和歌山県北部に位置する九度山町は人口4300人あまり。現在、くどやま「真田丸大河ドラマ展が開催中だ。
九度山の名前の由来は、域内には高野山の開祖・弘法大師空海の母が暮らしていた慈尊院があり、空海は月に9度(それほど頻繁にという意味であろう)母に会いに来ていたことから、という。
真田太平記12-1この巻50頁で真田父子九度山蟄居は10年が。来年家康上洛で、秀頼は家康の要請を拒否と昌幸は読む。これ戦火をよぶは必定、久我山脱出の時だ。聞いてお江の胸は高鳴る。だが弥五兵衛(大殿はもしや死病に)
— 奄美海風荘 (@amami_kaihu_so) 2016年8月16日
幸村を演じる草刈正雄→https://t.co/SloPEWN1JI
真田太平記12-2レッテルの多い清正。武断派のイメージに惑わされるな。文治派三成もただの戦バカとは見てない。築城家の実力は英邁のほんの一例。財政家、治水農業振興を見よ。政治家として秀吉より上。家康も恐る。熊本城を落せぬ西郷「いかん、政府軍じゃのうて清正と戦っているようなもんじゃ」
— 奄美海風荘 (@amami_kaihu_so) 2016年8月17日
真田太平記12-3信之に岳父本多忠勝(家康の功臣)の遺言が届く2代将軍秀忠、関ケ原遅参の恨み晴れることなし、九度山の父と弟は諦めよ
— 奄美海風荘 (@amami_kaihu_so) 2016年8月18日
一方お江は関ケ原で損じた家康暗殺をこの春上洛の期に懸ける
それを見抜いた幸村「戦陣外での討ち取りは兄、及び真田一族に塁が及ぶ止めよ」父危篤で13巻へ
この巻は、戦が終わり、物語も少しゆっくりと進む。後半のクライマックスに向けて中休みといったところか。物語冒頭から妖艶な女忍びとして登場したお江も30年が過ぎ、すでに50を超えてもなお、肌艶の輝きを失わない。しかしたとえば物売りの老婆に扮するときは顔のつくりを変えるわけでもないのに老婆に顔になりきり体つきも別人のごとく、歩みぶりから声色もだ老婆そのものになる。
五瀬の太郎次「忍びばかりでなく、女という生き物はな、佐助。常の女でも、その折々に、たった一日のうちで三度も四度も顔つきが変わってしまうものなのじゃ」女は無意識のうちに演技をしているというのだ。P110
物語全体の中でも歴史上の登場人物たちの人生の中の生きざまや風貌の変わりゆく様が丹念に描かれ読みどころの一つとなっている。