孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ミャンマー  少数民族問題  停戦後も残る地雷  停戦を複雑にする木材密輸権益

2014-06-11 22:05:11 | ミャンマー

(かまどの前でラジオを聴くカチン人青年。
“ミャンマーの少数民族カチン族の最大武装勢力カチン独立機構(KIO)の主要拠点ライザから放送されている「FMライザ」は、カチン州で広く視聴されているという。(2013年2月13日カチン州ライザ、赤津陽治撮影) 【2013年2月14日 アジアプレス・ネットワーク】)

全土停戦協定案で、6月にも再協議
ミャンマーでは1948年のイギリスからの独立直後から、少数民族武装勢力と政府軍の間で内戦状態が続いていますが、2011年の民政移管の後、17の武力勢力のうち14が政府と停戦で合意し、和平交渉を続けています。【6月11日 朝日より】

****少数民族武装勢力との全土停戦協定案をめぐる協議、ヤンゴンで開催****
ミャンマー政府と少数民族武装勢力との間で締結をめざしている全土停戦協定案についての協議が最大都市ヤンゴンで5月21日から23日まで開催された。6月にも再度協定案についての協議が行なわれる予定

◆早期の全土停戦協定締結と政治対話の実施をめざして
ミャンマー政府と少数民族武装勢力との間で交渉が進む全土停戦協定の草案について話し合う会議がヤンゴンで開かれ、23日に終了した。

アウンミン大統領府相を団長とする政府・議会・国軍の代表で構成される連邦和平実務委員会(UPWC)9名と少数民族武装諸組織を代表する全土停戦調整チーム(NCCT)9名が5月21日から23日までヤンゴン市内のミャンマー・ピース・センターで協議した。4月上旬に開催された前回の会合で、政府案と少数民族武装勢力案を一つにまとめた7章にわたる統一案ができたとされている。しかし、まだ多くの項目で相違があり、今回の協議では協定案の相違点についての交渉が行なわれた。(中略)
最終日に発表された共同声明では、6月中にヤンゴンで再び協議し、早期の全土停戦協定締結と政治対話の実施をめざすことが確認された。 【5月26日 アジアプレス・ネットワーク】
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ただ、4月23日には、中国国境に近いシャン州北部ナムカン郡で、パラウン州解放戦線(PSLF)軍事部門のタアーン民族解放軍(TNLA)と国軍との間で戦闘が発生し、国軍兵士約30人が死亡、TNLAの兵士1人が死亡したとも報じられているように、状況は必ずしも安定している訳でもないようです。

【「何の表示もないまま、彼らが一斉に帰り始めると、危険なことになる」】
また、全土停戦協定が締結されても、今後に残された課題は少なくありません。
そのひとつが地雷の問題です。

下記記事はカレン州・カレン族の状況ですが、少数民族の中では最も長く、1949年から独立闘争を続けていたカレン民族同盟(KNU)は12年1月、停戦合意を結び和平交渉に入っています。

****ミャンマー、残る地雷の影 少数民族と紛争、互いに使用****
政府と少数民族武装勢力との和平交渉が進むミャンマーで、紛争中に埋められた地雷の被害が後を絶たない。どこに埋められたのかの記録はなく、将来、難民が帰還する際の障害になりかねない。

 ■通い慣れた森、失った足
ミャンマー・カレン州と国境を接するタイ北西部メソト。メータオ・クリニックは、国境を越えてやってくる避難民のための無料の診療所だ。運営費は国際NGOなどの寄付によってまかなわれ、年間約16万人の患者を受け入れている。

「まだ少し痛い」。クリニックの義足科でマーウィンチーさん(37)は初めて作る義足の調整に苦心していた。
昨年7月、カレン州南部のウォーレー村で竹を採りに森へ入った際、地雷を踏んだ。生計を立てるため4年以上も通った森だという。「ドン」という音とともに意識を失った。ミャンマー側には適切な治療施設がなく、タイ側の病院へ運ばれた。気づいたときには左足のひざから下が無くなっていた。

森には地雷が存在することを示す標識はなかった。「村の人は皆、森にはもう地雷は無いと言っていた。死ななかっただけましです」。新しい義足ができたらまた森へ入って仕事をしたいという。「それ以外に収入がないから」

義足科は2000年にできた。年間約250人が無料で義足を作ってもらうために訪れる。そのほとんどが地雷の犠牲者だ。

見習いとして働くタンゲーレイさん(20)もその一人。11年4月カレン州内で木の伐採中に地雷を踏んだ。大きな声で叫び、仲間を呼んだ。「数分間は何が起きたか分からなかった」。両足のひざから下を無くした。「地雷で被害を受けた人がたくさんいる。多くの義足を作れるようになりたい」と話す。

 ■記録なく、埋設場所不明
(中略)
ソーシイコーさん(51)はカレン民族同盟(KNU)の元兵士だ。30歳の時、前線で政府軍との戦闘中に地雷で左足のひざから下を無くした。

14歳で兵士となり、地雷を埋める任務に就いたこともある。埋めた場所は記録に残さない決まりだった。敵に知られないようにするためだ。目印はせいぜい石を置いたり、枝を折ったりする程度で、村人には口頭で伝えたという。
「敵軍が通りそうな所に地雷を埋め、去ったら取り除くようにしていた」と言うが、頼りは記憶だけ。戦闘の長期化や、埋めた兵士が死んでしまったケースもあり、「取り去れず残った地雷も多くある」。自分が踏んだ地雷も、どちらの軍の埋めたものか分からないという。

 ■十数年で3千人超が被害
地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)によると、ミャンマー国内の少なくとも50郡区で対人地雷が確認されているが、埋設数や範囲ははっきりしていない。

1999年から2012年までに、兵士を含めて、少なくとも3349人(うち死者319人)の被害が出ている。

地雷は政府軍のほか、少数民族の武装勢力が埋めたものも多い。ビルマ医療協会(BMA)のナーワーワーアウン医療プログラム副部長は「将来、人々が安全に生活するためには地雷の撤去が必要になる。それには情報共有のため、政府、軍、コミュニティーの密接な協力が必要になる」と話す。

カレン民族同盟(KNU)の組織、カレン保健福祉局は和平後をにらんで、約3万5千枚の警告表示を用意した。ただ、長年の内戦で疑心暗鬼に満ちた村人らから、埋設した場所について、十分な情報を得られないのが実情だ。

和平成立のあかつきには、タイの難民キャンプの約12万人、ミャンマー国内の約55万人の避難民に、帰還の道が開ける。

ウンピアムマイ難民キャンプを統括するソーワッティーさん(57)は「何の表示もないまま、彼らが一斉に帰り始めると、危険なことになる。地雷原の表示や、地雷の撤去を確認してから動き出すなど何らかのルール作りが必要だ」と話す。【6月11日 朝日】
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2013年だけで5000万元(約8億円)ほどの収入 進行する森林破壊
一方、ミャンマー北東部カチン州では、1994年に国軍とカチン独立軍(KIA)の間で停戦協定が結ばれて以来、カチン独立機構(KIO)が州の大半を実効支配していましたが、2011年から再び戦闘状態に入っています。

少数民族は翡翠や木材の密輸で資金を得ており、この巨額の権益の存在が少数民族問題の解決を難しくしているとも言われています。

****ミャンマー内戦、停戦の障害は違法伐採****
熱帯の広葉樹が残るミャンマーの森林は、東南アジア本土における材木伐採の最後の開拓地だ。
中国の国境まで徒歩2~3時間のミャンマー北東部カチン州では、数週間前まで材木を満載したトラックが毎日100台近く通り過ぎていた。

カチン独立組織(KIO)の軍事部門カチン独立軍(KIA)は、自治権を求めて息の長い闘争を50年以上続けている。

縮小を続けるミャンマーの平地林を起点にする中国への主要な密輸ルートは、4月までKIAが掌握していた。材木輸送の18トントラックが通過する度にKIOは通行料を徴収しており、2013年だけで5000万元(約8億円)ほどの収入を得ていたという。

8割のトラックは、成長著しい中国を目指す。

◆国境での対立
ミャンマー第2の反政府組織KIOは、恒久的な停戦協議を拒絶し続けている最後の主要組織だ。実現すれば、世界で最も長い内戦の1つが終結へと踏み出すことになる。

KIOの戦略部門を率いるザウ・タウン(Zau Tawng)氏は、「平等の権利を手に入れるまで革命は続く」と断言。(中略)

◆密輸に“課税”
1994年、軍事政権との一時停戦に合意したKIOは、カチン州東部の重要なヒスイ鉱区を放棄し、材木に目を向けた。

世界的な天然資源の監視団体グローバル・ウィットネスによれば、KIOが掌握する地域で森林伐採が急増したという。現在も、黒々とした丸裸の斜面が大地の傷跡として放置されている。

2002年、KIOは商業伐採を禁止し、金や翡翠(ひすい)の密輸に“税”を課して収入源を確保する。材木取引にも課税しているが、その規模は比較的小さいという。

にも関わらず、今年に入ってからの中国向けの材木の密輸は、過去最高の水準を記録していると、複数の自然保護団体が指摘している。

◆政策が裏目に
改革派の現政権は4月1日、ヤンゴンの港から未加工の木材輸出を全面的に禁止。陸路での中国向け輸出は2006年に既に禁止されている。森林資源減少の圧力軽減や国内への消費転換、加工産業による付加価値向上が主な目的だ。

一方、政権の意図に反して、中国への違法輸出が増える可能性を自然保護団体は懸念している。

禁止措置が施行されてから11日後、ミャンマー軍は違法伐採を阻止するという名目で国境検問所を掌握した。
軍の急襲についてKIOは、森林を守るという大義名分より、KIOの重要な収入源を断つ意図があったと見ている。

恒久的な停戦合意の期限は8月に迫っている。実現の見込みが遠のいた現在、ミャンマーの森林の危機的状況はこのまま続く可能性が高い。【5月22日 NATIONAL GEOGRAPHIC】
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なお、森林破壊は少数民族側だけでなく、欧米諸国から厳しい経済制裁を科され財政的に困窮していた軍事政権によっても、交換可能な“通貨”として木材が利用されたことで著しく進行しました。

いずれにしても、木材密輸から生まれる権益をどのように扱うかが、交渉の現実的課題となります。

ミャンマーのカチン州・シャン州の状況を伝えるブログ「ビルマのカチン州・シャン州での出来事 written by 菅光晴」から拾った、カチン州関連の話題です。

****KIOの強制徴兵に抗議****
5月13日、カチン州ミッチーナ市にある反政府武装組織「カチン独立機構(KIO)」の事務所前で、KIOに息子を強制的に徴兵されたビルマ族の親たち二十数人が抗議集会を開いた。

集会参加者の1人は「うちの息子は(カチン州西部の)パッカン郡内で毛布を販売中にKIOの兵士らに連れ去られました。息子が今どこで何をしているのか、生きているのか死んでいるのか、まったくわかりません」と語った。
【5月15日】http://blog.livedoor.jp/kachin_shan/archives/8376338.html
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****ビルマ国軍とKIAの戦闘開始から3年****
6月7日午前8時から9時にかけて、ヤンゴン市チャウッタダー地区のマハーバンドゥーラ公園に人権団体のメンバーら約100人が集まり、ビルマ国軍と反政府武装組織「カチン独立軍(KIA)」が戦闘状態に入った日(2011年6月9日)から3年がたつのを前に、両軍の戦闘停止を訴える集会を開いた。

この日、ヤンゴン市内ではさらに、午前10時から午後3時にかけてピードゥーウーイン(人民広場)で、午後3時から6時にかけてインヤー湖公園でも、停戦を望む市民らによる祈祷集会が開かれた。【6月8日】http://blog.livedoor.jp/kachin_shan/archives/8407694.html
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