デジブック 『明日香稲渕の綱掛神事』
青空が眩しいくらいの日でした。冷たく吹いていた風も、この日はお昼前から収まってやっとお出かけ日和になりました。奈良市今市町の帯解寺(おびとけでら)へお詣りに行きました。私にとってこの日が初詣です。
帯解寺の本尊子安地蔵菩薩は弘法大師一刀三礼の作とも伝えられる、日本最古の求子安産の霊像であり、国の重要文化財に指定されています。
孫のお嫁さんの安産祈願を本堂にお参りして手を合わせました。
追記です
昨日初めて記事を書いた時にこの画像の後に書いたつもりの文が、いま読み返していて消していたのが分かりました。
孫夫婦は5か月目の戌の日に、安産祈願の御祈祷をして貰っているのを、知らせてくれていましたので、その頃から
年が明けたら、お参りに行くことを決めていたのが、やっと叶えられたのです・(1月20日)
毎日続いた雪の降るような空を、眺めている日のうちだんだんと、ブログから遠のいていく気持ちになりかけていました。
そんな時、「家に籠ってばかりいては、あかんで。今日はいいお天気だからお寺詣りに行こう。」と友人が誘ってくれた好日でした。
まだ松の内のある日でした。だのにブログの更新は今頃になってしまいました。
本堂横を回って駐車場へと下りて行きました。
途中目についたのが、この「小町之宮」の立札です。小野小町の謂れの何かがあるのかと近くに寄ってみました。
小町之宮お祀りの祠 江戸時代、境内に存在した”小町の宮”の跡地に、平成14年 石碑を建立し、開眼法要を営みました。平成16年には小町の舞の舞踊奉納をして、翌年には小町の一刀彫りの人形が祠に納められました。
下の写真2枚
境内の小町の宮跡についての説明の書かれた立札ですが、太陽の光が1部を消していますのと、文字が小さくうまく写真に撮れなかったので、祠の画像の後に検索したことを書きました。でも安産とは関係なく小野小町が、この地の北の神社で疱瘡の平癒を祈ったと伝えられていることが、上の立札に記されています。
温かい春の訪れが楽しみです。
毎日の雪雲がすっかり空高く上がって、山に掛からなくなった今日の夕暮間近の東の山々です。
夕日に照らされて奥吉野の山並が、みんな姿を現しました。私がこれらの山並みが見えた時には「奥吉野アルプス」と呼んでいます。この冬になってこんなに美しく見えたのは初めてですから、わくわくしながらカメラを向けました。大台山脈と書かれている写真も見ましたが、私の家の裏からの正しい山の名前は、しっかり捉えられなくて、「奥吉野アルプス」の方が気に入ってそう勝手に名付けています。
今年はこんな山も見えました。本当の名前が分かればいいのになぁと・・・
大台が原かなぁ
大峰山かなぁ
これだけが分かっている高見山です
久しぶりの青空の広がった今日、もうすぐ入日という頃に上の奥吉野の雪山がよく見えます。
日中だと日が高く明るすぎて、白い山の峯はぼんやりしていました。
夕方ならではの家の裏からの大好きな景観です。
昨年の手帳の12月25日のページに、しっかり挟み込んである1枚のカードです。
絶食で水分さえ口から取れず、24時間点滴の針が腕に、イレウス管が鼻から喉を通して胃へ、そこから出る胃液の袋が点滴の支柱の下にある状態で、寝返りをすれば喉の管が痛く、日頃元気に動き回っていた身にとっては、じっとしているしかない辛い時間の流れでした。
世間がクリスマスの賑わいの中にある時だということすらすっかり忘れて、ぽつぽつと正確に落ちてくる点滴を、ぼんやり見つめていました。
「メリークリスマス」のカードを看護師さんが届けてくれました。気弱になっている私は、嬉しくて涙が出そうになりました。
絶えず患者からの呼び出しベルがなって、いつも忙しそうに病室を動き回っている時間の合間に、入院患者一人一人の病状を察した励ましのメッセージを書いてくださる優しい心遣いに、このクリスマスカードは大切にしておこうと思いノートに挟んでおきました。
今回の入院でお世話になった看護師さんの、行き届いた優しさには、何度も触れて、いつも患者の身になって心を寄せた看護に心丈夫に思いました。
明るい笑顔、言葉がけ、同室だった100歳近い高齢の人への、同じ質問や要求にも、気持ちよく話して、聴いてあげるのは、どの看護師さんも皆さん同じでした。何年か前、父の付き添い、夫の看護に数えきれないほどの病院での付き添い看護をしてきましたが、時代も変わったとはいえ、この病院での看護師さんの、患者の扱いというか接し方の優しさには、感謝の気持ちでいっぱいです。
昨年の12月24日の事です。午前中に軽井沢の弟に頼まれた買い物をして、送りの依頼も済ませ、午後からは年賀状を印刷する予定をしていました。そこまでは平常と少しの変りもなかったのです 。異変は突然起こりました。軽井沢の義妹からの電話中に何の予告もなく急に胸が悪くなりましたので、「ちょっとしんどいから、後で電話するわ。」そう言ってトイレに走り込みました。激しい嘔吐に体中の水分がなくなってしまうのではないかという不安で、トイレの前の廊下にへたり込んでしまいました。
30年前の夏休み、大きな手術をして退院できた1週間後の状態と全く同じだと気が付きました。あの時はまだ若かったし実家の母に電話をしてきてもらう力もあって、母は私の様子と退院後すぐの出来事だったものですから、病院への搬送をすぐ救急車に頼んでくれました。
その時の病名は「術後イレウス」・麻酔による癒着で腸閉塞を起こしているとのことでした。1週間絶食と点滴で腸の働きもよくなり退院し2学期から職場に戻ることができました。その後30年間は全く健康でしたので、嘔吐の苦しみは1度もなく、すっかり忘れていたくらいでした。
所が激しい嘔吐の連続で30年前の事と同じ状態を思い出し、廊下に座り込んだまま、電話をする力さえなくなって不安ばかりが一層募るのでした。
そんな時勤めに出ていた息子が、「どないしたん」と離れに飛び込んできてくれました。
誰にも知らせるすべもなく動けなかったのに・・・。
後でわかったのですが、軽井沢の義妹が「姉さんの様子がおかしい」と電話の向こうで気が付いて、大阪の娘のところに電話をし、娘から兄に携帯で連絡して、それを聴いて息子がすぐ職場から駆けつけてくれたそうです。
もし軽井沢と私と電話中でない時に、急変が起こっていたら私は廊下に倒れたまま脱水状態で、どうなっていたかと思うとすべてが幸いしたことに、偶然でない何かに助けられたように感謝感謝の気持ちでいっぱいです。
救急車に乗るまでに、今飲んでいる薬、お薬手帳、保険証などバックに入れておいてくれました。
バック以外に何も持たずに緊急入院となりましたので、その後の入院生活でいるものなど、息子、娘、孫たちにどれだけ助けられたかわかりません。つくづく身内や知人友人の手助けの有難さを身に染みて感じたあの日の出来事でした。