こんにちは、ネーさです。
息がホワァ~っと白くなる寒~い火曜日でしたね。
「こんにちわッ、テディちゃでス!
こんなひにはァ、やきいもッ♪」
「がるる!ぐるるっぐるがるがるっ~?」(←訳:虎です!焼き芋っ?どこどこっ?)
……焼き芋ご所望の御方は、焼き芋屋さんへ、どうぞ。
活字マニアの方々は、さあ、読書タイムですよ、こちらを、どうぞ~!
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―― 旅する漱石先生 ――
著者は牧村健一郎さん、2011年9月に発行されました。
『~文豪と歩く名作の道~』と副題が付されています。
著者の牧村さんは、漱石さんの研究家として知られる御方です。
前回の記事では、ドラマ『坂の上の雲』についてちょっとだけ触れましたが、
夏目漱石さんもまた“あの時代”に生きた文学者さんでした。
正岡子規さんの親友でもあった漱石さんが、
どこへ、どのような旅をしたのか――
日本を北から南まで、
そして海外までも、
著者・牧村さんは痕跡を追って訪ね歩いてゆきます。
「すたーのォ、おッかけェ、みたいィでス!」
「がるるぐるる!」(←訳:或るいは警察犬のように!)
「においィをォ、たどれッ!」
時間が経過し、実際の痕跡は多くが消えてしまいましたが、
漱石先生の足跡は、
さまざまな場所に残っています。
江戸っ子さんなのに、本籍を移したのは北海道の岩内(いわない)。
空襲で失われてしまった早稲田の《漱石山房》。
危機一髪で戦火を逃れ、東北大学に現存する漱石先生の遺品と蔵書。
『それから』の舞台となった神楽坂。
『虞美人草』には大森、
『こころ』には鎌倉や雑司ヶ谷が登場します。
そして、四国・松山。
英語教師として一年間を過ごした松山は、
子規さんの郷里でもありました。
「それからァ、ろんどんッ!」
「がるるー!」(←訳:英国だー!)
漱石さんの英国留学時代といえば、
霧の都でど~んよりと落ち込み、
精神は衰弱してひきこもり状態……
というのが通説ですが、
牧村さんは、意外な“ロンドンでの素顔”を探し当てます。
コヴェントガーデンやテートギャラリーへお出掛けし、
友人たちと劇場で観劇、
公園でお散歩もしたり、
書物も集めまくりましたし。
「ほほゥ~♪ なかなかァ、たのしそうッ♪」
「ぐるぐるるがるがるるる!」(←訳:じっと籠ってた訳じゃないんだ!)
『倫敦に住み暮らしたる二年は尤も不愉快の二年なり。』
と、漱石さんは書き記していますけれど、
はたして本当にそうだったのか……
《作家・夏目漱石》になるにあたって不可欠のときだったのではないか……
読み手は想像を巡らさずにはいられませんよね。
漱石先生マニアさんは、このくだりを、
いえ、この御本の全編を、
なんとしても読まなくちゃ!
「せんせいィのォ、たびにはァ、いみがァ、あッたのでスゥ!」
「ぐるるがるがるるーがる!」(←訳:たくさんの意味と意義が!)
では、本日の〆の言葉は、
漱石先生のお弟子さんに御登場いただきましょう!
芥川龍之介さんは、
書斎での晩年の漱石先生を
こう描写しています――
『二枚重ねた座布団の上には、殆ど獅子を想わせるような、
背の低い半白の老人が、或いは手紙の筆を走らせたり、
或いは唐本の詩集を翻したりしながら、
端然と独り坐っている』
息がホワァ~っと白くなる寒~い火曜日でしたね。
「こんにちわッ、テディちゃでス!
こんなひにはァ、やきいもッ♪」
「がるる!ぐるるっぐるがるがるっ~?」(←訳:虎です!焼き芋っ?どこどこっ?)
……焼き芋ご所望の御方は、焼き芋屋さんへ、どうぞ。
活字マニアの方々は、さあ、読書タイムですよ、こちらを、どうぞ~!
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―― 旅する漱石先生 ――
著者は牧村健一郎さん、2011年9月に発行されました。
『~文豪と歩く名作の道~』と副題が付されています。
著者の牧村さんは、漱石さんの研究家として知られる御方です。
前回の記事では、ドラマ『坂の上の雲』についてちょっとだけ触れましたが、
夏目漱石さんもまた“あの時代”に生きた文学者さんでした。
正岡子規さんの親友でもあった漱石さんが、
どこへ、どのような旅をしたのか――
日本を北から南まで、
そして海外までも、
著者・牧村さんは痕跡を追って訪ね歩いてゆきます。
「すたーのォ、おッかけェ、みたいィでス!」
「がるるぐるる!」(←訳:或るいは警察犬のように!)
「においィをォ、たどれッ!」
時間が経過し、実際の痕跡は多くが消えてしまいましたが、
漱石先生の足跡は、
さまざまな場所に残っています。
江戸っ子さんなのに、本籍を移したのは北海道の岩内(いわない)。
空襲で失われてしまった早稲田の《漱石山房》。
危機一髪で戦火を逃れ、東北大学に現存する漱石先生の遺品と蔵書。
『それから』の舞台となった神楽坂。
『虞美人草』には大森、
『こころ』には鎌倉や雑司ヶ谷が登場します。
そして、四国・松山。
英語教師として一年間を過ごした松山は、
子規さんの郷里でもありました。
「それからァ、ろんどんッ!」
「がるるー!」(←訳:英国だー!)
漱石さんの英国留学時代といえば、
霧の都でど~んよりと落ち込み、
精神は衰弱してひきこもり状態……
というのが通説ですが、
牧村さんは、意外な“ロンドンでの素顔”を探し当てます。
コヴェントガーデンやテートギャラリーへお出掛けし、
友人たちと劇場で観劇、
公園でお散歩もしたり、
書物も集めまくりましたし。
「ほほゥ~♪ なかなかァ、たのしそうッ♪」
「ぐるぐるるがるがるるる!」(←訳:じっと籠ってた訳じゃないんだ!)
『倫敦に住み暮らしたる二年は尤も不愉快の二年なり。』
と、漱石さんは書き記していますけれど、
はたして本当にそうだったのか……
《作家・夏目漱石》になるにあたって不可欠のときだったのではないか……
読み手は想像を巡らさずにはいられませんよね。
漱石先生マニアさんは、このくだりを、
いえ、この御本の全編を、
なんとしても読まなくちゃ!
「せんせいィのォ、たびにはァ、いみがァ、あッたのでスゥ!」
「ぐるるがるがるるーがる!」(←訳:たくさんの意味と意義が!)
では、本日の〆の言葉は、
漱石先生のお弟子さんに御登場いただきましょう!
芥川龍之介さんは、
書斎での晩年の漱石先生を
こう描写しています――
『二枚重ねた座布団の上には、殆ど獅子を想わせるような、
背の低い半白の老人が、或いは手紙の筆を走らせたり、
或いは唐本の詩集を翻したりしながら、
端然と独り坐っている』