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   ある日のできごと、心の呟き、よしなしごとetc

五峰山光明寺(ごぶさんこうみょうじ)

2008年11月22日 | 自然
先日、播磨高野とも称される、五峰山光明寺(兵庫県加東市 中国自動車道滝野社インターから車で10分)へ出掛けた。

山の中腹の駐車場には、外回りの営業の人たちの車がたくさん駐まっていた。
すべての車が、滝野の町を見下ろせるところにきれいに並んでいた。
皆さん下界を見ながらお昼休み時間を車の中でゆっくりとくつろいでおられる様子。



私は登り口近くに車を駐めて、本堂を目指した。

急な坂道を歩いていくと、仁王様がいらっしゃる仁王門に着く。

天気はよかったが、風が少々あり、気温の低い日だったので、手袋がほしいと思いながらの散策だった。

  仁王門


  
    豊かな色調のモミジ。このような紅葉を「斑濃(むらご)」というのだろうか。


光明寺本堂  





途中出会ったのは、寺の庭の草取りをしている女性二人と、参拝者3名のみ。
静かな時間が流れた。

駐車場に戻ると、車は一台もない。
皆さん仕事に戻られたのだろう。

冷え切った体の私は車の暖房をオンにし、ちょっと一息いれてから五峰山を後にした。



以下は、【http://www.koya.or.jp/henjoin/】より引用

光明寺は、推古天皇2年(594)インドの行者法道仙人が当山に入ると、千手観音菩薩を捧げ持った一老翁に会い、『この地大悲縁応の勝区、須らく之を開いて永世を利せよ』と、告げられたことより開創されました。
開山以後、平安初期、当寺第28世学仙僧正と法契のあった慈覚大師円仁は当山に留まり、仁明帝の勅願により、常行堂を建立。以来、第54代仁明天皇の勅願所となりました。
清和源氏の基礎を固めた武将、多田ノ満仲は当寺の竹を旗竿に用い、豊臣秀吉の朝鮮出兵の折にも旗竿に用いられました。また、足利尊氏と弟直義との不和から生じた光明時合戦は有名で、本堂裏に本陣跡が残されています。
新西国28番、播磨西国18番の観音霊場でもあり、特に秋の紅葉の頃には、多くの参拝者の方が訪れます。
本堂左からは、明石海峡大橋も望むことができます。
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