
(「子どもたちまでずっと難民として生きていかなければいかないのでしょうか」と語るソマリア難民女性=2017年2月23日午前9時20分、ケニアのダダーブ難民キャンプで小泉大士撮影【4月3日 毎日】)
【「避難を余儀なくされた人々」は全世界で6530万人】
日本では、今村復興大臣が福島県の避難指示区域以外から自主避難している人たちに対して「帰れないのは本人の責任」などと記者会見で発言した“自己責任”発言に対して賛否両論が出ています。
世界的にみると、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が公表している世界の難民らの動向に関する年次報告書によれば、2015年末現在で、難民や国内避難民、亡命申請者からなる「避難を余儀なくされた人々」は6530万人に達し、過去最多を記録しています。
****難民・避難民・亡命申請、世界で6530万人****
・・・・内訳は難民が2130万人、国内避難民4080万人、亡命申請者320万人。全体で前年と比べて580万人増えた。1996年は3730万人だったのが、20年間で1・75倍になった。近年では、11年に4250万人を記録して以降、増加が続いている。
難民を生んでいる国や地域はパレスチナ520万人のほか、シリア(490万人)、アフガニスタン(270万人)、ソマリア(110万人)など。
シリアの難民は250万人を受け入れているトルコや、レバノン、ヨルダンなどへ流入している。
アフガンからはパキスタンとイランなどへ、ソマリアはエチオピアやケニア、イエメンなど、行く先は周辺国が中心となっている。
一方、国内避難民が多いのは、コロンビアの690万人、シリア(660万人)、イラク(440万人)、スーダン(320万人)、イエメン(250万人)、ナイジェリア(220万人)などとなっている。
グランディ難民高等弁務官は「避難した人々の声が(政治)指導者たちに届くように望む。(主要原因の)紛争を止める政治的な行動が必要だ」と訴えた。【2016年6月20日 朝日】
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全難民のうち51%が18歳未満の子どもです。
2015年の1年間だけでも、新たに1240万人が避難を余儀なくされています。(国内避難民860万人、難民180万人、残りは庇護申請者)
一方、2015年に帰還した難民数は20万1400人で、最も多く帰還したのはアフガニスタン(6万1400人)、スーダン(3万9500人)、ソマリア(3万2300人)、中央アフリカ共和国(2万1600人)の出身者でした。【UNHCR「数字で見る難民情勢」より】
シリアについて言えば、トマホークを撃ち込む国内支持率稼ぎの派手なパフォーマンスよりも、約500万人も存在するシリア難民(国内避難民は約600万人)の生活をどのように支え、明日への希望をどのように提示できるかが、より重要で困難な問題となります。
しかし、これまで第三国定住の最大受入れ国であったアメリカのトランプ政権下の難民拒否姿勢にもみられるように、厳しい状況が続いています。
****シリア難民の第三国定住枠、達成は目標の半分25万人*****
シリア紛争から6年が経ち、シリアからの難民が500万人を突破した中、フィリッポ・グランディ国連難民高等弁務官は国際社会に対し、より一層の支援が必要であると訴えました。
「難民の第三国定住およびそれに順ずる受け入れの種類や範囲を拡大するための道のりはまだ長いです。この課題に対応するためには、受け入れ枠を増やすだけではなく、すでに公約したことを実行することが必要です」と主張しています。
ちょうど1年前の2016年3月30日にスイスのジュネーブで、シリア難民受け入れに関する閣僚級会合が開かれました。会合では、2018年までにシリア難民のおよそ10%にあたる50万人を第三国定住で受け入れる公約を求めましたが、現在までに25万人の枠しか提供されていません。(中略)
UNHCRは、2017年に第三国定住が必要な難民は約120万人に上ると予想しています(うち40%がシリア難民)。(中略)
多くの国が経験しているはずですが、第三国定住は難民に生活を再建する機会を与えるだけでなく、受け入れたコミュニティをより多様性のある豊かな社会にしてくれます」と強調しています。【3月31日 UNHCR】
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現実には難民受入れがもたらす社会的リスクから、これを拒否する「自国第一」の風潮が強まっているのは周知のところです。
【定住への門戸を閉ざす先進国 受入国では難民キャンプ閉鎖の動き ともに「自国第一」】
難民を押しつぶしているのは、現在の暮らしの困難さもさることながら、明日への希望・出口が見えないことでしょう。
下記は、ここ数日だけで目にした、難民生活の実態に関する記事(タイに暮らすミャンマー少数民族難民、ケニアに暮らすソマリア難民、ヨルダンに暮らすシリア難民)です。
****<ミャンマー>文民政権1年 難民処遇、解決遠く****
ミャンマーで文民政権が発足して3月30日で1年が過ぎた。国内外から政権の改革は期待されているが、解決を見通せない課題もある。タイに住むミャンマー難民の処遇もその一つ。
国軍と少数民族武装勢力との戦闘や旧軍事政権による強制移住などを逃れて来た人々だが、ミャンマー政府と武装勢力との完全和平は道半ば。定住先を見つけるのは次第に困難になり、支援も減少傾向にある。彼らの間には、将来の展望の無さから重苦しい雰囲気が漂っていた。
タイで最初のミャンマー難民のキャンプができたのは1984年。今では国境沿いの山中に計9カ所あり、約10万3000人が暮らす。そのうちの一つ、約6200人が住むタムヒン難民キャンプに向かった。
通常タイ政府は取材を認めておらず、中には入れない。難民の往来も制限されているが、自活プログラムとして周辺の農園で働いたり、買い出しに出たりする人もいる。
国連難民高等弁務官事務所によると、9キャンプの難民の約8割が少数民族のカレン族で、宗教別ではミャンマーでは少数派のキリスト教徒が5割を占める。80年代の国軍と武装勢力との戦闘激化に伴い増加した。2005〜16年の間、キャンプから約10万6000人が海外に受け入れられた。移住先は約8割が米国、約1割がオーストラリアだ。
カレン族男性のダーケーさん(34)も移住を希望する。難民となって10年以上。子供の一人は既に豪州にいる。こうした家族の「分断」のケースも多く問題となっている。「ミャンマー新政府も信用できない。どの国でもいい」と話した。
農園の小屋で休憩していたカレン族男性ジェレポーさん(39)は97年に越境して以来3回、米国への移住を申請したという。だがその後、米国はミャンマー難民の受け付けを停止し、さらにトランプ政権は難民そのものの受け入れに後ろ向き。ジェレポーさんの希望は遠のく一方だ。
一部少数民族武装組織は、前政権時に停戦に合意。タイ・ミャンマー政府の協力の下で昨年10月、初めて難民71人の帰還が実現した。だが、つらい記憶や帰還後の生活不安から、ためらう人は多い。
一方でタイ政府はキャンプの早期閉鎖方針を打ち出しており、ジェレポーさんは「閉鎖の日が来るのが怖い」と話した。
不安定な身分は難民の心を揺さぶる。キャンプ内で図書館を運営する日本のNGO、シャンティ国際ボランティア会の菊池礼乃さんによると、北西部のメラ・キャンプ(約3万7000人)では、自殺者が年間約20人に増え、問題になっている。菊池さんは「原因はさまざまだが、将来に希望を見いだせないことも大きい」とみる。
一方、北西部のウンピアム・キャンプ(約1万2000人)でリーダーを務める男性ワティーさん(59)によると国際支援は先細りし「食料や建設物資、医薬品は以前の半分の水準だ」という。彼は「キャンプに居ても何の権利も、タイ政府発行の身分証明書も与えられるわけではない」といい、早期帰還したい考えだ。
◇民政移管後に支援減
タイ・スワンニミット財団 ダラニー・ブッタラクサ看護師
ミャンマー難民らを支援する財団の協力組織である北西部メソトのメータオ・クリニックで感染症予防対策などに取り組んでいるが、2011年にミャンマーが(軍事政権から軍政翼賛政党によるテインセイン前政権へと)民政移管された後、国際支援が(タイのミャンマー難民から)ミャンマー国内へシフトしつつあると感じる。
支援団体の財源には限りがあり、タイ側では、保健サービスを提供する団体の仕事が統合されたり、食料配給量が減少したりするなどの影響が出ている。
こうした状況は、難民に「早くキャンプを出ろ」という圧力になっている。これが続けば他国への経済移民になろうとする人が出てくる可能性が高い。
アジアで最も長期化した難民問題であり、キャンプで暮らす人々は、将来の見通しが立たない中で、一日一日を送っている。【4月2日 毎日】
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****<トランプと世界>移住の夢、遠のく ケニアのソマリア難民****
「生まれてから一度も難民キャンプを出たことがないんだ。一生ここにいろと言うのか」。ケニア東部にある世界最大規模、26万人超が生活するダダーブ難民キャンプで、ソマリア難民の男性アフメド・ワルファさん(25)は天を仰いだ。ほぼ赤道直下の強烈な日差しと乾いた大地。サッカー場1万2000個分の広さに、木の枝と土で造った壁にトタン板をかぶせただけの簡素な住居が密集する。
1991年に始まったソマリア内戦。祖国を逃れた一家はダダーブにたどり着き、7人のきょうだいは長男を除いてここで生まれた。次男のワルファさんは「(ケニアの首都)ナイロビにも行ったことがない」と話す。キャンプから出るには当局の許可が必要。許可証があっても難民の立場は弱く、検問で警官に賄賂を要求されることもあるという。
ワルファさんは自らを「ダダービアン(ダダーブ人)」と呼ぶ。祖国を知らずキャンプで生まれ育った2世、3世を意味する。
ソマリア難民は長く「忘れられた存在」(援助機関者)だった。数百万人規模で発生したシリア難民らの陰に隠れて国際社会の関心は薄れ、援助資金も集まらない状態だ。一家は2010年、紛争国から周辺国に逃れた難民を第三国が受け入れる「第三国定住制度」に申請した。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が窓口で、昨年8月に審査を通過、3月中に渡米する予定だった。
だが、米国でトランプ政権が誕生して暗転した。ソマリアなどイスラム圏6カ国(当初は7カ国)の国民に対する先月の新たな大統領令は、90日間の入国禁止を維持。難民の受け入れも120日間停止した。米国内で差し止め訴訟が相次ぐが、司法判断は分かれる。
テロが頻発するソマリアに戻るのは危険だが、一方でケニア政府は治安上の理由からキャンプ閉鎖を目指す。八方ふさがりの中で、残された希望が米国などへの移住だった。
ワルファさんが自嘲気味につぶやく。「ひたすら待ち続けるだけの人生さ」。入国禁止令の直撃を受けた難民キャンプは無力感に覆われている。
◇難民キャンプに四半世紀 米入国禁止令、砕かれた期待
(中略)難民にとって米国は「人並みの暮らしができる場所」。ここではかなわない教育や医療を受ける機会がある。働いて自活することもできる。米国へ行けたら人生が変わると思っている。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると近年、第三国定住でソマリア難民を受け入れるのは14カ国。8割以上の行き先が米国で、2016会計年度は9020人を受け入れた。オバマ前政権は17年度の難民の受け入れ枠を全体で11万人に拡大したが、トランプ政権は5万人に減らす方針だ。
その審査は世界一厳しいとされる。UNHCRなどの事前審査に始まり、米政府職員による面接、健康診断、国土安全保障省による身元調査と続く。イスマイルさんのように「7〜10年待っている」という人は多い。大統領令で一時中断し、米連邦最高裁での判断が確定し再開されてもさらなる厳格化は必至だ。
ディガレさん一家は地べたに敷いたマットに身を寄せ合っていた。20年以上も仕事はなく、毎日ただ時間が過ぎるのを待っているだけという。日中は40度近くまで気温が上昇、トタン屋根に直射日光が降り注ぐ。
ソマリア人に対する入国拒否についてディガレさんは「我々にはどうすることもできない。受け入れてもらえるよう神に祈るだけだ」と言う。アダン・バロウ・ハッサンさん(30)も「米国民を恨むつもりはない」。ただ、移住前のオリエンテーションでは「米国は宗教や人種などで人を差別しない」と学んだ。あれは何だったのか、と首をかしげる。
(中略)ケニア政府は、国境から西へ約80キロのダダーブ難民キャンプに戦闘員が紛れ込んで「出撃拠点」に利用しているとして、昨年5月に閉鎖を発表。専門家は「明確な証拠がない」とするも、政府高官は難民保護より国内の治安を優先するのが「世界のスタンダード」と主張している。(中略)
しかしソマリアの治安はきわめて不安定だ。
ナフィソ・モハメド・ヌルさん(42)は15年8月に8人の子供と帰国したが、2カ月後、大統領府近くの自宅に迫撃砲が撃ち込まれた。庭にいた親戚は即死。ヌルさんも左足のかかとと胸、尻に金属片が突き刺さり、5カ月間入院した。買い物に出かけた市場でもマシンガンで目の前の人が撃たれた。「いつどこで襲われるかわからない」。恐怖感に耐えられずキャンプへ戻った。(中略)
オバマ前政権は難民の強制送還に反対し、ケニア政府もキャンプ閉鎖の先延ばしに応じた。その期限は5月末に迫る。ケニア高裁は2月、閉鎖を無効とする判決を下したが、政府は「ケニア国民が第一」と撤回を拒んで上告した。
シンクタンク「国際危機グループ」(ICG、本部ブリュッセル)のアブドゥル・カリフ研究員は、トランプ氏の大統領令について、ケニア政府などが難民への締め付けを強める「口実に使われる」と指摘。行き場を失った人々がテロや紛争が続く国に帰るしかなくなれば「さらなる悲劇を招くばかりか、過激派組織の格好の勧誘対象になる」と懸念する。【4月3日 毎日】
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****低賃金労働、学校通えず=シリア追われた少年たち―ヨルダン難民キャンプ****
2011年から続くシリア内戦で故郷を追われ、隣国ヨルダンの難民キャンプにたどり着いたシリア人の少年たちが家計を支えるため、時給1ヨルダンディナール(約155円)程度の低賃金で働いている。4日に時事通信などの取材に対し、母国では受けられていた教育も満足に受けられずにいる実情を語った。
ヨルダンの首都アンマンから北に約75キロの農村ザータリに隣接する難民キャンプでは約7万9000人が暮らす。約4万4000人の子供がいるが、6000人近くが学校に通っていない。父親がシリアに仕事を探しに戻ったり、シリアに残った後連絡が取れなくなったりして、子供の労働が家族の収入を支えているケースが多い。
キャンプ内にある国連児童基金(ユニセフ)の施設では、シリア南部ダラア県の村から12年に逃れてきたムハンマドさん(17)がアラビア語を学んでいた。普段は時給1ヨルダンディナールで1日6時間、周辺の農場で働いており、正規の学校に通えないため、空いた時間にこの施設で補習を受けている。
シリアでの思い出を尋ねたところ、「家族みんなで海に行ったことだ」と人懐っこい笑みを浮かべた。しかし、行き先の地名を問うと、「シリアを離れて時間がたち過ぎ、忘れてしまった」と苦笑いに変わった。
他の数人の子供も労働条件はムハンマドさんと同様だった。5人以上の家族でキャンプに住んでいるというケースが多い。
シリア人の子供もヨルダンの正規の学校に通うことはでき、キャンプ内には学校がある。しかし、ユニセフ・ヨルダン事務所保健栄養部長の佐藤みどりさん(43)は「健康状態に問題があったり、小学校進学前に教育の機会が与えられなかったりしたため(勉強に)ついていけなくなり、正規の学校に行けなくなる難民の子供も多い」と指摘。「施設が勉強だけでなく、友達を助けるなどコミュニケーションを学ぶ場になっている」と語った。【4月6日 時事】
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【途上国が大部分の受入国の負担も限界】
受け入れ側にも限界があります。
冒頭のUNHCR公表数字によれば、難民全体の86%にあたる1390万人が発展途上国で避難生活を送っています。
レバノンでは人口に占める難民の数が最も多く、1000人当たり183人。これにヨルダンの87人、ナウルの50人が続いています。
****<レバノン>ハリリ首相、シリアからの難民受け入れ「限界」****
レバノンのハリリ首相は3月31日、内戦が続く隣国シリアからの難民流入が「限界に達しつつある」と述べ、社会不安を引き起こしているとの認識を示した。中東の衛星テレビ局アルジャジーラなどが伝えた。
レバノンの人口は約460万人(2015年)だが、11年に始まったシリア内戦以降、すでに100万〜150万人のシリア難民が流入しているとされ、人口の3〜4人に1人が難民という計算になる。難民への生活支援が経済を圧迫しているのが現実で、学校の教室が足りなくなり、道路補修などのインフラ整備も停滞。
首相は「レバノン人とシリア人はかなりの緊張状態にある。既にレバノン自体が巨大な難民キャンプになってしまった」と語った。
首相はそのうえで、難民1人あたりに対し「5〜7年間で計1万〜1万2000ドル相当」の支援が必要と強調し、国際社会に対し、財政支援の強化を訴えた。【4月2日 毎日】
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「自国第一」だけではすまされない事態であり、比較的余裕のある先進国は応分の負担をすべきと考えます。
もちろん、難民発生の原因となっている紛争を止める努力が極めて重要であることは言うまでもありません。