カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

こんな、奈良の片田舎にも爆弾が・・・

2004年07月10日 | ▼ 思い出綴り
山と川に囲まれた田舎の小さな町に落とされた爆弾。

昭和22年8月8日の朝のこと。真夏の太陽は朝から強く照付けていた。川の近くに育った私の夏の遊び場は吉野川(紀ノ川)。

水着に藁草履でそのまま1直線に川に走ろうとしたその時、頭上でものすごい音。慌てて、庭の防空壕に飛び込んで、母や 弟たちと抱き合っていた。

その音がこの町に残した傷跡は大きかった。

大川橋の傍の散髪屋さんでは一人亡くなり、数人が重症。その中に友人のお姉さんが手の切断ということを後で知った。

さらに、汽車に落とされた爆弾の直撃で何人か人が亡くなった中に母の従兄弟がいたのだが、大阪の人なので身元が暫く分からないまま、病院の土間に筵を被せられたままだったと当時の惨状が、かなしく伝えられた。

暫く続いた爆音は、金剛山の麓の小学校に、爆弾と機銃掃射
を与え、若い女の先生二人が即死、武運長久を神社にお参りに行くため登校していた生徒一人も即死、片足切断の先生二人、散弾貫通の先生が何人かおられた。

父がこの年の三月までそこに勤務していたことから、その後の毎日の病院お見舞いに、何度も同行した記憶が、今も強烈な、悲しみと、恐ろしさと、怒りを伴って甦って来る。

9歳の頃の思い出は遠くなっても、これだけは忘れないし、多分この町にあった、戦争の傷跡を語れる世代の最後のような気がする。

かけがえのない命の尊さ、それを奪うものに、怒りを持ち続けたい。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする