Remembrance 2006/09/06-2020/06/08  2020/07/01-

   ある日のできごと、心の呟き、よしなしごとetc

祇園祭(前祭)A  1 長刀鉾(なぎなたほこ) 2 函谷鉾(かんこぼこ)     20240717

2024年07月21日 | 
2024年7月17日の山鉾巡行の日に私が見たものを順番にアップしていきたいと思います。


1 長刀(なぎなたほこ)
四条駅に着いたのは6時半頃。
 
早朝の四条通  

四条通の北側に建つ長刀鉾  

鉾はまだ埒で囲まれています。 
ビニールも付いています。 

  

   

   



活気があります  

東側から撮影  

紙垂(しで)と榊   
  
鉾頭(ほこがしら)の長刀   
 

再び西側から撮影

6時50分頃、見送りが垂らされました。

   
   
     

        


6時50分頃の四条通  

--------------------------------------------------

http://naginatahoko.jp/より引用

「くじ取らず」の鉾として、常に山鉾巡行の先頭を進みます。長刀は疫病邪悪をはらうものとして、鉾先に大長刀をつけているのでこの名で呼ばれます。山鉾の中で唯一生稚児が乗ります。
------------------------------------------------------


2 函谷鉾(かんこぼこ)


四条通を西進  

6時50分頃
函谷鉾が建っていました   

函谷鉾も巡行順の「くじ取らず」の鉾で、5番目の巡行です。

函谷鉾の鉾頭は、山稜を表わす三角形 と三日月。

作業が始まっています。長い木材が撤去されます。

  


「モン・サン・ミッシェル」前掛け

    


「エジプト天空図」見送り  

   


大きな車輪です    



胴掛け  

   一「梅に虎文」  二「赤地花唐草文」  三「玉取り獅子文」     


埒の撤去作業はどんどん進んでいきました。

   

      



--------------------------------------------------
https://www.kankoboko.jp/より引用

函谷鉾は、四条通室町東入(烏丸西入)函谷鉾町の鉾で応仁の乱(1467~1477)以前に起源を持ち、くじ取らず(五番)の鉾として、長刀鉾に次いで鉾二番に巡行し、鉾櫓、屋根の規模で最大級の鉾の一つです。
--------------------------------------------------

https://www.kankoboko.jp/about/hoko.phpは、とても充実してます。

https://www.kankoboko.jp/about/hoko_kesouhin.phpの前掛け、見送り、胴掛け等々の写真がきれいです。
説明文を読んでいると、いろいろ勉強になります。
※「懸装品」は「けそうひん」と読むのですね。

https://www.kankoboko.jp/about/hoko_kesouhin.php

--------------

https://www.kankoboko.jp/about/hoko.phpより引用

地上から鉾頭まで約24メートル、重量約12トンあり、巡行時には囃子方最大約70名、屋根方4~5名、音頭取り2名(辻回し時は4名)が乗る「函谷鉾」。


            
前掛け                
●重要文化財 ゴブラン織り
函谷鉾の至宝で、国の重要文化財にも指定されている16世紀にベルギーで製作された毛綴織の前掛けです。
旧約聖書創世記第二十四章の「イサクの嫁選び」の場面が描かれており、函谷鉾では18世紀の初頭から函谷鉾の前掛として使われてます。
平成17年(2005)に復元新調。祭り期間中は会所2階に新旧を並べて展示します。

見送、前掛
●「エジプト天空図」見送
皆川泰蔵作 昭和五十五年(一九八〇)新調
三百八十センチメートル×二百三十センチメートルでスカラベやタカの造形飾り金具が最上部に大きな見送房一対とともに四つ、最下部に見送裾房とともに十コ付けられています。
「モン・サン・ミッシェル」前掛
平成十年(一九九八)に皆川泰蔵氏より寄贈を受け、前掛用に仕立て直した。フランス、ノルマンディーの海岸に浮かぶ世界遺産の聖堂をメインに飛行船と気球を描いたもの。

            
胴掛(三種類)
函谷鉾の胴掛は「北流れ(左側=笛方側)」と「南流れ(右側=鉦方側)」にそれぞれ三種類、同じものが前(進行方向)から順に掛けられている。進行方向から順に
一.「梅に虎文」
十七世紀、李朝の朝鮮段通。
斜目の格子額の中に太い幹の梅樹と大虎が織り出されたもの。
百十一センチメートル×百七十五センチメートル。現在は平成三年に復元新調されたものを使用している。

二.「赤地花唐草文」
十七世紀から使用している華文唐草模様のペルシャ絨毯。
百四十八センチメートル×百八十二センチメートル。現在は平成二年に復元新調されたものを使用している。

三.「玉取り獅子文」
十七世紀から使用しているアラビア文字額の中に〝玉取り獅子〟の中国段通。
〝玉取り獅子〟の図柄は雌雄の獅子がじゃれ合うとその毛玉から立派な獅子が生まれるという吉祥模様である。
百八センチメートル×百七十一センチメートル。現在は平成三年に復元新調されたものを使用している。


            
稚児人形
天明八年(一七八八)の大火で消失した函谷鉾は天保十年(一八三九)に復興を果たしました。このとき、他町に先駆けて左大臣一条忠香卿の御令息実良君(さねよしぎみ=明治天皇の后、昭憲皇太后の実兄)をモデルに稚児人形を製作、「嘉多丸(かたまる)」と命名していただきました。

            
鉾建て                            
七月十日から十二日まで三日間、延べ百八十人の手によって鉾が建てられ、絢爛な姿を現します。


            
作事方
鉾には専門の技術集団があり、鉾屋根を組み立て大工仕事などをする大工方、鉾の櫓を組み立てる手伝い方、車輪を取り付け鉾の動きを操作する車方を一般に作事三役といい、函谷鉾では古くから「三役」と呼んでいる。三役は天保の再興時より今日まで毎年七月一日の吉符入りでは町内に誓約書を差し入れ、祭礼に際し万全の心構えを示す、重い責任と高い誇りを持ったプロの技術者集団である。
三役によって組み立てられ、動かし操られた鉾は巡行を終えると即座に解体(鉾に集まった疫神が滞らないようにするため)され、蔵の中でまた一年の眠りにつく。

            
大工方
鉾屋根と囃子台を組み立て、修理などの大工仕事をするのが大工方。巡行時には屋根に上がり、狭い新町通では転落の危険を顧みず、すさまた棒を用い電線や電柱の障害物を押し退け、安全な巡行の役割をはたす「屋根方」である。

      
手伝い方
鉾の櫓(胴組)を組み立てて縄絡みを施すのが手伝い方。櫓を寝かせて真木を差し込み起こす作業は圧巻である。巡行時は「音頭取り」として交替で二人が鉾の前面に立ち、扇子と音頭で鉾の巡行を促す。辻回しの折は四人に増やして曳き子との調和を図り、勇壮な辻回しを行う。

            
車方
車輪を取り付け、かぶらてこ、おいてこ、かけや、ささらなどの道具を使って、鉾の進路の調整や停止、辻回しの作業を行う。狭い新町通では細心の注意を払い、電柱、電線、看板などの障害物を微妙な手さばきで鉾の巡行に努める。

            
囃子方
巡行中囃される祇園囃子は少年期の鉦、その後の笛、太鼓で構成され、各鉾、曳き山でそれぞれ二十~七十名おり、函谷鉾では小学生から八十歳程度の年輩まで約七十名が鉾に乗り込む。七月一日から八日までの「二階囃子」、十二日の曳き初めから十六日までの宵宮囃子(鉾囃子)、そして十七日の巡行を迎える。宵山(十六日)の夜には四条寺町の八坂神社御旅所まで翌日の巡行の安全を願う「日和神楽」が行われる。函谷鉾の囃子曲は四十数曲あり、鉾が進行中は必ず祇園囃子が囃される。かつて巡行中に鉾の上から投げられていたチマキは、事故により自粛され、現在は上から投げることは無く、保存会役員が関係者に手渡ししている。


            
囃子の道具
祇園囃子は「コンチキチン」の鉦の音色が特徴的であるが、リズムを刻む鉦、メロディーを奏でる笛、テンポを司る太鼓の三楽器で構成される。

鉦は直径二十センチメートル側面六センチメートルの青銅合金製で、銅と錫の割り合いや分厚さの兼ね合いもあり各鉾それぞれに音色が違う。鉦の凹面の底を打つといわゆる「コン」である。凹面の下縁を振り下ろして打ち、そのまま振り上げ凹面の上縁を打って上方へ振り抜き、続いて凹面の下縁を振り下ろして「チキチン」である。鉦を打つバチは「鉦すり」と呼ばれ、柄は長さ約三十三センチメートル、厚さ五ミリメートルの鯨のひげ製であったが、近年、「鯨のひげ」の入手不足から樹脂製の柄を使用している。「鉦すり」の頭は三十三ミリメートル厚さ十七ミリメートルの鹿の角製であるが、固さと大きさの具合から角の根の部分を使用するため、近年はエゾシカの角を使用している。個人持ちであるが七千円~一万円と高価であり、力強く連打することもあって柄の折損、頭の割れなど破損しやすく、二~三本づつ予備を持つのが普通である。

唯一の旋律楽器の笛は七つ穴の能管で二十万円から三十万円のものが多く使われているが個人持ちである。 昭和初期まで笛方は笛専門の奏者が日当を得て囃子に参加していたが第二次大戦前後からは鉦方からの希望者を養成している。

太鼓
太鼓は能や歌舞伎で使われる締太鼓で胴の直径二十六センチメートル、高さ十四センチメートル、皮の直径三十五センチメートルで牛の皮と欅の胴を朱橙に染めた麻紐(調べという)で締め上げる。檜の二本のバチで打ち、函谷鉾では打つ側の皮の中心に皮の保護と音の調整のため直径六センチメートルの鹿皮を貼っている。締め上げるのに力が要り、担当する若手の手のひらにはマメが絶えない。


            
四条通での囃子
七月十七日午前八時三十分ごろ、おもむろに鉾は町会所から離れ、静寂の中、車輪の音を軋ませながら四条通を西に室町まで曳かれ町内出発のときを待つ。 稚児人形嘉多丸君の日除け幕が外され、ビルの谷間に太鼓の音が響くと囃子方の低く重い掛け声と音頭取りの掛け声が重なり、笛、鉦が最初の音を出すと鉾が進み出し拍手が沸きあがる。曳き子の力強さと囃子方の厳粛さが鉾全体に漲る。「地囃子―出わか」を奏でながら鉾宿の前を過ぎるとき、一際大きな拍手と「行ってらっしゃい」の声がかかる。
午前九時、長刀鉾が出発、山が三つ入ると間髪置かず函谷鉾は改めて曳き出しの地囃子を囃し町内を後にする。東洞院~高倉で「出鶴」、堺町の「くじ改め」で「出函谷」を囃す。寺町の御旅所で再び「出函谷」を囃すため、間に「出わか」を入れる。本社遥拝の後、長刀鉾の「辻回し」待ちで小休止。 進発後、四条河原町交差点進入前に「小松」に入り、「神楽―唐子―白山―「戻り囃子(地囃子)」と繋がり、この間囃子の短縮はできないので「小松」に入るタイミングが微妙であり、河原町西入の呉服店あたりを基準に経験で「小松」に入るタイミングを決めている。

            
水引
水引は屋根の回りの梁から四本の化粧柱を囲み、欄縁に座る囃子方の頭上を囲むように掛けられる上(天)水引と、欄縁のすぐ下に掛けられ、胴掛、前掛などの上部を飾る下水引がある。

裾幕
鉾の左右側面の胴掛の下部にあり、縄絡みや辻回し時に車輪に敷く竹ささらを巡行中に隠すように覆うのが裾幕で、下幕とも縄隠しともいわれる。


            
真木
梅雨空の曇った天に雨模様とともに見上げる真木、あるいはその合間の真っ青な中空に向かってそそり建つ真木。鉾の真木には上から順に、鉾頭(ほこがしら)、大幡(おおはた)、天王人形(小屋根、岩=台、含む)、関、角幡(かくはた)、榊、しゃぐま(飾り結び)、しゃぐま垂れ、網隠し(あみかくし)などの真木飾りがある。

----------------------------------------------------------------------
https://doncho.suminoe.jp/product/kesouhin/index.html
        
祇園祭(京都)函谷鉾の「前掛幕」、「後掛幕」、「胴掛幕」は当社が復元しました。
----------------------------------------------------------------------




1 長刀鉾
2 函谷鉾
3 月鉾
4 船鉾
5 岩戸山
6 白楽天山
7 鶏鉾
8 綾傘鉾
9 船鉾(再度)
10 放下鉾
11 郭巨山
12 四条傘鉾
13 蟷螂山
14 放下鉾(再度)
15 菊水鉾

巡行の様子
16 鶏鉾 
17 月鉾
18 太子山
19 綾傘鉾
20 菊水鉾
21 蟷螂山
22 木賊山   
23 放下鉾
24 占出山


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 山鉾巡行の日の早朝、祇園祭... | トップ | 祇園祭(前祭)B     3... »
最新の画像もっと見る