カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

葛城山麓のヒマワリ

2015年07月20日 | 季節の花

 

 

7月14日撮影・場所葛城山麓すぐ山の麓

今日の画像は台風が来る直前の14日の午前中に撮ったものである。

毎年撮っている、山麓線の山田の道路端のヒマワリではない。

この日台風が通過する予想図を見ながら、お天気なのはこの日の後は、ずっと雨模様だったので、様子だけでも見てこようと、家事もそこそこに出掛けたが、道路からはヒマワリは全く見えなかった。

 

車を置かせてもらって、山田のいつも花の咲ている所を歩いていると、草刈りをしてきたらしい軽トラに乗った、農家の方と出会ったので、ヒマワリの花の開花はまだなのか尋ねてみた。毀れ種からのヒマワリの花は咲いているが、畑一面の花の開花は、もう少し先だとのことだと教えてくれた。

 

 

 

「今咲いているのは・・・」と山麓線の山に最も近いすぐ麓の方を指さして「あそこやなぁ」とのこと。

遠くて、暑いし歩くのは自信がなかったので、軽自動車では行けるかと聞くと、道幅は大丈夫だけどコーナーは慎重にゆっくり回るようにと親切に言ってくださった。

 

 

なれない細い道をのろのろ辿ってやっと、下から見えたヒマワリ畑についた。

小ぶりのヒマワリが一生懸命に咲いているようで、苦労してきた甲斐があったと嬉しくなった。

 

 

  

一か所だけでなく、少し離れて何か所かに植えてあるのも、畦道の草を刈ってくださっているのも、地区の人の優しい気持ちの表れのようで嬉しかった。

 

 

  

中でも、元気そうなにこやかなヒマワリを、最後に1枚撮った。

あの日から1週間経っているので、いつもの産直店あたりのヒマワリもそろそろ咲くのではないかと、昨日ここを通ってみたが、

「ヒマワリがいっぱい」といったような風景はまだ見られなかった。

今日は梅雨が上がった模様との気象情報があったし、気温の高い快晴の日がここ2~3日続いているので、間もなく葛城山麓一面のヒマワリの開花が見られるだろうと、近日中に行ってみようと思っている。

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朝の空と夕暮れの虹

2015年07月14日 | 

 

 

午前6時30分の空、高く・青く・どこまでも澄み切っていた。

 

 

 

大きな台風が今週中にやってきそうな気配もない。

海上を大暴れしながら、自転車並みのスピードで、その分発達できるだけ発達してくる。

 

 

 

この空を見ていると、まるで梅雨明けの後の空のような錯覚を起こす。

あまり美しいのでその後荒れるなんて思いたくない。

 

 

 

夕方突然の雨音に驚いて、家中の窓を閉めて回るのに、膝の痛さも忘れて走り回った。

閉め切った部屋の中は、クーラーなしではいられない。

雨はごく短い時間の降り方だった。

急いで窓を開けると、いい風が入って気持ちがいい。

虹が半分見えた。

 

 

 

東の部屋へ行ってみると、思った通り弧を描いた虹が東の空に架かっていた。

その頃ラジオから大和高田市に大雨警報が出たと報じていた。

同じ県内でも、虹の出る夕暮もあれば、側溝からあふれた水が家屋に入ってくるような降り方もするのだ。

明日は台風の影響がもっと現れ、高温多湿で急な大雨が降るかもしれない。

不気味な台風の動きが気になる。

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合歓の花

2015年07月13日 | 季節の花

 

 

合歓の花の咲き始めた頃に長雨があったので、写真を撮りたい撮りたいと思いながら、いつも通る道の合歓の花は撮れずじまいで、赤茶けた色になってしまった。

今日道路の幅の広い住宅団地へ続く道を車で走った。

あるある!まだ合歓の柔らかい紅刷毛のような薄いピンクの花が優しく咲いている。

合歓の花は、最初6月初めに咲いて、いったんなくなるがまた8月になると同じように花が咲くものだと、何かで読んだことがあるが、この場所は前に咲いて2度目の花かどうかはわからない。

 

 

 

・オジギソウの葉は触るとシューッと閉じるが、ネムノキの葉は 触っただけでは閉じない。
 夜になるとゆっくりと自分で閉じる。それがまるで眠るようなので「眠りの木」、そしてしだいに「ねむの木」に変化していった。 

  

「合歓咲く 七つ下りの 茶菓子売り」  小林一茶

 「象潟(きさかた)や 雨に西施(せいし)が ねぶの花」  奥の細道 松尾芭蕉

古代は万葉集から子供の世界を句に多く読み込んだ、一茶や中国の美女にたとえた合歓花の芭蕉など、多くの文人にも愛された花であることに惹かれてこの花を見つめる。

 

  

お天気の良いお昼、しっかり葉を広げたその部分は細やかで美しい。

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万葉の昔は百済野

2015年07月12日 | ☆ ふるさと・大和

 

 


曽我川と葛城川に挟まれたこの付近一帯は、万葉の昔には「百済野」と呼ばれたようだ。『日本書紀』には応神天皇7年9月に、高麗人・百済人・任那人・新羅人、共に来朝せり、と記す。おそらくその時渡来した百済人たちがこの地に住み着いたため、百済野の呼ばれるようになったのだろう。 

三重の塔に惹かれて辿り着いたところは、「百済寺公園」の石標があり、子供の可愛い遊具のある芝生の広い遊び場だった。

駐車場も完備してあり、気持ちよくあたりを散策できた。

 

  
百済野の 萩の古枝に 春待つと 居りし鶯 鳴きにけむか (山部赤人 巻8-1431

境内の梵字池の傍に、万葉集の山部赤人の歌碑がありその辺りには、まだ花の咲いていない萩の葉の重なりが多くみられる。

塔の一階は縁のない高欄をめぐらし、中央間板に唐戸、脇間に連子窓がある。

 

初層の屋根を見上げると、二軒繁垂木を二手先組物で支えている。屋根には本瓦が葺かれ、四方の軒先には風鐸が吊されている。二層と三層の屋根も初層と同じ構造だが、部材の塗りが所々に見られるが、創建当時は綺麗な塗りがこの百済野に、際立って綺麗に見られたであろう。

 

百済寺の三重の塔は、このようにすぐ傍から見上げることができたので、他では見られない細かい部分も分かった。

しかし本堂はどこにあるのかと境内を歩いた。

 

大職冠と呼ばれる本堂

百済寺は、高野山真言宗の寺だが、山号はない。寺の創建時期や経緯も明らかでない。

寺が荒廃してきた弘仁年間、空海がこの地に留まり、三重の塔を建立し、仏像を安置して梵字池を掘ったと伝えられている。

寺は、三重塔と大職冠と呼ばれる本堂を残すだけで、隣接する春日若宮神社によって管理されている。(百済寺の前の郵便局で頂いたパンフレットによって、これらのことを知ることができた。)

江戸時代には談山神社の領地となり、百済寺はその末寺であったためか、本堂は談山神社の旧本殿を移築したもので、大職冠と呼ばれている。

 

大職冠と呼ばれる本堂の軒下部分

 

春日若宮神社の扁額を掲げた石の鳥居をくぐると、右手に古びた三重塔が聳えている。

 

 

境内の端に摂社がいくつも並び、百済寺の三重塔を守っているようにも見える。

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百済寺の三重塔

2015年07月11日 | ☆ ふるさと・大和

 

 

 

見渡す限り田圃と人家から一際背伸びをしているかのような、相輪が目に入った時、それが相輪であるとはっきり分かるまでには、その目的に向かって車をゆっくり走らせてもらった。

近づくにつれ形の良い三重の塔が姿を現してくる。

初めて来る場所、初めて通る道路であっただけに、「いいなぁ!」と思わず感動。

 

 

梅雨の晴れ間の青空にすっくと伸びた相輪が美しい。真夏日の温度を更新したという日であったけれど、暑さを感じるより先に相輪の綺麗さに暑さを忘れてカメラを何度もむけていた。

 

 

 

広陵町は馬見丘陵公園へは、何度も来ていたが、その往復だけでこの百済寺のある場所は全く知らなかった。

 

 

こうして全景を眺めていると、屋根の反りと四方についた風鐸は、晴れた日だからなおさらいいと、心に飛び込んでくる。 

 

 

  

すぐ下で仰げる位置にあるので、好きなアングルを思いつくままに撮っていくのが楽しい。

 

 

 

今ここに存在する塔そのものは、鎌倉時代の創建であると記されているが、この塔の位置するお寺のことがあまりはっきりしていないようだ。それだけにこんないい塔の存在が何となくミステリアスなのに、惹かれていく。 

 

 

書き始めた頃には、あれほど晴れていたのに、今ラジオが雷注意報が出たことを伝えているので、続きは次回にしよう。

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