(フン・セン首相の息子で、カンボジア王国軍の司令官フン・マニ氏と会談する安倍首相【5月9日 POSTE】)
【行政トップとしての在任期間の世界記録更新に意欲を示すフン・セン首相】
肩の凝らない話題を取り上げた囲み記事ですが・・・
****(特派員メモ プノンペン)スカートがNGならば****
「鈴木さんはフン・セン首相の取材ができないことになりました」
日本の外務省の担当官に突然言われて面食らった。河野太郎外相との会談の取材のためプノンペンの首相府で待機していたときだ。理由はなんと「スカートをはいているから」。カンボジア側の指摘を受けたという。
フォーマルにしなければと、めったに着ないワンピースにしたのが裏目に出た。カンボジアでは女性は肌を露出しないのが礼儀とされるようだが、ミニではないし、日本大使館員にもスカートの人はいた。
地元の男性記者は「大臣はいいけど首相はちょっと……」。外務省の男性も「フン・センさんを怒らせてもいけないし」。(後略)【5月9日 鈴木暁子氏 朝日】
*******************
カンボジアには、ここ15年で3回ほどアンコールワットやプノンペンを旅行しただけですが、ミニでもない女性のスカートがNGだとは初耳です。
まあ、それはいいとして、何となく文面から、フン・セン首相のご機嫌を伺うような周辺の気遣い・忖度といったものが感じられるようにも・・・・。
フン・セン首相は1985年以来、33年間にわたって首相職に就いており、“行政トップとしての在任期間の世界記録更新に意欲を示している”【5月9日 NNA ASIA】とか。
類まれな善政を行っている・・・というのであれば、それもいいのかもしれませんが、どこの国でも権力者が長期化すると、周辺が忖度したりして、政権自体が腐敗していくのが常です。
あるいは、当初は“英雄”だった指導者が、権力の座に長くいる間に、次第に“独裁者”と化していくという事例も、あちこちで目にします。
フン・セン首相に関しては、以前から強権・金権などの批判はありますが、ある意味悲惨なカンボジア内戦をカンボジア国民とともに経験し、そこからの復興に尽力してきた・・・とも(最大限に好意的に言えば)言えるのかも。
【“カンボジアの民主主義は2017年に消滅した”HRW】
しかし、野党を解党し、政権に媚びないメディアを弾圧し、近年の権力保持に走る姿は目に余るものがあります。
****カンボジアの民主主義は死んだのか?****
カンボジアで民主化に逆行する流れが止まらない。カンボジアでは1991年の「カンボジア紛争の包括的な政治解決に関する協定」(通称、パリ和平協定)や1993年の国連カンボジア暫定機構(UNTAC)主導の選挙以降、国際社会の協力を得て、人権保護政策や多党制議会主義が進められてきた。その流れが、一気に失われつつある。
2017年11月には最大野党・救国党は解党され、「カンボジアの民主主義は死んだ」と評する人もいれば、「そもそもカンボジアに民主主義は根づいておらず、実態が表面化しただけ」と評する人もいる。
33年在職中のフン・セン首相は、「パリ和平協定は亡霊だ」と発言し、あと10年、2期2028年まで首相を続けると話している。
2018年3月上旬、10日間のカンボジア訪問を終えた国連特別報告者・人権特使ロナ・スミス氏は、カンボジアは重要な岐路に立たされているとし、7月の選挙に向けた政治参加、表現の自由、メディアへの制限に深刻な懸念を表明した。これに伴い、カンボジア政府に基本的自由を復元することを呼びかけている。
2017年、Economist Intelligence Unitによる民主主義指標で、カンボジアの順位は167か国中124位へと12位下がり、政権は権威主義的、と評された。ヒューマンライツウォッチも90か国以上の人権状況を載せた『世界報告』で、カンボジアの民主主義は2017年に消滅したと述べた。
カンボジアは2017年も6.9%の経済成長を記録している。首都プノンペンは建設ラッシュ、アンコールワット遺跡群などへ外国人観光客も2017年前半10か月で430万人と、前年から10%増えた。表面的には順調に見えるカンボジアでいったい何が起きているのだろうか。(中略)
民主化に逆行する政策
(中略)今回の民主化に逆行する一連の政策は、2017年6月4日のコミューン選挙前後から次々と打ち出された。
具体的には、野党に対する弾圧が強まった。最大野党救国党党首サム・ランシー氏に逮捕状が出され、2015年11月に同氏は海外に亡命せざるをえなくなった。
2016年5月には救国党副党首ケム・ソカー氏にも逮捕状が出され、同氏は党本部から外出できなくなり、12月に恩赦されるまで軟禁状態となった。
2017年2月には救国党党首サム・ランシー氏は辞任し、ケム・ソカー氏が党首に就任した。有罪判決を受けたサム・ランシー氏が党首であることで救国党が解党させられるという危機を避けるためだった。
2017年6月のコミューン選挙では救国党が全投票数の44%、300万票を得票し、躍進する。しかし9月にケム・ソカー氏が「国家反逆罪」容疑で逮捕された。救国党国会議員の半数は海外に亡命したという。
11月にはカンボジア最高裁が、救国党の解党と同党幹部118名に5年間の政治活動禁止を命じた。
さらに、救国党の国会55議席とコミューン評議会の5007議席、489の議長席は与党人民党と人民党系の弱小政党に分配されてしまった。
コミューン評議会の議席の95%以上は与党人民党が占めるようになった。2018年2月の上院議員選挙はコミューン評議会議員などによる間接選挙のため、上院議会も与党人民党圧勝となった。(中略)
報道の自由、独立系メディアへの弾圧も強まった。24年間、発行されていた日刊英字新聞カンボジア・デイリー紙が急に根拠もなく7億円弱(630万米ドル)を課税され、払うことができず、2017年9月4日に閉鎖された。
さらに、ヴォイス・オヴ・アメリカ、ヴォイス・オヴ・デモクラシー、ラジオ・フリー・アジアなど、もっとも独立的・中立的とされていたラジオ局と、そこから放送していた15のラジオ局が閉鎖ないし停止された。(中略)
2016年7月には、著名な政治アナリストのカエム・ライ氏がプノンペン市内で射殺された。フン・セン首相の家族が保有する114社と資本2億ドルなどに関する報告書についてコメントを述べた直後であった。(中略)
市民団体に対する弾圧も強まっている。2016年4月末、救国党副党首ケム・ソカー氏の容疑に関連し、カンボジア人権NGO・ADHOCのスタッフと元スタッフ計5名(ADHOC5)が逮捕された。
ADHOCは、(中略)一般のカンボジア人だけでなく、軍・警察・軍警察向けにも人権保護・教育活動を行い、中立を保ち、カンボジア政府との信頼関係もあった。(中略)
その他、市民活動への締めつけも強まっている。2015年8月にNGO法が制定され、言論・集会・結社の自由への恣意的な制限が強まると懸念された。カンボジア政府は2016年に労組法を制定し、労組活動を制圧。労組が抗議活動を主導できなくなり、抗議は労働者が散発的に行うにとどまるようになっている。(中略)
インターネット上に与党人民党に批判的なコメントを載せただけで逮捕・投獄されることも増えた。フリーダムハウスは2017年に、カンボジアにおけるインターネット上の表現の自由が悪化したと報告している。【5月8日 米倉雪子氏 SYNODOS】
******************
「カンボジア最後の独立系メディア」と呼ばれていたプノンペン・ポスト紙も“身売り”する事態となり、政権批判はますます封印されることになりそうです。
****カンボジア有力英字紙身売り=「最後の独立系メディア」****
カンボジアの有力英字紙プノンペン・ポストは7日、同紙がマレーシアの投資家に売却されたと報じた。この投資家が経営するPR会社はフン・セン首相に近いとされ、報道の独立性に対する懸念が高まっている。(後略)【5月7日 時事】
******************
カンボジア控訴裁判所は、7〜20年の有罪判決を受けたカンボジア救国党党員の控訴をめぐる決定を、明日5月10日に発表する予定ですが、厳しい判断が予想されます。
この救国党党員の11人は、参加者の一部が暴徒化した2014年7月15日の抗議集会に関与した疑いで収監されています。
このうち3名については、治安部隊員を暴徒の攻撃から守ろうとしている動画もありますが、暴動に被告たちが参加している証拠を検察側が提出することはなく、2015年7月21日、プノンペン特別市裁判所は公判を突然打ち切る形で有罪判決を言い渡しています。【5月7日 ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)より】
【野党台頭への不安と中国の後ろ盾 】
“フン・セン政権で、なぜこのような民主化に逆行する政策がとられているのか”ということに関し、前出の米倉雪子氏は、主に2つの要因、近年の傾向から、まともに戦えば選挙に負けるかもしれないという首相・政権の不安感と、中国の後ろ盾を得ていることを挙げています。
****なぜ民主化に逆行する政策がとられているのか****
フン・セン首相が強権的になっている背景には、主に2つの要因がある。
第一に、最大野党救国党が2013年の総選挙と2017年コミューン評議会選挙で躍進し、与党人民党が2018年総選挙に負けるかもしれないと不安を感じたことである。(中略)
、2017年のコミューン評議会選挙では、人民党は得票率50.8%、議席占有率56.2%、議長占有率70.2%と激減し、救国党が得票率43.8%、議席占有率43.3%、議長占有率29.7%と躍進したのである。野党が確実に支持を集めつつある実態が明らかになっていた。
フン・セン首相が野党、メディア、人権団体などの弾圧を強めた第二の要因は、中国からの支援により自信を強めたからといえる。
元救国党党首ケム・ソカー氏逮捕など一連の政策に対し、EUや米国は選挙支援停止、カンボジア政府高官へのビザ制限、貿易恵国待遇の見直しの検討などを表明した。一方で、中国はいち早く2018年の総選挙支援を表明し、フン・セン政権による一連の政策への支持を公言している。
欧州議会が、カンボジア官僚のビザ発行と資産凍結、貿易条件の見直し(衣服、砂糖など輸入に影響)を要請したが、カンボジア政府の反応は、どうぞ実施を、何の影響もない、であった。フン・セン首相は、EUがカンボジアに対して貿易恵国待遇を止めたいなら止めればいい、と公言している。
フン・セン首相は以前から、中国は人権などを条件につけないから良いと公言してきた。近年、カンボジアが欧米ドナーに背を向け、さらに中国寄りになっているのは、日欧米に代わり中国からの援助、貸付、投資の総額が急増していることが影響している。
援助に関しては、2010年、中国はカンボジアへの第一援助国となった。カンボジア政府によると、2016年、全外国援助10億ドルの30%を、中国が出している。第二位は日本で全外国援助の10%を出している。(中略)
中国への依存を強めるカンボジア政府は、一つの中国、南シナ海問題など、中国の政策を支持している。2012年のASEAN外相会議では、中国寄りのカンボジアが議長国を務めたため、南シナ海問題に関してASEAN共同声明が採択できなかった。
2017年12月にはミャンマーのロヒンギャへの軍事活動終結を求める国連決議で、中国、ロシアと足並みをそろえ、カンボジアも反対票を投じている。【前出 SYNODOS】
******************
【フン・セン首相が目指す、一党支配の中国が示す「民主化なき発展」の道】
中国の影響については、欧米が批判しても中国が支えてくれる・・・という話だけでなく、国家の在り方として中国を手本としているようにも見えます。
****(チャイナスタンダード)中国手本「民主化なき発展」 カンボジア、「安定」優先****
青い海と白い砂浜が広がるカンボジアのシアヌークビルは、旧宗主国フランスをはじめ海外の人々を引きつけてきたリゾート地だ。大型船が接岸できるカンボジア唯一の深海港をもつ国際貿易の適地でもある。
シルクロード経済圏構想「一帯一路」を打ち出す中国は、この港町の重要性に目をつけ、官民を挙げて投資を進める。中国資本によるカジノ建設が相次ぎ、年内に40カ所を超える予定だ。
「第2のマカオ」とも呼ばれ、中国から観光客や不動産投機が目的の業者が押し寄せる。よりよい稼ぎを得ようと、目抜き通りの中国語学校は子どもや大人で満員だ。「この街では英語より中国語が重要だ」と、校長のオム・サマリーは言う。
中国マネーを呼び込み、年7%の経済成長が続くカンボジア。中国の影は人々の暮らしだけでなく、国家統治のあり方にも及ぶ。
30年以上にわたりカンボジアを率いてきた首相のフン・セン(67)は7月の総選挙を前に、最大野党による追い上げへの危機感から同党を解党させた。欧米から批判を浴びるが、カンボジアで不動産を手がける中国人は、こううそぶく。
「選挙は与党が100%勝つ。安心した中国人の投資が増える。政党が少ないほど政治は安定し、経済は成長する。中国が手本だ」
2月、中国の支援で首都プノンペン郊外に建設する橋の起工式でフン・センはこうあいさつした。
「我々が中国に近すぎると言う人に聞きたい。侮辱や脅し以外に、欧米諸国が何かしてくれたのかと」
欧米がどれほど真剣にカンボジアに寄り添ってきたのかという不満。カンボジア支援にかかわるNGOメンバーも「民間支援では日本、インフラ投資では中国が圧倒的。ここで米国のプレゼンスを感じたことはあまりない」と話す。
自国民を大虐殺したポル・ポト政権時代とその後の内戦を経験したカンボジアは91年、国際社会の仲介で内戦を終結させ、93年には民主国家建設に向けて内戦後初の総選挙も実施した。だが、四半世紀たった今、フン・センは中国を後ろ盾と頼んで独裁色を強め、民主化は後退している。
その姿は、冷戦時代に米国が反共産圏を築くために支えた開発独裁型の国々とも異なる。開発独裁は韓国など「発展の先の民主化」というモデルも生んだ。しかし、フン・センが追いかけるのは一党支配の中国が示す「民主化なき発展」の道だ。
フン・センの訴えは、ポル・ポト時代の記憶を胸に刻む国民に響く面がある。
プノンペンで不動産投資会社を営むブティ・モニラ(41)は、生後2日で父親を政権に殺された。母は時に虫やカエルを食べさせて、息子の命をつないだ。
そんなカンボジアが復興し、人々が携帯電話を持てるようになった。新しい時代のスタート地点に、ようやく立った気がする。「発展のさなかに政治で混乱してはならない。今大事なのは安定なのです」
手を貸してくれるのが中国なら、今はその手をつかむしかない。人々は期待と不安を抱えたまま、限られたカードを引きつつある。【5月1日 朝日】
******************
【安倍首相 カンボジアの総選挙を全面的に支持】
日本にすれば、カンボジアには多大な支援を行ってきただけでなく、初めて自衛隊をPKOに派遣したのもカンボジアであり、カンボジアの和平と復興、そして民主化プロセスに深く関わってきました。
4月には、河野太郎外務大臣がカンボジアを訪問し、首都圏の送配電網拡張整備に対する円借款の供与、税関の監視艇2隻の贈与を約束しています。
更に、来日したフン・セン首相の息子と安倍首相が会談し、7月の総選挙実施を支持すると発表しています。
****フン・セン首相の息子が訪日、安倍首相と会談****
日本政府は26日、7月にカンボジアで開かれる総選挙の実施を支持すると発表した。今回の声明は、日本で開かれた安倍晋三首相とカンボジア王国軍の司令官フン・マニ氏との会談で発表された。フン・マニ氏はフン・セン首相の息子だ。
フン・マニ氏のFacebookの投稿によると、今回の訪日は安倍首相からの招待を受けたものだったという。訪日の目的は両国の協力関係強化だった。
フン・マニ氏は「日本の安倍首相との会談で、日本がカンボジアの総選挙を全面的に支持してくれるということを確認した。また日本はカンボジアが公正な選挙、選挙権のある人々の本当の意見を反映した選挙の実施を望んでいるようだと話した。
今年2月、在カンボジア日本大使の堀之内秀久氏はカンボジアの国家選挙委員会(National Election Committee)への援助金として、約750万ドル(約8億2千万円)を拠出すると同意した。
国家選挙委員会は日本の支援表明に対し、感謝の意を表した。EUとアメリカは最大野党であったカンボジア救国党(CNRP)が昨年解党された問題を理由に、同委員会への拠出金を断っていた。
フン・マニ氏は日本滞在中、中根一幸外務副大臣や明石康氏元国際連合事務次長などの日本政府の複数の要人との面会を行った。面会した際にはカンボジアの平和、民主主義、法による秩序を維持・促進するにはどうするべきかを話し合ったという。【5月9日 POSTE】
******************
“日本はカンボジアが公正な選挙、選挙権のある人々の本当の意見を反映した選挙の実施を望んでいるようだ”“カンボジアの平和、民主主義、法による秩序を維持・促進するにはどうするべきかを話し合った”・・・とは言いつつも、フン・セン政権の実態は民主化を否定する方向に加速しており、資金的援助はその流れを黙認することにも。
中国の悪評高い“内政不干渉”支援とどこが違うのか?支援と引き換えに、民主化に関する何をカンボジアに確約させたのか?
最大野党を解党させた総選挙を“支持”とは?
日本が支援しなければ、ますます中国への傾斜、民主化の否定を強めるだけであり、それを防ぐためにも・・・という理屈もあるのでしょうが、カンボジアの民主化など眼中になく、単に中国と影響力を競っているだけ・・・でなければいいのですが。