写真は 2019/6/20撮影 長野県「奈良井宿」「木曽駒高原」
写真上:奈良井宿は中山道の真ん中にある宿場町。
街道長さは日本最長で、南北約1km、東西約200m。
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「韓国天才少年の数奇な半生」によると、キム・ウンヨン(金雄鎔)君が創った詩が、絵本「星に聞いてごらん」に載っています。
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本の中になにがあるか 字がある。
字の中になにがあるか 宇宙がある。
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いま、ぼくたちの国は分数計算みたいなもの。
いま、ぼくたちの国は少数計算みたいなもの。
だけど分数と少数合わさって ひとつの自然数になります。
南北統一 万歳(訳:林啓)
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ウンヨン君の本への親しみや星や宇宙への関心が伺えますし、3才には複雑すぎる社会問題でさえ数学的に表現するなんて、そしてまた「なるほど!」って納得させるのがすごくない?「南北統一」は当時からすでにスローガンだったのですね。
彼はその後2回フジテレビに出演します。2年後の1969/元旦・「韓国の神童 キム・ウンヨン」では一つ年下の弟ジャンヨン、妹イエヨンと共に出ていて、日本の印象を聞かれ「日本人の考えはXの二乗で、することはXのマイナス二乗 だ」と言ったそうです。著者は「日本人の思考と行動が一致していない」ことかと想像しています。また「日本はH(水素)で韓国はO(酸素)です。水のように仲良く溶け合っていかなければいけない」とも。ううむ~昨今の状況を予測しているみたい。まあ、韓国との関係性はいつだってビミョーですが・・・。
そして最後となった3回目は1971/8/23・「三時のあなた」の司会をしていた女優の久我美子さんが韓国に行ってインタビューする形だったようです。久我さんは「天才から想像したネクラではなく、ハキハキと応えていた。『遊ばないの?』と聞くと『遊びは大好きで詩を作って遊ぶ』とすぐ詩を作ってくれた。詩を読んだけれど、凡人の私には理解できなかった」と話しました。
しかしこれ以降ウンヨン君(8歳)は突然のように姿を消し、消息がわからなくなります。当然多くのメディアや幼児教育者たちはやっきになって追跡したけれど、姿も情報もつかめず、断念し、そのうち忘れられていきました。
著者大橋氏には「情報の垂れ流しはダメ、追跡取材しよう」との思いがありました。ある日「ギネスブック 1983年版」を見ると、IQ項目にあったキム・ウンヨンの名前が消えていました。英国ギネス本部に手紙で問い合わせると、「彼の名前を削除した」とだけFAX返答があり、理由は記されていません。
次に東京港区にある大韓民国大使館に行き、ウンヨンの消息を尋ねても「ああ、そういう子いましたね。今どこで何をしているのかわかりません」とそっけない返事です。「2000年にひとりの天才、と言われた人物の消息が、全くわからないのは不思議といえば不思議。韓国に行って探そう」と決心します。
*** 続く ***
道路には外敵から自衛するための「鍵の手」と呼ばれるクランク形状が残る
多くの旅人で栄え「奈良井千軒」とも称された。
当時の街並みや、二階を少しせり出した出梁(だしばり)造りなどの建築様式を残す
街道の南端にある「鎮神社」
6月に行われる「お茶壺道中」の祭りは京都から江戸にお茶を献上する大名行列。「ずいずいずっころばし・・・♪」はこの行列に由来
木曽駒高原は駒ヶ岳ロープウェイの反対側にあり、かなり上まで車で行けます。ひっそりと静かな高原には高原植物も多く咲き、魅力的。