Remembrance 2006/09/06-2020/06/08  2020/07/01-

   ある日のできごと、心の呟き、よしなしごとetc

陽気に誘われて、播磨の寺社を訪ねる

2009年04月06日 | 自然
4月5日、朝起きると、穏やかなよい天気。
朝食をとって、洗濯物を干し、ご飯を炊いた。
お弁当のおかずには、ツクシの煮たものと菜の花漬けがある。



それだけでOKだわ!!と思う私は、お弁当を持って、播磨の寺社を訪ねることにした。

●木梨神社(加東市)

 



●吉馬厄除八幡宮(加東市)



本殿横の桜は満開  

●長明寺(西脇市)



門を入るとたくさんの花が咲いていた。

    

本堂    



源頼政が鵺(ぬえ)を退治した様子の像がある。

  頭はサル、胴はタヌキ、尾はヘビ、手足はトラ。


頼政のお墓もある。  


奥まった所に行くと、里山公園を散策しているような感じ。

  コバノミツバツツジも咲き始めていた。



四国八十八ヶ所の祠のある道には磨崖仏もあった。




●安楽寺(西脇市)

安楽寺の門前にある、2本の巨木には桜の花が満開。
見応えのある美しさだった。

  

見事に咲いている桜の写真を撮っていると、安楽寺のご住職様がお出かけされるらしく、走って門から出てこられ、お急ぎなのだろうに「写真を撮ってあげましょう。」と言って、シャッターを押してくださった。


●住吉神社(西脇市)



本殿  



●日本へそ公園(西脇市)

ここを訪ねるのは、十年振りくらいだろうか。今も家族連れで賑わっていた。



コブシがたくさん花を咲かせていた 

これは何だろう…? 

昔は子どもとよく滑ったものだわ…と、ローラーの長い滑り台を見ていたら、私も滑りたくなり、TRYすることにした。
もうこの先の人生でこの滑り台で滑ることもないだろうなぁと思うから。



ちょうどクッションが全然ないタイミングだったので借りられず、おしりが少し痛かったが、楽しかった。

滑り降りてきたときには数枚のクッションがあった 

「水車の庭園」というのがあったので、水車が軽やかに回っている様子が見られるのだろうと思って行ってみたら、水車は回ってはいなかった。

「水車の庭園」は「水車の回る庭園」ではなく、「水車のある庭園」で、何だかガッカリしたが、川辺の桜は7分咲きほどで美しかったから、ま、いいか。






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ミッキーマウスの眼鏡置き

2009年04月05日 | いただきもの



ミッキーマウスの眼鏡置きが我が家にやってきた。

とてもかわいいのだが、まるで首塚…と思うのは私だけ?





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神体山(三輪山)登拝

2009年04月04日 | 旅(奈良)
3月24日付の朝日新聞18面「熊野・大和 幻視行」に「三輪山に登る」という記事があった。

大神神社(おおみわじんじゃ)のご神体が三輪山であることは知っていたが、そこに登れるとは知らなかった。

3月末の青空が広がる日の朝、三輪山へ登ろうと思い立ち、大神神社へ参拝した。

 

大神神社の入口の鳥居前には、大きめの荷物を持っている団体客がいた。



【大神神社(おおみわじんじゃ)は、国のまほろばと称えられる大和の東南に位置する円錐形の秀麗な山、三輪山を御神体として、大物主神を祀る。

三輪山は、奈良盆地をめぐる青垣山の中でもひときわ形の整った円錐形の山であります。古来より神の鎮まりますお山として、『古事記』や『日本書紀』には、御諸山(みもろやま)、 美和山(みわやま)、三諸岳(みもろのおか)と記され、大物主神(おおものぬしのかみ)の鎮まりますお山、神体山として信仰され、 三諸の神奈備(みもろのかむなび)と称されています。

高さ467メートル、周囲16キロメートル、南は初瀬川(はせがわ)、北は巻向川(まきむくがわ)の2つの川によって区切られ、その面積はおよそ350ヘクタールとなっています。

山内の一木一草に至るまで、神宿るものとして、一切斧(おの)をいれることをせず、松・杉・檜などの大樹に覆われています。】http://www.oomiwa.or.jp/frame/f01.htmlより引用

拝殿   

参拝者の多いお正月とは異なり、静かに手を合わせて拝めた。

大神神社から狭井神社を目指す途中に、大和三山が見渡せる展望台がある。
素晴らしい好天で、西の山々(金剛山・葛城山・二上山等)もクリアに見晴らせた。



遠方右に二上山。手前のこんもりとしているのが耳成山(みみなしやま)。その手前には大神神社の大鳥居。

  たくさんの人が写生をしていた。

手前の山が大和三山。左から香具山(かぐやま)、畝傍山(うねびやま)、耳成山。



狭井神社(さいじんじゃ)  

【狭井神社:本社の荒魂をおまつりしている、延喜式神名帳に記される古社であります。古くより、華鎮社(はなしづめのやしろ)と称され、病気を鎮める神としての信仰が厚く、ご神水の湧き出る薬井戸があります。】http://www.oomiwa.or.jp/frame/f01.htmlより引用

狭井神社の横にある社務所で名前を登録し、初穂料(一人300円)を収め、鈴の付いたタスキを受け取り、三輪山へ登る。山中は写真撮影禁止。



途中の三光の滝では、白装束で滝に打たれている3人の男性。般若心経が響き渡る。

いくつもの磐座(いわくら)を拝しながら頂上を目指すこと約1時間。
山頂に至るまでにすれ違う(下山してくる)人は25人ほどだった。


山頂には小さな社、高宮(こうのみや)神社があり、日向御子(ひむかいのみこ)神が祀られている。

山頂の奥まったところに、大きな岩が固まっている奥津磐座(おきついわくら)がある。
ここでのんびりしている人は約10人。神体山登拝をするのは、男性よりも女性の方が多い。


下山して、タスキを返し、母のために小さなペットボトルに狭井神社のお水をいただいた。

  ボタンを押すとお水が出てくる。とても美味しいお水だった。


三輪山登拝を終えて、山の辺の道を北へ歩いた。

梅が満開    

桜咲く玄賓庵(げんぴんあん)    (狭井神社から徒歩約15分)

【桓武・嵯峨天皇に厚い信任を得ながら、俗事を嫌い三輪山の麓に隠棲したという玄賓(げんぴん)僧都の庵と伝えられる。世阿弥の作と伝える謡曲「三輪」の舞台として知られる。かつては山岳仏教の寺として三輪山の檜原谷にあったが、明治初年の神仏分離により現在地に移された。】http://ja.wikipedia.org/wiki/玄賓庵より引用

山の辺の道  小林秀雄の筆蹟


檜原神社   (玄賓庵から徒歩約10分)

【祭神 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
 社祭日 8月28日

この地は、崇神天皇の御代、宮中よりはじめて、天照大御神を豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託されてお遷しになり、「磯城神籬(しきひもろぎ)」を立て、お祀りされた「倭笠縫邑(やまとかさぬいのむら)」であります。
大御神のご遷幸の後も、その御蹟を尊崇し、檜原神社として、引き続きお祀りし、「元伊勢(もといせ)」と今に伝えられています。
境内には、昭和61年11月5日、豊鍬入姫命を祀る豊鍬入姫宮(とよすきいりひめのみや)が鎮斎されました。
万葉集等に「三輪の檜原」と数多く詠まれ、山の辺の道の歌枕ともなり、西につづく檜原台地は、大和国中を一望する絶好の地であります。】http://www.oomiwa.or.jp/c03/c03_28.htmlより引用

檜原神社の前の店で遅い昼食。

  にゅうめん(750円)

お店の壁に掛かっていた犬養孝氏の染筆  (万葉巻2-92)

「秋山之 樹下隠 逝水乃 吾許曽益目 御念従者」 孝書 印
秋山の 木の下がくり ゆく水の われこそまさめ み思ひよりは

巻向(まきむく)駅へ向かって歩いている時に目にした二上山と桜 



  畑を耕す人の姿に春の訪れを感じる。

巻向駅を出発するJRの電車(桜井行き) 

巻向駅で、春のやわらかな日差しを浴びながら、奈良行きの電車を30分ほど待った。


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白毫寺(びゃくごうじ)

2009年04月03日 | 旅(奈良)
図書館で「花の咲く寺 西日本編」を借りた。
開いて見ると、一番目に載っていたのが奈良の白毫寺。
五色椿の「落花の見頃は4月初め~半ば」とあった。


数十年振りに五色椿が見たくて、3月29日、白毫寺へ詣でた。



大伴家持「をみなへし 秋萩しのぎ さ雄鹿の 露別け鳴かむ 高円の野ぞ」【万葉集4297】


白毫寺(真言律宗)の山号は高円山(たかまどやま)。
奈良市街の東側に連なる山並み(若草山、春日山、花山、高円山など)の南端に位置する高円山の西麓にある。

高円は奈良に都が置かれていた時代に万葉人からこよなく愛された土地で、白毫寺が建っている場所は天智天皇の第7皇子、志貴皇子の邸宅である春日宮があったといわれているところ。

「高円山」は万葉集の中にたくさん詠まれている。
以下は、http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/map/takamado.htmlより引用

0230: 梓弓手に取り持ちてますらをのさつ矢手挟み.......(長歌)

0231: 高円の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに

0233: 高円の野辺の秋萩な散りそね君が形見に見つつ偲はむ

0948: ま葛延ふ春日の山はうち靡く春さりゆくと.......(長歌)

0981: 狩高の高円山を高みかも出で来る月の遅く照るらむ

1028: ますらをの高円山に迫めたれば里に下り来るむざさびぞこれ

1070: 大夫の弓末振り起し狩高の野辺さへ清く照る月夜かも

1440: 春雨のしくしく降るに高円の山の桜はいかにかあるらむ

1571: 春日野に時雨降る見ゆ明日よりは黄葉かざさむ高円の山

1605: 高円の野辺の秋萩このころの暁露に咲きにけむかも

1610: 高円の秋野の上のなでしこの花うら若み人のかざししなでしこの花

1629: ねもころに物を思へば言はむすべ為むすべもなし.......(長歌)

1630: 高円の野辺のかほ花面影に見えつつ妹は忘れかねつも

1866: 雉鳴く高円の辺に桜花散りて流らふ見む人もがも

1874: 春霞たなびく今日の夕月夜清く照るらむ高松の野に

2121: 秋風は日に異に吹きぬ高円の野辺の秋萩散らまく惜しも

4295: 高円の尾花吹き越す秋風に紐解き開けな直ならずとも

4296: 天雲に雁ぞ鳴くなる高円の萩の下葉はもみちあへむかも

4297: をみなへし秋萩しのぎさを鹿の露別け鳴かむ高圓の野ぞ

4315: 宮人の袖付け衣秋萩ににほひよろしき高圓の宮

4316: 高圓の宮の裾廻の野づかさに今咲けるらむをみなへしはも

4317: 秋野には今こそ行かめもののふの男女の花にほひ見に

4318: 秋の野に露負へる萩を手折らずてあたら盛りを過ぐしてむとか

4319: 高圓の秋野の上の朝霧に妻呼ぶ壮鹿出で立つらむか

4320: 大夫の呼び立てしかばさを鹿の胸別け行かむ秋野萩原

4506: 高圓の野の上の宮は荒れにけり立たしし君の御代遠そけば

4508: 高圓の野辺延ふ葛の末つひに千代に忘れむ我が大君かも

4509: 延ふ葛の絶えず偲はむ大君の見しし野辺には標結ふべしも

4510: 大君の継ぎて見すらし高圓の野辺見るごとに音のみし泣かゆ 







坂を上ったところにある白毫寺からは眼下に奈良市街を見渡せる。

  西方にある山は生駒山



それほど大きな寺ではないが、五色椿で有名だからだろうか、たくさんの人が参拝していた。


宝蔵に本尊阿弥陀如来坐像をはじめ、閻魔大王坐像等々、本堂に勢至菩薩・観音菩薩像、聖徳太子二歳像等々が安置されているが、とりわけ私は小さな勢至菩薩像が印象的だった。(400円の写真(下)を買い求めたいと思うほどに。)

本堂

勢至菩薩像    


左には満開の白木蓮、右には五色椿  


    


五色椿(推定樹齢400年)は、多彩な花を咲かせ、地面には多数の落花。




子福桜も美しい!よい季節の到来が感じられた。




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体を労りながら…

2009年04月02日 | 人生・幸せ・老い・お付き合い
母が3月にオペをした。


退院後の母のことが気になり、4泊5日帰省。

家中掃除機をかけ、お買い物に行き、畑の草を取り、苗を植えることができるように耕して畝を作った。
更に時間があったので、台所と脱衣場とトイレの床のフローリングにワックスを塗ってみたところ、ピカピカになった。






術後約3週間が経った。
今日は退院後初めての診察日。
傷口はきれいだという。
組織検査の結果は良性だったとのこと。
ひとまずホッとする。


12時半に家を出て、15時には帰宅した。
帰る途中のケーキ屋さんで買い求めたチーズケーキを食べながら「今日は疲れたわ~。」と母。


退院後の1週間はお弁当の配送を頼んだのだが、明日からの食事は自分で作りたいと言う。
お肉や果物やパンはとりあえず冷蔵庫と冷凍庫にたくさん入れておいたが、この先自分で近くのスーパーへお買い物に行けるかしら…。調理をする体力はあるのかしら…。
大いに気に掛かりながら私は実家を後にした。

次の受診日は、21日とのこと。
また帰省しなければならないだろうか…。

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中国のお土産は”箸置き”

2009年04月01日 | 雑文
箸置きのコレクターである私が、中国(上海&南京)へ行った人からいただいたお土産は木製の箸置き。



中国でも箸置きが売っているんだ!

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