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「にっぽんの道」松尾芭蕉

2023年01月16日 | 雑文

たまたまつけたテレビ(BSフジ)で、「にっぽんの道」を見ました。

松尾芭蕉の伊勢参りについて取り上げていました。

 

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https://www.bsfuji.tv/nipponnomichi/pub/01.htmlより引用


『にっぽんの道』

<出演者>
東儀秀樹(雅楽師)
馬渕尚樹(大垣市奥の細道むすびの地記念館 館長)
音羽悟(神宮司庁 広報室 広報課長)
<ナレーション>
森本レオ


第一話「芭蕉のお伊勢参り~終わりから始まる道~」
 大垣から伊勢へ、元禄2年(1689)、5ヶ月をかけて東北、北陸をめぐった「奥の細道」の旅を終えた松尾芭蕉は、結びの地・岐阜県大垣から舟で桑名へ、さらに伊勢へと向かいました。伊勢神宮の20年に一度の神宮式年遷宮を拝しようとしての「新たな旅立ち」でした。俳聖と呼ばれた芭蕉は、なぜ長旅の末に神宮式年遷宮を拝したかったのか。「奥の細道」の「終わりの地」から始めた旅で、芭蕉が見、そしてその胸に去来したものとは・・・?芭蕉の「道」に迫ります。

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芭蕉は、寛永21年(1644)に伊賀上野の赤坂町に 生まれ、 元禄7年(1694)に没したそうな。50年の生涯。

 

芭蕉は、40歳の頃に母親の訃報を聞き、墓参りを旅の目的にし、奈良、京都、名古屋、木曽などを半年間巡った。

それを書いたのが「野ざらし紀行」。

 

その後、1689年、45歳の時、東北地方への600里(約2400km)の旅を実行した。

それが「奥の細道」。

出発は千住。「行春や鳥啼魚(とりなきうお)の目は泪」

終点が美濃国大垣。「蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ」

 

大垣で約2週間逗留した後、芭蕉は大垣からお伊勢さんへ7日間の旅をしたそうな。

途中、曽良のおじさんのお寺で信宿。

  ※「信宿」という言葉を初めて知りました。同じ所に二晩宿泊すること。

この旅は、芭蕉にとっては6回目の伊勢詣で。

(※6回以上伊勢参詣したという説もあるらしい)

ちょうど式年遷宮の年で、外宮の遷宮の様子を芭蕉は見たそうな。

詠まれた句が「尊さに皆おしあひぬ御遷宮」

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「にっぽんの道」は、私が久しぶりに熱心に見たテレビ番組でした。

私もまた伊勢神宮へお参りしたくなりました。

2023年1月21日(土) の第二話「古代の文化が通った道~難波から飛鳥へ、竹内街道~」も面白そうです。

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https://www.bsfuji.tv/nipponnomichi/pub/02.htmlより引用

2023年1月21日(土) 14:00~14:55

『にっぽんの道』
第二話「古代の文化が通った道~難波から飛鳥へ、竹内街道~」

 『日本書紀』の推古天皇21年 (613) 、「難波より京 (飛鳥)に至る大道 (だいどう)を置く」と記される大阪と飛鳥を結ぶ道が、日本最古の官道と呼ばれる、竹内街道です。大阪の難波から堺へ南下し、日本最大の大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)から東へ向かい、飛鳥川に沿って太子町から竹内峠を越え葛城市、長尾神社へいたる道です。 沿道には巨大な古墳が並び、外国からの使節が行き交い、大陸から渡来した物資・技術を飛鳥の京にもたらし、そして留学僧や渡来人たちを受け入れたと思われる道は、聖徳太子の信仰をも支えていました。第二話は、竹内街道を辿りながら、この国のあけぼのを見つめます。

<出演者>
遠藤慶太(皇學館大学 文学部国史学科 教授)
白神典之(堺市博物館 学芸課 学芸員)
木谷智史(太子町教育委員会事務局生涯学習課 副主査)
近藤本龍(聖徳太子御廟所 磯長山 叡福寺 管主)
吉川雅章(長尾神社 宮司)
注)吉川雅章の「吉」は異体字が正式表記
<ナレーション>
森本レオ

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