大きさは、上段が直径約9.4m・下段が直径約14m・高さ3.3mの円墳であり、
埋葬者は不明であるが、天武天皇や持統天皇の墳墓の近くにあるので、
天武天皇の皇族の関係者ではないかとの説もある。
石川医院での友人の診察時間を待ちながら、道しるべを見て900mなら、往復してもあまり時間もかからないと出かけた。
< 四神の壁画の眠っていたキトラ古墳はこんな場所> | |||||||||
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ここを訪れることによって、是非開催中に壁画を見たいという思いが募ったのが事実であった。
阿部山のバス停でバスを待っていたおばさんが、「そこには今何も見ることができないよ。資料館に行ってるからね。」と写真を撮っている私に話しかけてくれた。
資料館へ行った時、入場券を買う私の後ろにいた人が、係りの人に「キトラ古墳はどの辺にありますか。」と尋ねていた。
その尋ねていた人と同じような気持ちで、高貴な人が一体明日香のどんな地に葬られていたのか知りたくて、阿部山の地に立った私だった。
保存については、 キトラ古墳周辺で16年度までに整備する飛鳥歴史公園内の新施設か、飛鳥資料館かの2つの考えがあったようだが、『「壁画は古墳と一体的に保存すべきだ」として、よりキトラ古墳に近い新施設に決まった。』とのことを報道で知り、いつかはこの辺りが大きく変わって、高松塚古墳のように、美しく整備された歴史公園になるのだろうと思いながら更新記事を書いている。