開店当初からのお客様に尾田良一さんという人がある。
根っからの巨人ファンである。
大阪の卸市場に勤めておられて、最近退職された。
以前は勤め帰りに毎日寄って頂いていた。卸市場は早いから昼過ぎに、帰りに来店して下さっていた。
最近は昼前に来られる。
今日もスポーツ新聞を穴が開くほど見てから帰ろうとなさった。
そこに、別の女性客の岩井さんが、「尾田さんおめでとう」と言ったものだから大変。ジャイアンツ優勝をおめでとうと言ったのだ。
ドアを開けて帰りかけていたのに、また入って来て野球談議である。
わたしは勿論阪神タイガース。いわばけんか相手だ。
尾田さん、以前から阪神のことをボロカスに言う。
「選手がアホなら監督もアホ。監督がアホなら会社もアホ。会社がアホならファンもアホ。また今日もアホなファンが梅田駅で騒いどったわ」てなことを言うのである。
わたしは、「ほんなら、アホな会社の阪神電車に乗らんとき。わたしもゴミウリ新聞は読まんのやから」と応酬。彼、阪神電車で通勤していたのだ。
で今日。あんまりうるさいから、「尾田さん、前に『原が監督してる間は野球見ん』て言うてはったやん」と言ってあげた。確かに何年か前、原監督で巨人が負けてばっかりの時、そんなことを言っておられた。
「そやけど優勝したら辞めさすわけに行かんからなあ。原は好きやないけど…」と歯切れが悪い。尾田良一さん(エエイッ、フルネームで書いてやる)コソコソと帰って行かれた。岩井さんはわたしに「ゴメン」と言って下さった。
敵の痛いとこ突くわたしは商売上手か?
時間が有る時、夜、家内とウォーキングする。
大抵9時過ぎに家を出て小一時間歩く。
歩数にして、私は4300歩ぐらい。彼女は4600歩程。
毎日一定のルートを歩く。
途中、定時制高校の前を歩く。
帰りがけの生徒たちが自転車置き場で喋っていたりする。
あるいはそばのコンビニの前で笑い声を上げていたり。
最近できたショットバーのような店(ガラス窓から店内がよく見える)に入っていたり。
定時制だから20歳を過ぎた生徒もいるのだろう。
そして昨夜はグランドに照明が灯っていた。野球の練習をしているのである。
パコ~~ン、パコ~~ンとボールを打つ音が校庭にこだましていた。
定時制高校も昔とは随分趣が変わったものである。
わたしは中学を卒業したあと、高校は一ヶ月で中退した。その時父が「定時制に行くか?」と尋ねたことがある。
しかし、わたしは行かなかった。かわりに読書をした。その当時の読書が今役に立っているかどうかは分からない。
今のような定時制だったら行っただろうか?
そこで杉山平一先生の若き日の詩。
夜学生
夜陰ふかい校舎にひびく
師の居ない教室のさんざめき
ああ 元気な夜学の少年たちよ
昼間の働きにどんなにか疲れたらうに
ひたすらに勉学にすすむ
その夜更のラツシユアワーのなんと力強いことだ
きみ達より何倍も楽な仕事をしてゐながら
夜になると酒をくらつて ほつつき歩く
この僕のごときものを嘲笑(わら)へ
小さな肩を並べて帰る夜道はこんなに暗いのに
その声音のなんと明るいことだろう
ああ 僕は信ずる
きみ達の希望こそかなへらるべきだ
覚えたばかりの英語読本(リイダア)を
声たからかに暗誦せよ
スプリング ハズ カム
ウインタア イズ オオバア
―『夜学生』1943刊 より
平一、29歳の頃
1943年刊ということは昭和18年。わたしの生まれた年である。
大抵9時過ぎに家を出て小一時間歩く。
歩数にして、私は4300歩ぐらい。彼女は4600歩程。
毎日一定のルートを歩く。
途中、定時制高校の前を歩く。
帰りがけの生徒たちが自転車置き場で喋っていたりする。
あるいはそばのコンビニの前で笑い声を上げていたり。
最近できたショットバーのような店(ガラス窓から店内がよく見える)に入っていたり。
定時制だから20歳を過ぎた生徒もいるのだろう。
そして昨夜はグランドに照明が灯っていた。野球の練習をしているのである。
パコ~~ン、パコ~~ンとボールを打つ音が校庭にこだましていた。
定時制高校も昔とは随分趣が変わったものである。
わたしは中学を卒業したあと、高校は一ヶ月で中退した。その時父が「定時制に行くか?」と尋ねたことがある。
しかし、わたしは行かなかった。かわりに読書をした。その当時の読書が今役に立っているかどうかは分からない。
今のような定時制だったら行っただろうか?
そこで杉山平一先生の若き日の詩。
夜学生
夜陰ふかい校舎にひびく
師の居ない教室のさんざめき
ああ 元気な夜学の少年たちよ
昼間の働きにどんなにか疲れたらうに
ひたすらに勉学にすすむ
その夜更のラツシユアワーのなんと力強いことだ
きみ達より何倍も楽な仕事をしてゐながら
夜になると酒をくらつて ほつつき歩く
この僕のごときものを嘲笑(わら)へ
小さな肩を並べて帰る夜道はこんなに暗いのに
その声音のなんと明るいことだろう
ああ 僕は信ずる
きみ達の希望こそかなへらるべきだ
覚えたばかりの英語読本(リイダア)を
声たからかに暗誦せよ
スプリング ハズ カム
ウインタア イズ オオバア
―『夜学生』1943刊 より
平一、29歳の頃
1943年刊ということは昭和18年。わたしの生まれた年である。