(インドネシア大統領選で「再選確実」と報じられ、メガワティ元大統領(左)と握手するジョコ大統領(右)=2019年4月17日【4月18日 朝日】)
【議会が進める婚前・婚外交渉を禁止する刑法改定案 一般市民からは不満も ジョコ大統領は採決延期要請】
インドネシアは世界最多のイスラム教徒を抱え、その人口に占める割合は87.21%と圧倒的多数派です。
(なお、その他宗教ではキリスト教徒が9.87%、ヒンズー教徒が1.69%となっています。【外務省HPより】)
しかし、イスラム教が「国教」という訳ではなく、逆に多様性を認める「寛容」が国家の基本理念“でした”。
“建国の父スカルノ初代大統領の英断でインドネシアはイスラム教を国教とはせず、キリスト教、ヒンズー教、仏教など他宗教をも認めることで多種多様な民族による国家の統一維持を目指したことから、国是は「多様性の中の統一」であり、「寛容」こそがそのキーワード、と言われている。”【8月2日 大塚智彦氏 JB Press】
そうしたインドネシアにあっても、スマトラ島北部のアチェ州は厳格なイスラム教の教えが重視され、これまでの中央政府との対立・抗争の経緯もあって、シャリア(イスラム法)が認められている特別な地域となっています。
そのため、男女交際などイスラムの教えに背く罪に問われた男女が公開むち打ち刑に処せられるというニュースがしばしば登場します。
****男女6人に公開むち打ち刑、人前での愛情表現で インドネシア****
インドネシア・アチェ州で19日、公衆の面前で愛情表現をみせ、地元で施行されているシャリア(イスラム法)に違反したとされるカップル3組に対し、公開むち打ちの刑が執行された。
刑は同州の州都バンダアチェにあるモスクの前で執行され、覆面姿の執行官が、愛情表現をしていたところを捕らえられた男性3人と女性3人に対し、とうのつえでそれぞれ20回から22回打った。
刑を受けた女性の一人は、痛みによって顔をしかめ、倒れ込んだ。
6人全員はすでに数か月収監されていたという。
スマトラ島の最北端に位置するアチェ州は、世界最大のイスラム人口を持つインドネシアで唯一シャリアが施行されている。賭博や飲酒、同性愛者間の性行為、婚前交渉などが犯罪とみなされ、罰としてむち打ち刑が適用されることが珍しくない。 【9月19日 AFP】
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しかし、冒頭で・・・・「寛容」が国家の基本理念“でした”・・・・と過去形で書いたように、こうしたイスラム教の価値観を重視する宗教保守的な風潮がアチェ州以外のインドネシア全土に広がっているという件は、これまでもしばしばブログで取り上げてきました。
(8月2日ブログ“インドネシア 多様性を認める寛容さ旨とする国家に広がる不寛容”など)
“しかし、実際のところ最近のインドネシアを覆っている空気は、圧倒的多数のイスラム教徒による「暗黙のイスラム優先の押し付けと他宗教による忖度」で、性的少数者のみならず民族的少数者、宗教的少数者など「少数者」への偏見と差別、人権侵害が堂々とまかり通る深刻な状況に陥っているのが現状なのだ。” 【8月2日 大塚智彦氏 JB Press】
こうしたイスラム教の価値観を重視する昨今の風潮を反映した法律が成立目前となっています。
****婚外の性交渉は犯罪、インドネシア新刑法案が通過へ 人権団体が懸念****
インドネシアで配偶者以外の相手と性的関係を持つことを禁じた刑法の改正案が成立する見通しとなり、実質的に同性関係を否定するものだとして人権団体などが批判を強めている。
改正案は議会下院の法務委員会で18日に承認され、24日に行われる本会議の採決を経て成立する見通し。準備期間を経て約2年後に施行される。
これに対して人権団体は、女性や少数宗教、LGBTに対する差別を助長するとして強く反発。改正案には大統領を侮辱した者に対する罰則も盛り込まれたことから、言論の自由や結社の自由が脅かされると批判している。
改正案では婚外関係に対して1年以下の禁錮を規定、近親者が警察に被害届を出せば、カップルが訴追される可能性がある。
人権団体によると、条項の中に同性関係に言及した具体的な文言はないものの、実質的に同性関係は全て犯罪と見なされる。さらに、「わいせつ行為」を禁じる規定がLGBTに対して適用され、半年以下の禁錮を言い渡される恐れがある。
未婚のカップルが同居している場合も、警察に通報されれば半年以下の禁錮または罰金を言い渡される可能性がある。近親者が通報しなかったとしても、村の首長が警察に通報することもできる。
人工妊娠中絶については、中絶手術を行うかどうかの決定権は医師のみにあると規定。中絶した女性に対しては禁錮4年、女性の中絶を助けた場合は禁錮5年の罰則を定めた。
さらに、大統領や副大統領に対する侮辱を犯罪とみなす条項も盛り込まれ、言論の自由が脅かされないとの懸念が強まっている。
国際人権保護団体のヒューマン・ライツ・ウォッチによれば、宗教に対する冒とくの罪の規定も拡張され、最大5年の禁錮刑が維持される。同団体の上級研究員は法案が成立すれば「インドネシアはイスラム国家になる」「シャリア(イスラム法)からむち打ちを除いたものに依拠しているのと同然だ」と批判した。
新刑法の準備には数十年が費やされた。2015年に法案を提出したヤソンナ法務・人権相によると、本法案は100年前のオランダ統治時代の刑法を置き換えるものになる。現行法は今の社会に適さない規定もあり、より国民の生活に即した内容になるという。ヤソンナ氏は「全員が全ての条項に同意しているわけではないが、全員の意見を聞いていたら法案は通過できず、最良のものを作れた」と語った。【9月20日 CNN】
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ジョコ・ウィドド大統領は、かつてイスラム保守勢力によって血祭りにあげられたキリスト教徒華人バスキ・プルナマ(通称アホック)ジャカルタ特別州知事を政治的パートナーにしていたように、個人的にはこうした風潮には賛同しない立場とは思われますが、先の大統領選挙でイスラム教穏健派重鎮を副大統領候補としたように、現実政治の場においてはイスラム勢力との妥協を余儀なくもされています。
そうした状況にあって、ジョコ大統領は今回の新刑法の採決延期を議会に求めています。
****インドネシア、婚前交渉禁止案に批判 大統領が採決延期要請****
インドネシアで、同性・異性間の婚前・婚外交渉を禁止する刑法改定案が議会を通過する見通しとなり、世論の反発を呼んでいる。ジョコ・ウィドド大統領は20日、議会に対し法案の採決延期を要請した。
ウィドド大統領は反発が出ていることから、刑法改定案は慎重に吟味されるべきだと表明。来週の会期終了前に予定されている採決の中止を議会に要請した。
改定案が成立すれば、婚前・婚外交渉を持った男女は禁錮6月〜1年と罰金を科される可能性があり、世界最大のイスラム教国である同国で暮らす多数の人々に影響が及ぶ恐れがある。また、インドネシアでは同性婚が合法化されていないため、新法は同国の小さな性的少数者コミュニティーを罰するものになるとの懸念も生まれている。
在インドネシア・オーストラリア大使館は20日、インドネシアへの渡航者に対し、新法が未婚の外国人旅行者にも適用される可能性があるとして、注意を呼び掛けた。
インドネシアでは、オランダ植民地支配時代にさかのぼる刑法の改定をめぐる議論が数十年前から続いていた。昨年には一時、改定案が議会を通過する見通しとなったものの、立ち消えとなっていた。
刑法改定を目指す動きは今年、保守系イスラム団体の支持を受けて再び勢いを得たが、人権団体や一般市民の多くは私的な行為を侵害する厳格な法律だとして激しく反発している。 【9月21日 AFP】AFPBB News
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ジョコ大統領の指導力は発揮されるでしょうか?
【政治家が進める汚職摘発機関の「骨抜き」改革 ジョコ大統領の対応は?】
もう1件、大統領の指導力が問われれる案件があります。
****インドネシア、汚職捜査機関が「骨抜き」の危機に****
インドネシアには「最強の捜査機関」と称される組織が2つ存在する。それは警察でも検察でもなく、「麻薬委員会(BNN)」と「汚職撲滅委員会(KPK)」だ。いずれも国家委員会であり独立した国の捜査組織である。それぞれ麻薬犯罪、汚職犯罪の摘発を精力的に続けており、国民から厚い信頼を寄せられている。
というのも、1998年に崩壊したスハルト長期独裁政権下での悪弊である「汚職・癒着・親族主義(KKN)」の根絶こそが、インドネシアが民主国家として歩み始めて以来の最大の国家的課題であり、かつ現在も各界に汚職が蔓延しているからだ。
「最強の捜査機関」の手足を縛る法改正
その「最強の捜査機関」の1つ、汚職摘発を担うKPKの捜査は、日本の検察の「秋霜烈日」にも匹敵すると言われるほど、情け容赦なく、閣僚、国会議員、司法関係者などの権力者も次々と摘発し、国民からの喝采を浴びる「正義の組織」だ。
ところが、そのKPKが今、大きく揺らいでいる。摘発される対象者に国会議員や地方公共団体の首長、政党党首、公営企業や銀行のトップといった「VIP」が多く含まれていることから、国会で「汚職撲滅法改正案」が審議されるようになり、9月17日、ついに賛成多数で可決されてしまったのだ。
国会はすでにKPK幹部人事にも関与し、南スマトラ州警察本部長のフィルリ・バフリ氏をKPKトップの新委員長に任命している。
KPK関係者らによると、フィルリ氏はこれまでにKPKによる汚職捜査の容疑者となった州知事らと非公式に接触するなど倫理規定違反の疑いが持たれており、「KPK委員長として不適格」との指摘がなされている。
KPKが弱体化することはインドネシアのスハルト時代の「負の遺産」である汚職体質を温存するどころか、蔓延を容認することにもなりかねない。そんな懸念から、インドネシアのマスコミも珍しく足並みを揃えて反対の論調を張り、「反対」は今や国民レベルの要望となっている。
改正法の一部不同意を示した大統領
そこで注目されるのが、4月の大統領選で再選続投を決めたジョコ・ウィドド大統領の決断だ。
当初、国会の議案可決を追認する姿勢を見せていたジョコ大統領だが、国民やマスコミの反対論の大きさに配慮し、「改正法の一部修正」を表明して、国民の要求を受け入れる態度を示している。
10月1日の新内閣発足に向けて、ただでさえ各政党からの閣僚人選へのプレッシャーが高まる中、改正法で「KPK弱体化」を目論む国会と、「弱体化反対、汚職根絶継続」を望む世論との板挟みの中で、苦しい決断を迫られているというわけだ。(中略)
ジョコ・ウィドド大統領はこうした改正法の内容に関して、「通信傍受に関する許可申請や警察官・検察官に限定した捜査官の採用、公訴の際の最高検との調整、政府高官の資産調査権」に関して「KPKの権限の弱体化につながる」として拒否する姿勢を9月13日に示していたのだが、4日後には国会で可決されてしまった。
輝かしい汚職摘発の実績
(中略)
相次ぐKPK捜査官・幹部への脅迫と襲撃
インドネシアの巨悪と闘うKPKには、「権力者」側からの反発も根強い。
(中略)KPK捜査官はまさに命がけで捜査している。それだけに彼らの手による摘発は、汚職とは無縁の一般国民から常に絶大な支持で迎えられており、KPKへの支持率は70%以上という調査結果もある。KPKのスローガン「正直と勇気」の言葉がプリントされたシールが国中に出回っているのも、国民の支持が厚い証左だろう。
大統領の鼻は伸びているのか
国会では「汚職撲滅法改正案」について、一部野党は改正法に疑問を示したものの、最大与党でメガワティ元大統領が率いる「闘争民主党(PDIP)」を含む多数派の与党に加え、野党第1党の「グリンドラ党」が賛成に回ったことから可決されてしまった。
現状のままでいくと、12月21日に国会が指名した新委員長以下の新メンバーがKPK指導部に就任することになる。それに対して現在のKPK幹部の大半は、「そういう人事がまかり通るならKPKを去る」としている。
KPKが完全に骨抜きにされてしまうのか、あるいはこれまで通りの最強の捜査機関として維持され、国民の溜飲を下げる大物汚職者の摘発を続けることができるのか。KPKは創設以来、最大の岐路に立たされている。
前述のKPK元副委員長ウィジャヤント氏は地元マスコミに対して「汚職者たちのネットワークが国会や政府にも広がっており、彼らがKPKを有名無実化しようと画策している」と国会の動きを批判している。
果たしてジョコ大統領は、権力者のプレッシャーをはねのけ、国民の期待に応えることが出来るのだろうか? 残念ながら、世論はかなり懐疑的な目で見ている。
インドネシアの週刊誌「テンポ」は、9月16日号の表紙にジョコ大統領の似顔絵を載せた。壁に映った大統領の影は、鼻が長く伸びている。
大統領はKPKを強化して汚職を根絶すると約束していたのに、矛盾することを行おうとしている。大統領は“嘘”をついている――同国を代表する週刊誌は、大統領の本心をそう看破しているのである。【9月18日 大塚智彦氏 JB Press】
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【与党「闘争民主党(PDIP)」党首のメガワティ元大統領との力関係】
ジョコ大統領は国民的人気は高いものの、政党政治家としては、与党内の実権を把握している訳ではありません。
与党「闘争民主党(PDIP)」を率いるのはジョコ大統領ではなく、初代大統領スカルノの長女、メガワティ元大統領です。ジョコ大統領はPDIPの一党員にすぎません。
このあたりの事情が、ジョコ大統領の議会に対する指導力の制約ともなっています。
****今なお続くインドネシア「スカルノ一族支配」の構図***
(中略)
衆人環視の下、大統領に閣僚人事で「注文」
毎年独立記念日に大統領官邸で厳粛な雰囲気で挙行される記念式典では、全国から選抜された青少年に大統領から紅白の国旗が手渡され、それが国歌とともに中央の掲揚台に高く掲げられ、式典は最高潮となる。
その晴れ舞台の正面壇上、ジョコ・ウィドド大統領の斜め後ろに並ぶ歴代大統領、副大統領の列に緑色の民族衣装クバヤを着た女性がいた。メガワティ・スカルノプトリ第5代大統領でスカルノ大統領の長女である。
メガワティ元大統領は4月の総選挙で最大議席を獲得し、ジョコ・ウィドド大統領が所属する政党でもある「闘争民主党(PDIP)」の党首でもあり、現在のインドネシア政治の舞台裏で政権運営のカギとなる人物といえる存在である。(中略)
開会のあいさつに立ったメガワティ党首は演説の中で「PDIPは総選挙で最大議席を獲得した。次期内閣では当然のことながら最大数の閣僚が選ばれることと思う」と述べ、次期大統領として組閣するジョコ・ウィドド大統領に「プレッシャー」をかけた。
その後、演壇に上がったジョコ・ウィドド大統領は演説草稿を読み終えた最後にアドリブで「(PDIPからの入閣は)当然沢山になる」と応えて会場から拍手喝采を浴びた。
このやり取りを翌日の地元紙は「党の指導者が誰であるかを明確に示した」「党のメガワティ体制がさらに強固になった」「大統領に堂々と注文をつけた」などと一斉に伝えた。
メガワティ党首と父スカルノの2ショット看板
(中略)いくら自党所属の大統領とはいえ、閣僚の人選にまで堂々と「介入」するところに現在のインドネシア政治におけるメガワティ党首の役割がみてとれるといえる。
この政治の黒子のような(別に隠れて暗躍している訳ではないので黒子とも言えないが)役回りはメガワティ党首が大統領経験者であると同時にインドネシア人の誰もが尊敬するスカルノ大統領の長女であることに依るところが大きい。
党大会が開かれたバリ島はPDIPの牙城とされる選挙区で、街中にあふれた党大会の看板にはメガワティ党首と並ぶスカルノ大統領の写真が印刷され、スカルノ精神ともいうべき「スカルノイズム」の正統的継承者であることを印象付ける構図になっている。(中略)
「キングメーカー」メガワティ党首
8月15日付けの英字紙「ジャカルタ・ポスト」(ネット版)はこのメガワティ元大統領を「キングメーカー」と形容してインドネシア政治の裏舞台で策動する最近の様子を報じた。(中略)
ジョコ・ウィドド大統領のこれまでの5年間の政権運営には、所属政党であるPDIPの意向、特にメガワティ党首の意向や思惑がある程度反映されたものだった。(中略)
PDIPとしてはメガワティ党首が党員に過ぎないジョコ・ウィドド大統領を指導し、同時にメガワティ元大統領が大統領経験者として、さらに国民の尊敬を一身に集める独立の父の娘としてインドネシアの現在の指導者に、と大統領を取り巻く3重のしがらみの中でどこまで自己流を貫くことができるのかがジョコ・ウィドド大統領のこれからの5年間の見どころの一つとなるだろう。
下手をすれば執政に不慣れな幼い皇帝に対し、本来なら背後の簾の後ろにいるべき皇后や皇太后などの女性があれこれ指図する「簾政」あるいは「垂簾聴政」になりかねないのが今のインドネシア政治ともいえる。
地方の知事経験はあるものの国政経験はわずか5年しかない大統領の後ろの簾には政治経験豊かで正統派の血統を引き継ぐ女性が控えているのだから。【8月19日 大塚智彦氏 JB Press】
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ジョコ大統領は規定によって3選はありませんので、次期大統領候補を誰にするかをめぐって、「キングメーカー」メガワティ党首の圧力は更に強まると予想されます。
そうした政治情勢の中でのジョコ大統領の指導力発揮・・・どうでしょうか?