ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

ゴメンね、ヒメヒルガオ(セイヨウヒルガオ)

2023-09-20 19:53:40 | 草木花

今回の除草作業、刈り払い機の刃を替えたら、当たり前だけど、除草の効率がよくなった。

先月は、猛暑と刃の傷みからあまり除草が進まなかった。

だから、畑の大部分の草は、刈らずに残しておいたのだった。

だから、ひと月たって今回は、2か月分伸びた草を刈る。

草丈が伸びたことも驚きだが、そこに混じってつる性の植物の繁茂していることにも、ビックリであった。

つる性植物で、最も元気に繁っていたのは、これ。

花がかわいい。

大きいものでも、せいぜい2cmくらいしかない花。

白いものが中心だが、ピンクっぽいものも多い。

ここではこんなに繁茂しているのに、新潟ではあまり見たことがなかった。

雑草でも、こうして、土地が違うと見慣れないものを見つけることは、楽しみの一つだ。

名前を調べてみると、どうやら「セイヨウヒルガオ」というらしい。

別名は、「ヒメヒルガオ」。

うん、こちらの方がしっくりくるなあ。

 

 

かわいい花ゆえか、花たちが、

「私たちは、平和に暮らしていたのに、どうしてこんなにひどいことをするの!?」

と訴えているような気がして、しかたがなかった。

「ゴメンね、ゴメンね。」

と心の中でつぶやきながら、手のひらにできたマメをつぶしながら、刈り払い作業を続けた私であった。

 

 

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線香花火をすると、すぐに歌詞とメロディが浮かんでくる~NSP「線香花火」~

2023-09-19 20:34:33 | うた

新潟は少しは涼しかったようだが、埼玉は今日も猛暑日。

そんな中、毎月恒例の除草作業を、午前中と夕方の2回行った。

昨夜は夜になっても暑かったが、今夜はいくらかましだ。

そこで、今年最初で最後?の線香花火をした。

線香花火をするとき、必ず頭に浮かぶ歌。

それがNSPの「線香花火」。

天野くんの歌声がよみがえってくる。

 

はじっこつまむと 線香花火

ペタンとしゃがんで パチパチ燃やす

このごろの花火はすぐに落ちる

そうぼやいて きみは火をつける

 

今でも、すらすらっと歌詞が出てくる。

 

この歌の中には、

 

きみの目の中で光っているんだ

こっちの方が本物よりステキさ

 

なんて表現もあった。

それこそステキだった。

 

はかない線香花火にも似た、若い二人の恋。

少し先の将来がどうなるかわからないゆえの不安…。

そんな気持ちが伝わってくる。

それは、歌の最後にも歌われている。

 

パチパチ光る線香花火

来年も二人でできるといいのにね

 

 

なんだか今でもキュンとするなあ…。

 

 

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「漫画家たちの戦争 原爆といのち」(中野晴行監修;金の星社)

2023-09-18 07:01:54 | 読む

先日、「漫画家たちの戦争」シリーズのことについて、書いた。

 

 

「漫画家たちの戦争 戦場の現実と正体」(中野晴行監修;金の星社) - ON  MY  WAY

8月は、終戦を迎えた月だった。そのせいか、図書館には8月末になっても、戦争についてのミニコーナーが展示してあった。そのなかに、一度読みたいと思っていたシリーズ本の1...

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図書館から借りて他の巻も読もう、ということで、今回は、その1つのシリーズの「原爆といのち」という1巻を借りてきた。

この巻では、

手塚治虫、中沢啓治、辰巳ヨシヒロ、赤塚不二夫、谷川一彦、貝塚ひろし

という6人のマンガ家の作品が載っていた。

 

「原爆といのち」というテーマでは、やはり「はだしのゲン」が代表作の中沢啓治氏の作品が欠かせないと思っていたが、本書には確かに氏の作品があった。

その作品名は、「おれは見た」という。

このマンガは、作者の中沢啓治氏の自伝として読むことができる。

「おれは見た」という題だが、何を見たのか。

彼が見た中心となるものは、原爆の恐ろしさである。

彼が物心ついた小さいころから、すでに太平洋戦争の真っただ中であった。

ひもじい思いをしながら、家族で穏やかに生きていたのに、原爆が投下されて一変してしまった。

原爆が投下された直後の様子で描かれた人々の様子は、マンガとは言え怖さを感じる絵である。

これがマンガより写実的な劇画であれば、恐ろしいというより残酷さを感じるだろう。

体験した人でなければわからない、被爆直後の人々のすさまじく悲惨な様子が描かれている。

氏は、原爆で父やきょうだいの何人かの家族を失った。

この作品では、それでもがんばって育ててくれた母の苦労も描いている。

そして、「原爆と戦争は許さない」という強い気持ちをもって、原爆のマンガを描いてきたのだった。

「はだしのゲン」について、広島市の平和教育副教材から削除され波紋が広がったことがあった。

表現に不適切なところがある、というような理由があったが、細かい部分に文句を垂れるより、描かれていた悲惨さを感じ取れるような教材がほかにあるのか、と思ってしまう。

この作品で、氏の「見たもの」が少しでも多くの人に伝わることが大事なことだと改めて思った。

 

また、本書では、赤塚不二夫氏の作品も載っている。

「もーれつア太郎」や「天才バカボン」などの代表作が発表される前には、こんな作品も書いていたのか、と思わされる。

ユーモラスな絵でありながら、ストーリーの展開はシリアスだ。

ギャグ漫画の草分けでもあった赤塚氏のこんな作品を見ていると、やはり「原爆といのち」というテーマは、それだけ重いものがあると思う。

 

この「原爆といのち」の巻は、シリーズの1つめに当たるようだ。

巻末には、監修者の中野晴行氏から発行の目的や、各巻のテーマとその意図が語られていた。

そこを十分理解した後、別な巻も読み進んでいこうと思っている。

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ドローには終わったが、ハラハラドキドキを楽しんだ ~2023第27節アウェイガンバ大阪戦~

2023-09-17 22:40:58 | アルビレックス新潟

楽しみにしていたガンバ大阪戦。

結果は、1-1の追いついての引き分け。

ハラハラドキドキの試合を見せてもらったよ。

 

先発メンバーを見ると、ちょっとした驚きが、藤原が控えにも入っていないこと。

軍団星のメンバーが、高宇洋しかいないじゃないか。

星、藤原、谷口(は、けがが未だ癒えないか)らがいない。

渡邉泰基と世代交代かと思われていた千葉が、今節も先発。

まだまだやれると見せてほしいもの。

攻撃では、前節浦和戦でJ1リーグ戦で初ゴールを挙げた小見が先発出場。

長倉も、そろそろJ1リーグ初得点を期待したい。

控えにいるかと思った太田が、まだ入っていないんだね。

ガンバ大阪は、またこのごろGKが東口になってきたのね。

アルビ選手のシュートを弾いて、恩返しゴールをぜひ自陣に!(…?)

なんて、そううまい話はないよな。

…なんて、ワクワクしながら試合開始を待ったのであった。

 

試合は、想定通り、アルビのボール保持、ガンバの個人技の展開。

前半0-0でいけば、後半に強い新潟だからと期待した。

何度か危ないシーンがあったけど、ラッキーやGK小島の好守でなんとか願いどおりにお互い無得点でハーフタイムを迎えたのだった。

 

後半になっても、ガンバの個人技はさすがだなあと思いつつ、攻守でがんばっていたら、63分、ガンバ食野の個人技ですばらしいゴールを決められた。

0-1からではあったが、新潟はお決まりの3人替え。

これでもなかなかいい展開にならないなと思っていたが、同点ゴールが生まれる。

千葉からの縦パスを高木が体を張って受け、三戸にラストパス。

三戸は、さらに1歩前に出て、冷静に相手GK東口の手の届かないところに、ボールを蹴り入れた。

 

そこからまだまだ互いにチャンスは作ったのだが、結局1-1のドロー。

ボールは保持しながらもシュートまで行けず、ガンバの攻勢をなんとか防いだというような試合展開と言えた。

 

DAZNによると、ハーフタイムまでのスタッツで

ボール支持率 ガ大阪41% 新潟59%

シュート数  ガ大阪11本(枠内9本) 新潟4本(枠内1本)

試合全体を通してのスタッツは、

ボール支持率 ガ大阪41% 新潟59%

シュート数  ガ大阪23本(枠内16本) 新潟7本(枠内4本)

 

そして、これが公式のデータ。

ボール保持率は高くても、シュート数が少ないということ。

枠内に飛ばすシュートの率も低いということ。

この辺が、大きな課題なのですな。

ずうっと、今季はそれが課題であり続けているような気もするが…。

 

でも、後半になるにつれて、完敗・大敗はなくなってきている。

ここ10戦、3勝3敗4引き分けなのだ。

負けても1点差負けが2つで、2点差での負けは、鹿島戦だけである。

3勝4引き分けと考えると、10戦で勝ち点を取れた試合が7割の7試合である。

J1での戦いに慣れたというか、チーム力の水準も、J1にふさわしいものになってきたのではないか、と思うのだ。

あとは、ボールの支持率に見合うだけの得点力が上がれば、J1の強豪になれるのではないか、と考えている。

 

とりあえず、今日の試合もハラハラドキドキしながら、楽しませてもらった。

次は、ハラハラはしないで、期待感でドキドキする試合を見たい。

 

Visca Albirex !!

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明日は楽しみ、半月ぶりのアルビの試合

2023-09-16 21:58:41 | アルビレックス新潟

サッカーJ1リーグは、現在第27節の試合を行っている。

どういうわけか今節は、昨日金曜日3試合、今日土曜日4試合、明日日曜日2試合となって、分散している。

第26節を新潟が行ったのは、9月2日。

そして、今節の試合は明日の17日。

まるまると半月も試合間隔があいたことになる。

これだけあくということで、選手たちには前節終了から5日間の大きなオフが与えられたようだ。

気持ちをリフレッシュさせて、明日の試合でどんなプレーを見せてくれるのか、楽しみで仕方がない。

 

この中断期間に、若手の三戸選手は、AFC U23アジアカップカタール2024予選 U-22日本代表 メンバーとして、9月3日(日)から9月13日(水)まで戦ってきた。

初戦では、2ゴールを挙げてきた。

同じように、小見選手は、第19回アジア競技大会(2022/杭州)U-22日本代表メンバーに選出され、10月8日(日)まで参加してくることになっている。

こんな経験が、これからきっと彼らのプレーの向上に役に立つことになるだろう。

それも楽しみだ。

 

感染症禍になってから、以前のように練習見学もできなくなった。

ようやく今年、一般公開日も設けられ、練習の見学ができるようになった。

それで、先日、この中断期間に設定された練習公開日に、一度見学に行ってきた。

以前だと、見学の際、選手たちへの差し入れ等も自由に行われていたのだが、今は感染の恐れなどを考えて、それはできなくなっている。

また、写真撮影等は自由だが、SNS等にアップするのは禁止となっている。

だから、ここでも詳しいことは書かない。

 

行ったときには、次の日が試合のレディースが先に練習しているのも見られて、得した気分にもなった。

それにしても、選手たちのトレーニングぶりを間近で見られるのはいいなあ、と思った。

目の前でがんばっている様子を見ると、より親近感がわく。

そして、最もうれしいのが、練習終了後のファンサービスだ。

一緒に写真撮影に入ってくれたり、グッズやレプユニなどにサインしてもらったりできるのは、ファンにはたまらない。

私は、ファンサービスゾーンで、目の前を通る選手たちからサインをもらったのだが、一言でも話しかけるようにした。

ただサインをもらったり写真を撮ったりするだけではなく、試合のプレーぶりについていいと思ったことを話しかけると、より距離が縮まるような気がした。

 

さて、明日アルビレックス新潟は、アウェイでガンバ大阪と対戦する。

前回対戦時は、不調で最下位だったガンバに浮上のきっかけを与えてしまった。

今回は、その借りを返してもらうことにしよう。

 

誰が出るだろう。

どんなプレーを見せてくれるだろう。

どんなプレーでゴールが生まれるだろう。

現地にはいかないが、半月ぶりの試合が楽しみで仕方がない。

 

Visca Albirex !!!

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明け方のゲリラ豪雨、そして朝の虹

2023-09-15 17:34:53 | 自然・季節

長崎に2日連続で線状降水帯が発生したというのが、夕方のトップニュースだった。

ここ毎日のように、各地で、たった1日で9月1か月分の雨が降ったというニュースが流れている。

東京や横浜でもゲリラ雷雨となったという。

 

異常なゲリラ豪雨は、今日の明け方、当地でもあった。

夜中の3時15分ごろから、急にザアッという強い雨が音を立てて降り始めた。

寝ている部屋の窓の隙間から、雨が差し込んできたのでそこを閉めた。

ところが、雨はなかなか弱くならない。

30分ほどたってから、スマホを開き雨雲レーダーを表示して見てみると、当地の上空は強い雨を示す濃い赤の色でおおわれていた。

悲しいことに、スマホの画面では細かい文字や数字がぼやけて見える。

だから、何時頃までこの強い雨が続くのかわからない。

別室まで老眼鏡を取りに行って、やっと見ることができた。

あと20分くらいは続きそうだった。

外の様子が心配になって、玄関の戸を開けて様子をうかがった。

幸い、側溝や道路にあふれるほどの出水はないように見えた。

ふとんに戻って横になり、もうすぐ止むのかな、と期待したがなかなか止まず、ほんの少しだけ雨音が小さくなったりまた大きくなったりで、降り始めから1時間以上が経過した。

ずっと不安の中にいたのは、去年3度も大水の被害を受けたから。

それ以来強い雨が連続して降ると、また車庫の浸水などが起こるのではないかと、大きな不安にかられるのだ。

20分の倍近くの時間がたつ、4時35分を過ぎて、およそ1時間20分余りに及んだゲリラ雷雨は収まった。

ほっとした。

ただし、寝付くのには時間がかかった。

 

朝、眠くて仕方ない思いだが、目覚ましに起こされた。

起きてから西の方角に「虹が出ている」と娘が見つけ、教えてくれた。

二人で外に出てみると、また雨が降り始めたが、大きな弧を描いて虹が出ているのをしっかり見ることができた。

でも、雨のせいかすぐに薄くなって消えてしまった。

明け方の豪雨、起きてからの虹。

なかなかないことかもしれない。

朝から疲れた思いで起きたが、虹を見られたことに少しだけ心が安らいだのだった。

でも、この異常気象、とにかくゲリラ豪雨はない方がいいよ、やっぱり。

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阪神、見事に優勝!!

2023-09-14 22:12:32 | スポーツ

やりました!

阪神タイガース、セントラルリーグ、優勝です!!

 

巨人に3タテをくらわして、地元甲子園球場で優勝するのだから、阪神ファンにとっては最高の優勝決定だ!

18年ぶり6回目のリーグ優勝だというけれど、阪神の優勝はまだ6回目でしかない。

巨人は38回も優勝しているというのに。

ヤクルト、広島、中日の3球団でさえ、9回のリーグ優勝を果たしている。

広島の初優勝は、1975年。

ヤクルトの初優勝は、1978年。

その2チームは、それから9回も優勝している。

阪神は、今回がやっと6回目。

1985年、2003年、2005年が、最も近い3回だ。

伝統的な阪神-巨人戦などというが、今までの成績を考えると、古いだけで巨人とは大きな差をつけられているのが現実だった。

だから、素直にうれしい。

優勝インタビューでは、岡田監督が、「選手たちが力をつけている」「まだまだもっとうまくなる」と言っていたのが印象深い。

どうかこれから、巨人をしのぐような黄金時代を築いてほしいと思う。

 

思わず目頭が熱くなったのは、梅野選手が、亡くなった横田選手のユニフォームを持っていたことだった。

岩貞投手や、岩崎投手とも同期だった横田選手。

将来を嘱望されていたのに、難病にかかり、一度は復活したものの、結局野球を辞めざるを得なかった彼。

だが、伝説的な「奇跡のバックホーム」を残して去って行った。

今年亡くなった彼の思いを背負ってプレーして、優勝を果たした選手たちだった。

 

阪神の優勝が決まったら、14,15年前に一緒に勤めた方から、

「祝!阪神優勝」

のメールが届いた。

その職場では、私ともう一人が熱烈な阪神ファンだった。

そのメールをくださった方は、巨人ファンだった。

「いやー、強かった!リスペクト、見習うべき」

とも伝えてくれた。

彼は、私ともう一人の阪神ファンの方にお祝いメッセージをくれたのだった。

その思いやりがとてもうれしかった。

もう一人の阪神ファンの方は、私同様に「横田のユニフォーム」に涙しながら、阪神の優勝は自分の還暦祝いだと喜んでいた。

阪神優勝のおかげで、こうして、昔の職場の人との絆の強さを味わうことができた。

 

さて、これからしばらく後にはクライマックスシリーズもあり、日本シリーズもある。

めったになかった阪神の優勝。

これからも活躍し続けてほしいと思うなあ。

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阪神、優勝へのマジック1!

2023-09-13 22:17:50 | スポーツ

NPB、日本のプロ野球セ・リーグ。

阪神タイガースの優勝へのマジックが、ついに「1」となった。

9月になってから、何と負け知らずの10連勝だ。

ヤクルトに3連勝、中日に2連勝して迎えた、2位広島との戦いを3連勝して、一気に優勝へのマジックを縮めてきた。

応援する身としては、毎試合見ていて楽しい。

今日は、どうやって勝つのだろう?

なんて思ったりする。

なぜかというと、阪神には傑出した選手がいるわけではないのだ。

それなのに、勝ち続けているのを見ると、時に不思議だなあと思う。

打撃では、去年までのチームを見てみると、なかなか得点が取れなかった。

バッティングに優れた外国人選手がいなくて、いわゆる「大砲」級の選手がほしいなあとよく思ったものだ。

残念ながら、今季の外国人選手も、打ちまくるタイプの選手ではない。

だけど、今季の打線は、チャンスで意外とつながる場合が多い。

そのつながりを生んでいるのが、よくボールを選んでいることだ。

去年までは早打ちも目立ったのだが、今年はじっくりボールを選んで粘ることが多い。

その結果、四球がすごく増え、出塁する選手が多くなった。

そうなるとチャンスが増えたり広がったりするということだ。

そこで、打てないことも多いが、増えたチャンスでタイムリーが生まれることもあるわけだ。

だから、粘って四球を選ぶというのは大事なことだなあ、と思っている。

また、1番近本から8番木浪までかなりの打者が、固定されているが、それぞれの打順でそれぞれの打者の個性がよく発揮されていると思う。

安打の多い近本、出塁率の高い中野、新人ながら意外性のある森下、確実性を増した大山…と続いていくバッティング・オーダー。

今日の4-0の試合も、三振も多いが大物打ちが魅力の佐藤輝明の1発、満塁ホームランで挙げた4点で勝った試合だった。

さらに、8番に木浪が置かれて、安定した打撃をしているのは大きい。

これは、岡田監督の大きな戦術だと思う。

不確実な打線を支えているのは、投手力だ。

今日の試合で10連勝だが、先発した10人がみな勝ち投手になっている。

いかに先発投手陣が安定した力を発揮しているかが分かる。

広島戦で先発し、勝利投手となった村上、大竹、伊藤の3投手は、今季いずれも10勝投手となったことは、安定の証拠だ。

また、投手陣は高いレベルで競い合っている。

先発陣は、少し調子が落ちると2軍に落ちるが、代わりに上がってきた投手がまた力を発揮することが多い。

優れているのは先発投手陣だけではない。

リリーフ陣も競争力が高く、充実している。

抑えの岩崎は、今季は非常にすばらしいストッパーだった。

そこは決まっているものの、先発投手の後の中継ぎ投手には、岡田監督は調子のいい投手を起用しているのが、勝利を引き寄せていた。

以前は岩貞や加治屋、最近では島本や石井、桐敷などが競った場面で出てきて、見事に抑えているのをよく見ている。

そういう中継ぎ投手が充実しているから、先発投手も自分の力を出せるだけ出して、後を任せることができるのだ。

この10連勝中すべてに先発投手に価値が付いたのもその証拠だ。

まずは、充実した投手力がしっかり試合を作ってきたから、得点力が低くても失点を少なく抑えることで競り勝った試合が多かった。

この、人が余っているような安定した投手力は、8月9月のMLB大谷のエンゼルスに少し貸してあげたいような気にさえなるほどだった。

 

競り合う試合は、見ていてとても面白かった。

やはりプロなら見ていて面白い試合を見せてほしい。

その期待に十分応えてくれた今季の阪神だった。

 

そして、投手を助けたものに、去年より改善された守備力がある。

外野では、近本、森下、ノイジーが再三好守を見せてくれた。

内野でも、ショートからセカンドにコンバートされた中野が、ファインプレーで何度もピンチを救った。

ショートの木浪やファーストの大山の守備もかなりよかった。

 

こうしてみると、今季の阪神タイガースは、やはり優勝するに値する総合力を持ったチームだったのだと思う。

久々の優勝へ、マジック1。

明日、甲子園球場のファンの前で決められるといいなあ。

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「ぼくは戦争は大きらい」(やなせたかし著:小学館)

2023-09-12 20:29:05 | 読む

アンパンマンの作者であるやなせたかし氏が亡くなられてから、来月でちょうど10年になる。

本書は、亡くなる年の2013年4月から6月にかけて行った、やなせ氏へのインタビューをまとめ、12月に初版発行となったものである。

そのインタビュー取材と本書の構成に当たった方は、巻末で「まさか数か月後に亡くなるとは思ってもみなかった」と正直に述べている。

 

やなせたかし氏は、1940年の春に召集を受け、小倉の野戦銃砲部隊に入隊した。

ようやく召集期間満了となるのを楽しみにしていたのに、1941年12月8日の太平洋戦争開戦によって、召集期間が延期になった。

そのうえ、中国戦線に派遣され、終戦までをそちらで過ごした。

 

氏は、書名のとおり常に「ぼくは戦争は大きらい」と言ってきたし、自伝など様々な機会で戦争のことを語ってきてはいた。

だが、戦争体験のことだけをまとめて話すのは、本書が初めてということだった。

 

内容は、「はじめに」「おしまいに」にはさまれて、大きく次の3章で構成されていた。

第1章 軍隊に入ってみたら、こういうところだった

第2章 決戦のため、中国に渡ることになって

第3章 ようやく故郷に戻る日が来た

 

昭和15年に、氏に赤紙―召集令状が届いたところから始まる。

普通なら地元高知の連隊に配属となるところ、なぜか小倉の第12師団西部73部隊の入隊となった。

そこは野戦重砲隊で、大砲を運ぶのに機械化部隊と馬で運ぶ部隊があり、氏は後者になった。

そのために、馬に蹴られて前歯を3本折ったり、嚙みつかれて肩に痛みや歯形が残ったりもしたという。

馬の世話になったからいうのではないが、「人間万事塞翁が馬」で、他の兵より嫌な思いや危険なことはしなくてもすんだ。

 

そんなふうに、自分の兵隊経験が語られていく。

やがて下士官の軍曹として暗号班の班長になったことや、中国に渡ってからもその場所が覚悟していた最前線というわけではなかったことから、絵日記を描いていた話なども出てくる。

また、つらい生活の中にも、何らかの楽しみを見出していくのが、氏の持ち前の性格。

戦争と軍隊を内部から率直に風刺して、その経験を語っている。

なかでも、食べる物がないことがどんなにつらくて情けないかを、骨身にしみて感じた。

いろいろつらいことがあっても、空腹ほどつらいことはない。

アンパンマンが自分の顔を食べさせてあげるのは、この時の体験があったからだそうだ。

 

戦争が終わっても半年以上も帰れなかったが、ようやく日本に帰って来て家に帰る途中、広島を通ったら何もなかったことに驚き、原爆のすごさ・すさまじさにぞっとしたそうだ。

 

こうして本書で、嫌いな戦争のことはあまり語りたくないと考えていたやなせが、初めてまともに戦争のことを語ったのは、90歳を超え、同世代にはもう戦争体験を語れる人がほとんどいなくなったことがある。

戦争体験、軍隊体験を語り継ぐことで、過去の戦争のことが未来を生きる世代の記憶に少しでも残ればいいという思いからだった。

だから、次のような文章は心に響いてくる。

戦争を語る人がいなくなることで、日本が戦争をしたという記憶が、だんだん忘れ去られようとしています。人間は、過去を忘れてしまうと同じ失敗を繰り返す生き物です。

 

戦争はしないほうがいい。

一度戦争をしたら、みんな戦争がきらいになりますよ。本当の戦争を知らないから「戦争をしろ」とか「戦争をしたい」と考えるのです。

 

このような思いの表現には、実際に戦争を体験してきた者でないと語れないことだ。

まさに今の世の中に感じる不安な世界の状況が重なる。

 

なんだか、このところ世の中全体が嫌なものはみんなやっつけてしまおう、というおかしな風潮になっているような気がしてなりません。

国同士も同じことです。

国と国が「あいつは気にくわないからやっつけてしまえ」というのではまた戦争になってしまいます。嫌な相手ともなんとかして一緒に生きていくことを考えなければならないのだと思います。

 

この文章には、氏が亡くなってから起こった、ロシアのウクライナ侵攻などにも十分つながるものだと思う。

戦争をきらい、軍隊の中にあっても生活にユーモアを持って生活していた氏の、貴重な体験談をまとめた本であった。

文字も大きく、ページ数もさほど多くないから、一気に読んでしまった。

 

このインタビュー取材と本書の構成に当たった方は、巻末で「まさか数か月後に亡くなるとは思ってもみなかった」と正直に述べている。

ところで、そのインタビューを行い取材・構成者となった方の名前を見て、驚いた。

「取材・構成者 中野晴行」となっていた。

なにが驚きかというと、先日紹介した「漫画家たちの戦争」シリーズの監修に当たっていたのが、この中野晴行氏だったからだ。

 

 

「漫画家たちの戦争 戦場の現実と正体」(中野晴行監修;金の星社) - ON  MY  WAY

8月は、終戦を迎えた月だった。そのせいか、図書館には8月末になっても、戦争についてのミニコーナーが展示してあった。そのなかに、一度読みたいと思っていたシリーズ本の1...

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ウイキペディアによると、氏については、

中野晴行(なかの はるゆき、1954年 - )は、日本のフリーライター、漫画評論家。東京都生まれ、大阪府出身。

と書いてあった。

やなせ氏へのインタビューと本書の発行も、そのシリーズの発行と同じ2013年である。

この時期の、漫画家たちの戦争体験をまとめるのに、中野氏が大きな力を発揮していたということも発見したのであった。

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炎天下、激坂に負けず、つながりを確かめ…(後編)~2023たいない高原マラソン~

2023-09-11 17:52:15 | RUN

正面には、スタートゲート&ゴールゲートも見えるが、そのおよそ100m手前で、コースは左に折れる。

私の種目の8.9kmコースは、ここから約1.7kmほど上流の胎内第二発電所の手前まで走って折り返すコース。

車で行くと平坦に見えても、「上流の」と書いたことから分かるように、この道は緩やかだけど上り坂なのだ。

この上り坂を感じながら走っていたら、年輩のランナーが後ろから私を抜いて行こうとした。

その姿には見覚えがあり、ゼッケンを見て「KMさん!」と、思わず叫んだ。

「久しぶりに会えてうれしいです。以前、同じレースによく参加し、KMさんのように走れるようになりたいと思っていたのです。今はもう以前のように走れませんが。」

と話しかけると、

「いやあ、もう前のようには走れなくてね。」

との返事。

そう言いながらも、その走りはいいピッチで、少しずつ私をおいていった。

やっぱりKMさん、さすがだなあ…と思いながら、あとを追って走って行った。

この道は、比較的木陰が多いことがうれしかった。

なのに、何百メートルか先で、KMさんが突然歩き始めた。

そうかあ、KMさんもきつくて歩くなんて、やっぱり以前のKMさんじゃないんだなあ、と思いつつ、前に出た。

 

歩いていたのは、KMさんだけじゃなく、もう1組いた。

1組というのは、伴走者もいた2人だからだ。

目の不自由なランナーの伴走をしていた人が着ていたのは、アルビユニ。

「アルビのサポだけじゃなく、ランサポもやるのはすごいですね!」

と、声をかけ通り過ぎた。

「ありがとうございます!」

と、若く見えるその伴走者から返事が返ってきた。

 

第3給水所が見えた。

今まで強い陽射しにさらされていた身は、水を欲していた。

スポーツドリンクとミネラルウオーターをどちらも2カップ、手に取った。

ミネラルウオーターの1杯は、首の後ろにかけた。

 

給水所の先には橋があり、そこを渡ると、胎内第二発電所前。

この種目の折り返し地点を回る。

 

間もなく先ほどの給水所の近くにもう1つの給水所があった。

今度は、ミネラルウオーター2杯を胸と首にかけて冷やした。

その給水所を過ぎて間もなく、先ほどの1組の2人に抜かれた。

アルビユニの男性がこう言いながら。

「実は、昨日もアルビレディースの応援に行ったのですけど、引き分けでした。」

それを聞き、私も、

「いやあ、惜しかったですよね。あと2,3分で勝てたのに。」

「まったく。」

そんな会話をしながら、さっき歩いて元気を取り戻した2人は、私を置いて前へ前へと進んでいった。

 

あと1㎞の標示を過ぎて走っていると、余力のあるランナーが2人、3人と私を追い越していく。

ラスト200mくらいになったら、あのKMさんが横に並んできた。

なんだか負けたくない気持ちが湧いてきて、スパート。

ゴールゲート手前でも抜かれそうになって、さすがKMさんと思いつつも、再スパート。

ぎりぎりで抜かれずにすんだ。

ゴール後、KMさんとまた少し話した。

今年は、笹川流れマラソン、関川マラソンを走り、来月は新潟シティマラソンを走るそうだ。

互いの健闘を祈りながら、別れた。

いい出会いだった。

 

その後、もう一人のランナーとうれしい出会いがあった。

42歳の彼は、30余年前に受け持っていた子たちの隣のクラスにいた子だった。

あのときは、学年3クラスだったが、男女ともに学級を越えて仲の良い学年だった。

小学校時代に長距離走が得意な彼だったが、再び走るようになってから10年もたっていないと言う。

ダイエットが主目的だったが、RUNの大会に出ると、たびたび私の名前も見つけていたから一緒に走りたいと思っていた、と言ってくれた。

30年ぶりの再会だったけど、「会いたい」と言ってくれていたことがうれしかった。

「また、次、新潟シティマラソンで会おう。」

と、握手をして別れた。

 

最後には、16.2㎞を走ったSIさんとも、笹川流れマラソン以来の再会。

「16.2kmでも、後半は急坂じゃないからね」なんて言っていたけど、この暑さをものともしない。

同学年なのに、元気だなあ、と感心。

 

こうして、猛暑+加齢+練習不足がありながら、十分に激坂を満喫して8.9㎞をゴールした。

満喫したのは、走ることの楽しさもあったが、人とのつながりも大きかった。

一緒に走った人とでも、今回書いた、アルビつながりあり、年輩ランナーつながりあり、教え子つながりあり。

書いていないが、ほかにも2つほど「昔の職場つながり」もあって、当時のことを話し合ったりもした。

それもこれも、RUNを、走って大会に出ることをしていなければ、こうした心地よいつながりを味わうこともなかっただろう。

家に帰った後、休んでも疲労から時々くらくらすることがあったが、走ることと人との出会いは、心の健康には欠かせないなあと思ったのであった。

(この日の暑さで、レース後買ったばかりのソフトクリームが、あっという間にとけ始めた…もったいなかった…)

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