
自分はあと何度盆の入りを迎えられるのだろう、なんて考えて、思わず首を振った。
そんなバカなことを考えずに、まずはもっと前向きに、やりたいこと・やるべきことに取り組んで生きていかなくちゃな。
そう考えた、今年の盆の入りであった。
そんな中での盆の入りだ。
墓まで砂の坂道を上って、父母や本家、親戚の方々の墓のところに行く。
墓のある場所は、実は夏は大変なのだ。
なぜかというと、草が生い茂る。
墓の周囲を荒れ放題のままにはしておけないから、誰かが草刈りをしに行かなくてはならない。
だが、ここ数年は草刈りをしに行ったことがない。
母が亡くなってからの数回は、私たちも除草に行ったが、近年は本家や親類の若い人たちに任せてしまっている。
(今年もありがとう。)
夕方近くに行けばいいのだが、午後から雨が降るという予報もあったので、今年は、同じ午後でも早めに行った。
早めに行ったのはいいが、日はかんかんに照っていた。
簡単に汗が出てきた。
持って行った紙を丸めて線香に火をつけたら、地面の刈り取られた草の残りが枯れ草となっていて、まるで導火線のようにほかに移って行こうとしたので、あせった。
急いで、供える花を入れて持って行った水をかけて、その火の広がりを防いだ。
近くに墓参りに来ていた人は、本家の遠い親戚にあたる人だった。
お会いしたのは、10数年ぶりだろう。
私の母世代に近かったはずだから、90歳近くの方だろう。
うちの墓にも、線香を立てていってくれた。
まだかくしゃくとして歩いていたから、「お元気そうでなによりです」と、声をかけた。
それにしても、日ざしが強かった。
墓参りを終えて、汗びっしょりになった。
ここまで暑い盆の入りはなかなかなかったはずだ。
今回特に思ったことは、自分の周りで生きていたたくさんの方が亡くなってしまったなあ、ということだ。
子どものころに、私に声をかけてくれた近所の人たちで残っている人は、本当に少なくなった。
空家のようになっている家もある。
自分はあと何度盆の入りを迎えられるのだろう、なんて考えて、思わず首を振った。
そんなバカなことを考えずに、まずはもっと前向きに、やりたいこと・やるべきことに取り組んで生きていかなくちゃな。
そう考えた、今年の盆の入りであった。