孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

チリ  軍事クーデターから50年 両極化で激しさを増す左右の分断

2023-09-12 22:55:59 | ラテンアメリカ

(軍事クーデター50年を前に行われたデモ行進に反対するグループと警察の衝突 このような衝突は、ピノチェト政権時代の犠牲者が埋葬されている墓地でも発生しました。チリ政府の発表によれば、警察は催涙弾と放水車によって衝突の沈静化を図りました。【9月11日 Pars Todayより】)

【ピノチェト将軍が実権を握った軍事クーデターから50年 民主主義の尊重などを訴えるデモ行進に妨害も】
11月10日、南米・チリではピノチェト将軍が実権を握った軍事クーデターから50年の節目にあたり、ボリッチ大統領も参加して民主主義の尊重などを訴えるデモ行進が行われました。

****チリ軍事クーデター50年を前にデモ行進 妨害グループと警察の衝突も****
南米チリでピノチェト将軍が実権を握った軍事クーデターから50年になるのを前に、民主主義の尊重などを訴えるデモ行進が行われ、これを妨害しようとするグループと警察との間で衝突が起きました。

1973年のピノチェト将軍らによる軍事クーデターから11日で50年。チリの首都サンティアゴでは10日、ピノチェト独裁政権時代の犠牲者を追悼し、真実の解明と正義、民主主義の尊重などを訴えるデモ行進が行われ、遺族らとともにボリッチ大統領も参加しました。

大統領府や墓地の周辺では、デモの妨害を図るグループが警備を担う警察に対して石や火炎瓶を投げ、警察が放水車や催涙弾で応戦しました。

AFP通信によりますと、ピノチェト独裁政権下では、死者や行方不明者が3200人を超え、およそ3万8000人が拷問を受けたといわれています。【9月11日 TBS NEWS DIG】
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【右と左の間で振れるチリ政治の振り子】
南米チリのここ数十年の政治を超簡単に振り返ると、左派と右派の間で振り子のように揺れてきたことがわかります。

特筆すべきは、1970年の大統領選挙により、人民連合のアジェンデ氏を首班とする社会主義政権が誕生したことです。アジェンデ政権は世界初の民主的選挙によって成立した社会主義政権でした。

しかし、急進的な施策は社会混乱も惹起し、軍部とも対立が激化。そうした混乱のなかで1973年、アメリカを後ろ盾とするピノチェト将軍が軍事クーデターによって権力を掌握することに。こうした中南米におけるアメリカの画策は広く見られるところで、中南米諸国の“反米”傾向を生むことにもなっています。

このクーデターのさなか、軍が包囲する状況で自ら自動小銃を手に抵抗したアジェンデ大統領は降伏を拒否して自殺。この壮絶なアジェンデ政権崩壊を描いた映画が「サンチャゴに雨が降る」 サンチャゴに・・・はラジオで繰り返し流された、クデーターの危機を政権支持者に知らせる暗号メッセージ。

ピノチェト独裁の軍事政権は反体制派と見なされた左派系市民に対し徹底した弾圧を行いました。
“後の政府公式発表によれば約3,000人、人権団体の調査によれば約3万人のチリ人が(軍内の「死の部隊」や秘密警察による)作戦によって殺害され、数十万人が各地に建設された強制収容所に送られた。国民の10分の1に当たる100万人が国外亡命し、失業率22%、さらには国民の4分の1のGNPが全くなくなる”といった惨状に。

この混乱のなかで失踪したアメリカ青年の事件をモデルにした映画がシシー・スペイセク主演の「ミッシング」

さしもの軍事政権も国民批判を受けて1990年に終焉。文民政権に移管されることになりました。
その後、チリ政権は左派政権が続いていましたが、2010年に民政移管後初の右派大統領が誕生。

2013年には左派、2018年には右派が勝利し、2021年に現在の左派ボリッチ大統領が誕生しています。

昨年9月、左派ボリッチ大統領はピノチェト軍事政権下で成立した憲法の改正に臨みましたが、その急進的内容への抵抗が大きく失敗しました。

****チリの「革新的」新憲法草案、国民投票で否決…女性の権利拡大や先住民の自治権認める内容****
南米チリで(2022年9月)4日、アウグスト・ピノチェト元大統領による軍事政権(1973〜90年)下で制定された現行憲法に代わる新憲法の草案の是非を問う国民投票が行われ、否決された。選挙管理委員会によると、開票率99・95%で賛成38・14%に対し、反対は61・86%に上った。

草案には教育、医療福祉を巡る国の義務や女性の権利拡大が明記された。人工妊娠中絶の権利や先住民の自治権を認める革新的な条文も盛り込まれていた。

チリでは2019年10月、地下鉄運賃の値上げ発表に端を発した国民の抗議デモが拡大した。新憲法制定はデモ隊が求め、20年10月に行われた制定の必要性を問う国民投票では約8割が賛成した。制憲議会が草案をまとめ、改めて国民投票が行われたが、左派色の強い制憲議会への不信感が国民全体に広がったとみられる。

結果を受け、ガブリエル・ボリッチ大統領は「大多数の国民の意見を反映した制憲プロセスに着手する」と述べた。1980年制定の現行憲法は教育や福祉で国の義務が明記されておらず、格差拡大の一因と指摘されていた。【2022年9月5日 読売】
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この左派ポピュリズムとも批判された憲法改正の失敗について、“欧米メディアは、かねてから、チリの新憲法案は、左派的で急進的に過ぎ独裁主義に道を開く可能性があり、承認されればチリの政治も経済も不安定化するとの警鐘を鳴らしていたが、最近にしては珍しく、欧米の論調と当該国の有権者の投票態度が一致した。”【9月30日 WEDGE】との評価も。

ただ、“ポピュリズムを否定したチリの市民的成熟を示すもの”というよりは、“中間派が右派と共に、急進的過ぎた憲法案を拒否しただけの現象であって、市民的成熟を示すものではなく、要するに中間派の票が右に行ったり、左に行ったりしているだけとも解釈できよう。”【同上】とも。

目下の状況は、振り子が「右」に振れているようにも。

経済低迷、治安悪化の状況で左派ボリッチ大統領の支持率は低下、今年5月に行われた新憲法の草案を作成する憲法審議会の議員を選ぶ選挙では右派が勝利しました。

****チリの憲法草案作成メンバー選挙、右派が圧勝 左派大統領に打撃****
南米チリで(5月)7日、新憲法の草案を作成する憲法審議会の議員50人を選ぶ選挙があり、右派勢力が圧勝した。

左派のボリッチ大統領にとっては新憲法の制定を主導できなくなり、大きな打撃だ。右派勢力は現行憲法に肯定的な立場のため、新憲法草案がどのような中身になるかは見通せなくなった。 チリでは選挙で選ばれた憲法審議会が新憲法の草案を作り、国民投票でその是非を問う。

選挙管理当局の発表(開票率99・98%)によると、2021年の大統領選でボリッチ氏に敗れた右派のカスト元下院議員率いる共和党が22議席、他の右派連合が11議席を獲得。左派連合は17議席だった。憲法審議会には先住民の代表者1人も加わる。

草案の条項の承認には審議会の5分の3の賛成が必要。このため左派主導での草案作成は難しくなった。新憲法草案の是非を問う国民投票は12月に実施される予定。

軍事独裁政権時代の1980年に制定された現行憲法は新自由主義を重視し、貿易や医療、年金分野などあらゆる市場が開放された。

チリは90年の民政移管後に安定成長を果たし、「南米の優等生」と称された。しかし、その裏では格差が広がり、19年には大規模な反政府デモが発生。デモ隊は格差の元凶に現行憲法があるとして新憲法の制定を要求した。翌20年の国民投票で新憲法を制定することが決まった。

ボリッチ氏は格差是正のために新憲法が必要だと訴えてきた。7日の選挙の結果を受け、敗北を認めたうえで「チリのことを最優先に考え、(新憲法草案づくりの)プロセスに取り組んでほしい」と右派勢力に呼び掛けた。一方、カスト氏は首都サンティアゴで演説し「失敗した政府を倒した」と述べた。

22年に新憲法案の是非を問う国民投票が実施された際は、左派系主導で作られた内容が急進的だと批判され、否決された。【5月9日 毎日】
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【「民政復帰以降で最も両極化が激しくなっている」】
右と左の間で振れる振り子が次第に真ん中あたりに収斂してくれば社会も落ち着くのでしょうが、往々にして政権への批判から反対側に過度に振れることも。

****軍事クーデターから50年迎えたチリ、政治的分断なお解消されず*****
ちょうど50年前の1973年9月11日、チリでは陸海空軍と警察がクーデターを起こしてサルバドル・アジェンデ大統領の左派政権を打倒し、世界に衝撃を与えた。その後20年にわたる軍政が始まり、多数の人々が弾圧によって殺害される事態に発展した。

クーデターの指導者アウグスト・ピノチェトは、1980年代にかけて大半の南米諸国で誕生した親米右派の独裁者の先駆け的な存在。チリに市場経済モデルを根付かせた半面、数多くの逮捕や拷問、失踪事件を起こした時代の指導者として特徴付けられている。

そして大統領宮殿では11日、クーデター発生時刻に合わせて軍政による犠牲者への黙とうをささげる行事が実施された。

ボリッチ大統領は「痛ましく、また間違いなくわが国の歴史の転機になった日をわれわれは追悼する。クーデターはその後に続いた出来事と不可分だ。クーデターの瞬間から人権が侵害されたのだ」と語った。

ただそれから半世紀を経た今も、チリでは左右両派の政治的分断は解消されていない。軍政の犠牲者と遺族らは、政治的公正や説明責任を求める声を強めているが、国内で犯罪増加への懸念が広がる中で、右派勢力は着々と地歩を伸ばしつつある。

軍事クーデターの記憶を新たにするための大がかりなイベントを提唱してきたボリッチ氏に対しては、一部の政治家や有権者が反発。最近の世論調査では、国民の60%が過去のクーデターに関心がないと答え、約4割はクーデターが起きたのは当時のアジェンデ政権に大半の責任があるとの見方を示した。

アジェンデ政権が試みた過激な改革が混乱を招いた面があるのは確かで、保守派からはピノチェト政権になってチリは中南米でも屈指の政治的安定性と経済的な成功、治安の良さを確保できたとの主張が聞かれる。

2019年には格差拡大に抗議する反政府デモが活発化し、ピノチェト政権下で制定された憲法を制定し直す取り組みが進められた。しかし昨年の国民投票ではこうした新憲法草案が反対多数で否決され、左派勢力にとって大きな痛手となった。

現在のチリについて専門家の1人は「民政復帰以降で最も両極化が激しくなっている」と指摘した。【9月12日 ロイター】
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