去る6月29日に、私はここに来ている。
その時の写真が、まだフォルダーの中に入ったままだった。
どうしたのだろう。
この頃には忙しかったのかしら、それとも、ほかにすぐにUPしたいことがあったのだろうか、と今更その頃の事を紐解いてみる事もせずに、雨降り続きで、なかなか外にも出ずに、昨夜はこの写真を見つけ出したのだが、ボランティアの指編みが完成するまで夜更かしをしていた。

石舞台古墳の見える丘に咲く紅花満開の時、6月29日撮影
地中海沿岸、中央アジア原産。
6世紀に高句麗の僧侶が日本に紹介し、推古天皇の時代から、紅色の染料をとるための植物として利用した。
この場所からは、季節の巡りごとに、何か見つけてカメラに納めているが、この季節には紅花の栽培をしている花畑があるので、
それを期待して早朝に出かけた。
花から得られる紅は女性の口紅にされ、平安王朝人の紅や桜色の衣装を染め、 また、古代エジプトのミイラの 布の防腐にも使われた。
そのような古代にはすでに栽培されていた花なので、ここ飛鳥歴史公園で栽培しているのは、歴史との繋がりを想像できる花としてもいいものだと、来るたびその時代に想いを馳せるロマンの地でもある。
こんな青い空が明日香の早朝の空の色だったのだと、今 毎日続く雨の空を、恨めしく思う。
・源氏物語での光源氏は、愛した赤い鼻の女性に「末摘花」と名付けている。黄色から次第に赤くなっていく花の先を摘んで、染料としたところからそんな名前を付けた、紫式部の感性が、何となくユーモアであり、少し哀しみでもある。
また同じく源氏物語で、葵上(あおいのうえ)を弔う喪服に紅花で染めた布を使用した。
紅色の喪服なのか、更に濃く重ね染をしたのだろうか、源氏物語を読んだとき、このような細かい表現を読みとってはいなかった私である。
紅花の向こうに、道路を隔てて古の昔から、この地の主的存在の石舞台を望むことができる。
種子からコレステロールを取り除くリノール酸を含む、良質の油が採れる。今では食用油としての需要が多い(→ べにばなサラダ油)
油のすすは 墨として使われる。花は7月頃咲き、咲き始めは黄色、しだいに赤っぽく変わる。花は紅色の色素を含み、
染料や薬用として使われる紅花の名前も、ここからきている。山形県の県花。
特に最上川周辺で栽培が盛ん。
場所をかえながら、休憩用のベンチに座って、紅花と石舞台古墳の風景を、長い時間ぼんやりと眺めていた。
ベンチに座っていると、無数のトンボが飛び交っている。
飛んでいるのは撮れないが、たまたま生垣の先に羽根休めをしたトンボがいたので、待つ間もなく撮ったが、すぐに仲間を追って飛び立って行った。