
当市にある健康食品販売所「滋光会」で母の時代から会員として食品の購入をしている。
その販売所の前に「梁瀬義亮記念資料室」がオープンしたお知らせが、市の広報3月号に掲載されていた。

滋光会に買い物に行くたび資料室を訪ねたいと思いながら、ゆっくりした時間をとれたときにと延び延びになっていた。
水、金の週2回の開館であることを確かめて、先週の金曜日に訪ねた。
複合汚染」の著者有吉佐和子さんは梁瀬義亮先生の業績を「昭和の華岡青洲」と称えられたと広報にも紹介している。

階段を上がるときに目に留まったのがこの電動昇降機である。
体に障害のある人や階段を登るのが難儀な人への優しい配慮は、故人となられた先生の一生を貫いた生き方だったが、その遺志が継がれているのだ。

ドアを開けたとたんヒノキのいい香りがする。
柱も天井も通路の腰板も全て木材そのものを使っている室内は癒しの空間といえる。
壁も白い漆喰である。
新建材を一切使用せずに建築されていると、係りの方が説明してくれた。
公害の恐ろしさを常に説かれていた先生の資料室は、それを象徴するかのように自然のものを用いられている。
先生亡き後の滋光会のかたがたの中に、こうした先生の考えが浸透されていることをここでも感じた。

ガラスケースの中には先生の著書の自筆の原稿が並んでいる。
昭和50年には吉川英治文化賞を受賞されている。

お寺に生まれ育った先生は、患者さんを診るとき、仏様への祈りの心を持っておられて、診察室にはこの阿弥陀様が置かれていたという。
何度も先生の診察室でお世話になったが、時間をかけた丁寧な診察が、頭をよぎる。

この往診鞄を目にした時、胸が熱くなった。
沢山の外来患者さんの診察を終えた後、その頃もう通院する元気のなかった夫の往診を、隔日ごとに必ずしてくださった。
往診の夜12時、1時であっても必ず単車でお見えになった。
その時の鞄である。
先生が来てくださると言うだけで夫は、その日気分よく過ごしているようだった。

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先生の著書のほか、「命」に関わるものが多い。
先生が好んで聴いておられたベートーベンの曲が流れる資料室で、「命」の大切さ、そのための「食」について「農作物の安全性」にいち早く取り組まれた偉業と共に、「医は仁術」の医師としての遺徳を偲ばせてもらうことが出来た。
