ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

「田中角栄と河井継之助、山本五十六 怨念の系譜」(早坂茂三著;東洋経済新報社)

2022-08-16 20:04:10 | 読む


本書は、田中角栄の秘書として知られた早坂茂三氏の著書である。
2001年に刊行されたものが改訂され、2016年に新装出版されたものである。
新潟県出身で県外の人たちにもよく知られた人として、河井継之助、山本五十六、田中角栄がいる。
新潟県、とくに長岡周辺の出身の3人の生涯を紹介しながら、共通することについても語っている。
河井継之助、山本五十六、田中角栄の3氏は、ともに大きな理想を持ち、実行力によってその実現に向けて実績を残し、努力した人たちだった。
それなのに、正当に評価されずに「逆賊」のような汚名を背負わされ、無念のうちに亡くなっている。
副題に「怨念の系譜」とあるのは、そんな背景がある。
今まで知っているようでよく知らなかった3人について知りながら、何かと考え直すことも多かった。



河井継之助が念じたのは、新政府軍の薩長にも幕府軍である奥羽列藩同盟にも偏らない新しい政治状況の構築であり、武装中立国家論と日本近代化の道筋をもっていた。
長岡藩に近代民主国家を建設し、民主化のモデルケースにするために、最強の軍備を整え、藩庫の充実に腐心した。
構想には、3年後に長岡藩が海軍力を持つことまで含まれていた。
ところが、小千谷会談の談判決裂により、新政府軍と戦わざるを得ない状態になってしまい、武力と知力を生かして最後まで戦い、無念の死を迎えた。

山本五十六は、アメリカでの最初の海外生活で、資源の豊富さ・強大な生産力などだけではなく、自立した生活、デモクラシーの根付き、結束力の強さなどの民衆の力についても、日本との圧倒的な国力の差を認識し、深い絶望感を抱いた。
だから、アメリカと戦うなどということは極力避けようとしたのである。
先見性に優れた山本が、いち早く海軍の航空力育成を提唱し、30年後に航空機は、海戦の主力になった。
その海軍の航空戦力があったからこそ、アメリカとの海戦となった場合の見通しを聞かれて、国力の圧倒的な差から否定的に答えていた。
「やれと言われれば、一年や一年半は存分に暴れて見せますが、それ以上は保証できません」。
それは、短期決戦の場合のみわずかな勝機があるが、長期戦となれば勝ち目はないという意味だった。緒戦で大打撃を与え、和平交渉に持ち込みたいという願いが込められていた。
だが、これは、一年半は大丈夫という意味にとらえられ、開戦となってしまった。
その後の展開は、山本の危惧した通りとなり、彼も撃墜死に至った。

田中は、貧農の出身である。
河井継之助が敗れた明治維新いらい、表日本の大都市や周辺地帯が、国家権力に手厚く庇護された過程に比べて、新潟県を含む裏日本の社会基盤整備は後回しにされ、貧困が放置されてきた。
このままでいいはずがない、という深沈とした思いが、青年政治家角栄の心象風景である。

若い彼がしたことは、議員立法活動の展開だ。
昭和25年からの3年間に21件もの法律を成立させている。(生涯33件)
都市と農村の共存共栄を図り均衡のとれた国土の発展を目指す国土総合開発法。
働く人たちに住まいを与える住宅金融公庫法、公営住宅法。
国道の総延長を2倍に伸ばし、地方自治体の負担を軽減する新道路法。
ガソリン税を道路整備の目的税として活用できるようにする、道路整備費の財源等に関する臨時措置法、などなど。
いずれも、日本の戦後復興と成長経済へテイクオフさせる重要な役割を果たしてきた法律ばかりを、田中は次々に成立させていたのだった。

それなのに、著者いわく、
「ロッキード事件いらい、木を見て森を見ないマスメディアは、味噌も糞も一緒にして、刑事被告人・田中角栄を地元利益最優先の政治家とこきおろし、弾劾した。」

このロッキード事件だが、被告人田中の死去によって、彼が本当にクロなのかシロなのかということが、結果的にあいまいになってしまった。
しかし、本書では、田中の秘書を務めた著者ゆえに、検察ファッショとマスコミの世論誘導によって汚名を着せられたと主張している。
主張するだけでなく無罪である根拠にも言及している。

「検察がでっち上げなどしない」
「マスコミが報道するのは正しい情報」
そんな思い込みが、私たちにはある。
だが、元厚生労働省事務次官の村木さんの冤罪事件は記憶に新しい。
そして、マスコミ報道によるバッシングで心身に大きなダメージを受けた人たちの話は少なくない。
そんなことを考えると、反証を上げながら主張する著者が正しかったのだと思う。

私自身、当時はマスコミ報道ばかりを信じ、「地元利益優先の金権政治家」ととらえてしまっていた。
だが、本書で田中が行ってきたことについて、今回改めて別な視点で見ることができた。
自分の過去の貧しさがあるからこそ、民衆の幸福を実現したいということ。
そのために迅速な判断力と確かな実行力をもって実現していくこと。

3人とも異彩を放つがゆえに、反発を受けたところがある。
理想の実現が果たせずに、無念だった。
その「怨念の系譜」。
読後、この3人は、新潟県人として誇れる存在なのだと再認識した。
そして、メディアなど大勢の意見に流されず、衆目を気にするより自分の考えをもち行動する人でありたい。
コメント
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