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(米誌タイム2013年7月号は、ミャンマーで続く仏教徒とイスラム教徒との対立の扇動者として仏教の高僧ウィラトゥ師を特集し、表紙にその顔写真を「仏教徒テロの顔」として掲載、ミャンマー側からの強い反発を買いました。)
【ミャンマーの変革の多くは、将軍たちが次に何をするかにかかっている】
下記はミャンマー民主化の懸念される問題に関する記事です。
****進むミャンマーの改革と残された課題****
フィナンシャル・タイムズ紙が、ミャンマーが真の改革を達成しつつあると認める一方、憲法改正、少数民族への対応、経済的果実の分配、宗教対立の鎮静化といった課題がある、とする社説を2月15日付で掲載しています。
すなわち、ミャンマーは今年総選挙を迎えようとしているが、2010年に行われた選挙は、きわめて重要なものであった。
軍に議席の4分の1を保証する憲法に基づいて実施され、主要野党NLD(国民民主連盟)はボイコットしたが、真の変化の始まりであった。
アウン・サン・スーチーを含む、何百もの政治犯が釈放され、検閲は緩められた。少数民族の武装勢力との停戦が交渉され、補欠選挙では、スーチー以下40名のNLDの候補が議席を得た。議会が力を得て、本物の民主主義が生まれる余地が出来た。
しかし、ミャンマーの変革には、必要なことがまだある。軍が自信をもって権力から遠ざかることが不可欠である。軍は議席を返上し、憲法改正への拒否権を放棄すべきである。
また、スーチーを念頭に置いた、外国籍の子を持つ人が大統領になれないとの憲法の条項を削除すべきである。スーチーが大統領になることが排除された選挙は、正当性を欠くことになろう。
ただ、それは、ミャンマーの運命がことごとくスーチーにかかっている、ということではない。スーチーには、国家の運営に必要な資質があるか否か懸念がある。民主主義の象徴であることと、政治的・経済的問題を抱えた国家の指導者となることは、全く別問題である。
憲法問題は氷山の一角である。誰が大統領になるにせよ、多くの危険な問題に取り組まねばならない。特に次の3つである。
第一は、真の連邦主義を採用し、少数民族との和解に達することである。
第二に、経済成長の果実をより広く行き渡らせることである。
第三に、イスラム教徒との宗教的緊張をしっかりコントロールしなければならない。
ラカイン州では、イスラム教徒は酷い扱いを受け続けている。新政府は、イスラム教徒が二級市民として取り扱われないようにしなければならない。
ミャンマーの変革の多くは、将軍たちが次に何をするかにかかっている、と述べています。(後略)【3月20日 WEDGE】
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スー・チー氏の大統領資格を含む憲法改正問題については、1月17日ブログ「ミャンマー 民主化プロセスに停滞感も」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20150117)で、イスラム教徒ロヒンギャの問題や少数民族との停戦交渉については、2月15日ブログ「ミャンマー ロヒンギャ問題でも、少数民族との停戦でも“黄信号”」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20150215)でも取り上げてきました。
【コーカン族問題では、中国は事態の沈静化を図りたい考え】
少数民族問題のうち、最近衝突が拡大した中国系コーカン族の問題については、2月24日ブログ「ミャンマー北東部で中国系少数民族と政府軍の戦闘 中国国内には介入を求める声も」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20150224)で取り上げましたが、衝突はまだ収まっていないようです。
****北東部の戦闘、死者約200人に=武装勢力と激戦続く―ミャンマー****
中国との国境に近いミャンマー北東部シャン州コーカン地区で続く国軍とコーカン族武装勢力の武力紛争で、政府系メディアによると、18日の衝突で国軍と武装勢力の計16人が死亡した。これまでの政府系メディアの報道を総合すると、2月9日に戦闘が始まって以来、死者は双方合わせて約200人に達した。(後略)【3月19日 時事】
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この間、国境を接する中国雲南省の村が爆撃され中国の住民5人が死亡し8人が負傷する事件が発生。
中国側がミャンマー空軍機による爆撃と主張するのに対し、ミャンマー政府は「国軍の空爆ではない」と反論。
また、ミャンマー側はコーカン族武装組織の攻勢に中国が武器支援や傭兵送り込みなどで肩入れしているとみおいます。
“中国軍は15日までに、戦闘機や対空ミサイル、高射砲などの部隊をミャンマーとの国境地帯の雲南省臨滄市に移動させた”【3月16日 Searchina】と両国関係が緊張する事態も報じられており、中国ネット上では「ミャンマーの内戦に介入すべきだ」といった書き込みが殺到するなど、中国版クリミア介入のような事態も一部では危惧されています。
ただ、中国・習近平政権が欲しているのは、中国系コーカン族が暮らす辺境の地などではなく、東南アジア・南アジア・中央アジアから欧州にいたる世界戦略「一帯一路」において重要な位置を占めるミャンマー政府との協力関係であり、クリミア・ウクライナ東部に介入してロシア民族主義を満足させた一方で、ウクライナ本体を決定的に欧米側に追いやり、周辺国のロシア警戒感を高めることになったプーチン大統領のような愚策はとらないでしょう。
****ミャンマーと関係発展維持=中国外相が雲南省に―爆弾事件****
中国の王毅外相はミャンマーと国境を接する南部の雲南省を訪れ、16日、外交に関する省の会議に出席した。
ミャンマー国軍とコーカン族武装勢力の衝突に絡む爆弾落下で中国側の住民13人が死傷した事件に関し、国境の平和・安定と中国国民の生命財産を守り、両国関係発展の大局を維持することについて省幹部らと意見交換したという。
17日付の地元紙・雲南日報が伝えた。事件で中国政府はミャンマー軍機の爆弾として強く抗議。一方、ミャンマー側は関与を否定しつつ「深い遺憾」の意を表明し、両国の共同調査が始まっている。
国境の中国側には数万人の難民が流入しているとされるが、中国はミャンマーとの決定的な対立を避け、事態の沈静化を図りたい考えとみられる。【3月17日 時事】
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ミャンマー政府も、コーカン族の問題はさておき、遅延している少数民族との全土停戦に向けた交渉を再開しています。
****停戦協定の交渉再開 ミャンマー****
ミャンマーで1948年の独立直後から内戦状態にある政府軍と少数民族武装勢力との「全国停戦協定」をめぐる交渉が17日、最大都市ヤンゴンで再開された。政府軍の代表や少数民族側交渉団長も加わる正式な交渉は、昨年9月に中断して以来6カ月ぶりだ。
同国北部で政府軍の攻撃が激化し、少数民族側に停戦機運が高まる一方、政府側も今年後半にある総選挙の前に全土停戦を実現したい思惑があるとみられる。【3月18日 朝日】
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【仏像ヘッドホン事件】
そうしたなかで、ミャンマー民主化の変質も懸念させる事件が起きています。
事件そのものは些細な三面記事的なものではありますが、背後には危険な流れが感じられます。
****<ミャンマー>「仏像にヘッドホン」絵…宗教侮辱で懲役判決****
ミャンマーでヘッドホンをした仏像のイラストをバーの広告に使ったとして、宗教侮辱罪に問われたニュージーランド人経営者(32)ら3人に対し、裁判所は17日、懲役2年6月の判決を言い渡した。
国際人権団体は「表現の自由の侵害だ」と反発しているが、仏教徒が大半を占める世論の大勢は判決を支持しており、民政移管(2011年)以降の仏教ナショナリズムの高まりを反映した形だ。
経営者は昨年12月、最大都市ヤンゴンで開店したばかりのバーで「ドリンク割引」を宣伝しようと、自身のフェイスブックにイラストを掲載。直後から強硬派の仏教グループが猛抗議したのを受け、警察は経営者とともに店のオーナーと従業員のミャンマー人2人も逮捕した。
逮捕翌日、店側はイラストを削除し「いかなる宗教を侮辱する意図もなく、無知だった」と謝罪文を載せた。裁判所は17日の判決で、「宗教を侮辱する意図的な企てだった」と断罪した。
ミャンマーでは、司法機関が政権から独立しているとは言い難く、判決の背景について「今年後半の総選挙に向け、(政権与党が)仏教徒の票を獲得するため政治利用した」との指摘も出ている。
ネット上では世界各地から「ミャンマーは寛容な仏教国ではなかったのか」「罰金や寺院の清掃奉仕で済む話では」といった批判が噴出。だが、国内では「より重い罪にすべきだった」との強硬論も根強い。
ミャンマーでは昨年、仏像のイメージを入れ墨にしているとして、カナダ人やスペイン人の観光客が相次いで強制送還される事件も起きている。
民政移管以降、仏教徒とイスラム教徒の対立が先鋭化し、暴動が頻発したことから、政権も世論も「宗教」に対し過剰反応する傾向が続いている。【3月19日 毎日】
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ムハンマドを“冒涜”するとされる風刺画などへのイスラム教徒の過激な反応をも想起させます。
もちろん現地住民の心情を逆撫でしたことに対しては反省する必要があるでしょうが、ムハンマド風刺画のような宗教的“冒涜”の意図はまったく感じられない事件です。
もし、今回ケースが問題とされるなら、日本国内で頻繁に見られる仏像や僧侶を面白おかしく取り扱うコントなども重罪となるでしょう。
更に言えば、現地住民による似たような行為は今までもあったものの、特段問題にされることもなかったとも。
外国人が標的にされたのは“仏教ナショナリズムの高まり”の結果であり、その原動力となっているのが“強硬派の仏教グループ”であるということが、非常に懸念されます。
【少数派イスラム教徒に矛先を向ける偏狭で攻撃的な自文化至上主義】
少数派イスラム教徒との緊張が高まっていることや、イスラム教徒ロヒンギャの対応においてミャンマー政府が事態を改善する手を打てないのも、“強硬派の仏教グループ”に扇動された“仏教ナショナリズムの高まり”が背景にあります。
ロヒンギャであっても「ホワイトカード」(暫定的な身分証明書)を発給されている一部の人に限り、憲法改正のための国民投票の投票権を与えるとする法律が成立したものの、多くの仏教僧が参加する抗議デモが起こり、わずか1日で、ホワイトカード制度自体が失効することになったこともあります。
“強硬派の仏教グループ”の中心的人物であるウィラトゥ師については、2013年8月17日ブログ「仏教界にもいろいろ タイの贅沢僧侶 ミャンマーの反イスラム・過激僧侶」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20130817)でも取り上げたことがあります。
ウィラトゥ師は「イスラム教徒は仏教徒の文化や伝統を破壊し、女性を結婚によって無理やり改宗させている。信者が急増している」と社会の反イスラム感情を煽り立てています。
その活動は激しさを増しています。
****ミャンマー仏教僧「国連報告者は売春婦」 宗教巡り物議****
ミャンマーで反イスラム的な主張を掲げる仏教僧が、ミャンマーの人権状況に関する国連特別報告者を「売春婦」呼ばわりしたことが物議を醸している。21日に国連が抗議声明を出すなど国内外から批判が出ているが、過激な言動には歯止めがかかりそうにない。
発言したのは人口の9割近くを仏教徒が占めるとされるミャンマーでイスラム脅威論を唱えるウィラトゥ師。
16日、旧首都ヤンゴンを訪問していた李亮喜(イヤンヒ)・特別報告者への抗議デモで約500人を前に、李氏に対して「国連にいるからと言って自分を尊敬に値する人物だと思うな。私たちの国では、あなたはただの売春婦だ」などと述べた。
ウィラトゥ師らは、国連をイスラム教徒寄りだと見なす。国連総会は先月、西部ラカイン州で仏教徒とイスラム教徒のロヒンギャ族が対立する問題で、無国籍のロヒンギャ族に国籍を与えるよう求める決議を採択。李氏は、これらの問題などを調べるためにミャンマーを訪れていた。
発言には、ネットを中心に批判が出ている。2007年の反政府運動の指導者の1人だった仏教僧のトービタ師は朝日新聞に「僧としてふさわしくない発言で仏教のイメージを傷つける」と語った。
だが、ウィラトゥ師はAFP通信に「もっと激しい言葉があればそれを使った」と反発している。【1月23日 朝日】
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昨年には、ミャンマーの仏教過激派がスリランカの仏教過激派と国際連携に動き出したとも報じられています。
****スリランカとミャンマーに出現した仏教過激派連合を問う(荒木 重雄)*****
奇妙な情報を聞いた。イスラム過激派「イスラム国」の台頭に刺激されてか、スリランカの仏教過激派がミャンマーの仏教過激派と国際連携に動き出したというのである。
スリランカ側の中心人物は、仏教国粋団体「ボドゥ・バラ・セナ(BBS)」のグナナサラ幹事長。相手は「ビルマのビンラディン」と呼ばれ、イスラム教徒へのあまりにも過激なヘイトスピーチ(憎悪表現)で名を売った高僧アシン・ウイラトゥー師。スリランカで会合し、「イスラム過激派による強制改宗と共に戦う」ことで合意したという(『選択』2014年11月号)
イスラム教徒は社会の脅威か
奇妙というのは、両国とも、イスラム教徒は絶対的な少数派で、しかも、むしろ多数派仏教徒から迫害を受けている被害者だからである。
スリランカのイスラム教徒は同国人口の約7%。主に、9世紀以降、インド洋貿易を担ったアラブ系の交易民の子孫や、17世紀以降、オランダ統治時代にマレーやジャワから、英国統治時代に北インドから、それぞれ移住してきた者の子孫である。
マレー系の農・漁民を除いては、商業に携わる者が多く、近年は宝石商として活躍する者も増えて、独自のコミュニティーをつくっているが、などを専業とする低いカーストとして仏教徒シンハラ人社会に組み込まれている集団もある。
裕福な宝石商などは、暴動などの際には真っ先に略奪や放火の対象とされている。
一方、ミャンマーのイスラム教徒は人口の僅か4%。15世紀以降、傭兵や商人として定住したベンガル系移民の子孫や、19世紀末の英国による植民地支配に伴ってインドから流入した移民の末裔である。
1980年代、アウンサンスーチーらの民主化運動を支持したことも一因で、軍政によって「不法移民」として国籍を剥奪されたり、財産没収や強制労働などの弾圧を受けるようになったが、尻馬に乗る仏教徒ビルマ人大衆の攻撃がエスカレートして、2000年代に入ってからは、集落が襲撃されて焼かれたり、数千人の避難民が小舟で海上に逃れて、そのうち数百人が漂流したまま行方不明になるなどの悲劇が、繰り返されている。
スリランカでもミャンマーでも、どう見ても、イスラム教徒が多数派仏教徒の脅威になるような状況ではないのだ。
とすれば、別の原因を捜さねばならない。
偏狭ナショナリズムに歴史あり
スリランカには、上記7%のイスラム教徒の他に、70%を占めるシンハラ人仏教徒と20%弱のタミル人ヒンドゥー教徒がいる。(中略)
(コロンボ市内で、4千人余りのタミル人がシンハラ人に虐殺され、内戦の契機となった)83年の暴動で目立ったのは大衆を扇動する仏教僧の姿だったといわれているが、この(タミル人との)内戦を通じて、仏教界の一部に過激化した僧侶集団が育ち、その一派が冒頭に述べたBBSである。
(内戦終結で)タミル勢力がもはやシンハラ人社会に対抗するものでなくなったいま、仏教ナショナリズムの鉾先がイスラム教徒に向けられたのである。
ミャンマーでも同様に、仏教徒とイスラム教徒の関係は、この国の民族・宗教対立の主要なテーマではない。
独立当時、英国植民地支配下でキリスト教徒となった者も多いカレン族、カチン族、チン族などをはじめとする少数民族は、ビルマ族仏教徒が主導する国造りに異を唱え、武装組織を創設してビルマ族に迫り、一時はビルマ族中央政府は当時の首都ラングーンを統治するのが精一杯の状況にまで追い詰められた。
第2次大戦中、キリスト教徒少数民族を傭兵とした英植民地軍と、仏教徒ビルマ族を兵力に用いた日本軍が戦った、その前史を含め、この過程で、仏教徒ビルマ族ナショナリズムはいやがうえにも肥大化・先鋭化したのだ。
内戦は、紆余曲折を経ながらも、軍政が各少数民族武装勢力を下して、現在、全面的な停戦合意に到達しつつある。
こうして、侮れない武装勢力をもつ有力な少数民族との緊張が薄れたなかで、いま、理不尽な近現代史で育まれた仏教ナショナリズムの刃が、弱小で、民族としての政治的自立性を主張したこともないイスラム教徒に向けられようとしているのである。
仏教徒にとって弱い者いじめは恥である
ナショナリズムとは本来、抑圧された少数派が権利を主張し、自らを鼓舞する叫びであった。だが、いつの間にか、多数派が少数派を排斥し抑圧するスローガン、ときには、体制による権力維持の暴力装置にさえ、変わり果ててしまった。
それは、これら両国にのみ認められることでなく、他のアジア諸国にも、また、近年とみに、欧米諸国における移民排斥や、我が国でのヘイトスピーチにも見られるところである。
だが、そのような偏狭で攻撃的な自文化至上主義は、「生きとし生けるすべてのものへの差別なき大悲」を旨とする仏教者にとっては、本来、最も退けるべきものであり、闘うべき対象であるはずではないのか。【1月20日 オルタ】http://www.alter-magazine.jp/index.php?%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%81%A8%E3%83%9F%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%81%AB%E5%87%BA%E7%8F%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E4%BB%8F%E6%95%99%E9%81%8E%E6%BF%80%E6%B4%BE%E9%80%A3%E5%90%88%E3%82%92%E5%95%8F%E3%81%86
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寛容で知られる仏教徒の一部が多数派による少数派排斥・抑圧を扇動する・・・まったく残念な事態です。