「古見のサキシマスオウの木群落」は聖なる場所、御嶽(ウガン)の裏手に広がっています。ここは神様を祭り、お祈りする空間なので、入るときには手を合わせてお参りすることが大切なのです。一般に地図や標識には「神社」と記名されたりしますが、本州地域での神社とは、その外観は全く異なっています。通常神社のイメージというと、立派なところでは朱塗りの御殿のような木造建築に、格子窓から覗く薄暗い内部には狐やおびただしい紙類や鏡様のものとかあって、「ああこれが神様なんだな」とありがたい気持ちになったりするのですが・・・。
写真:古見の御嶽(ウガン)は道路からすぐのところに木の小さな鳥居があり、それに続いて参道がある。
御嶽(ウガン)は写真にあるように全くシンプルなつくりで、中にもごく簡単な香炉とか器類があるだけのようです。一番驚くのは後ろがそのまま見えること。つまり壁に大きな窓(?といってもガラスなど入っていませんよ)が開いて、通り抜けになっているのです。とても開放的な雰囲気です。星砂の浜近くでは「住吉神社」という標識に誘われて、寄ってみました。細い坂道を登りきったところに、古見よりやや小さく、やはり似た構造の石造りの拝殿がありました。
「何度も台風や洪水に襲われる」という話に、風通りが良く、水はけが良いことは大切な条件かもしれないと思いました。でもそのほかにも神様に対する考え方やお迎えする方法、またお祈りの仕方など、たぶん違いがあるのでしょう。中になにもないことについても、実際にお祭りをする時にはたくさんのものをお供えしたりするのかもしれません。<o:p></o:p>
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写真:住吉神社の拝殿もあちら側が透けて見える。
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田口ランディさんは『旅人の心得』(2007、角川文庫)の冒頭部分で、宮古島と橋続きの池間島にある「大神神社」に偶然入ってしまったことを書いています。
「私たちは、石の鳥居をくぐって中に入った。木立の中を参道が続いている。蝶が飛んでいた。怖いほど静かだった。なんだか気持ちがざわざわする場所だった。歩いていくと、そこだけ空気が違う。ひんやりと冷たい。<o:p></o:p>
『不思議な場所ですね』<o:p></o:p>
『清々しいけれど、静か過ぎて怖いね』<o:p></o:p>
なんだかとてもあの世に近い場所のように思えた」<o:p></o:p>
数ヵ月後に再び宮古島を訪れた時に、その場所に入ってしまったことが大変なことであったと知ります。そこは「御張水(オハルズ)御嶽(ウタキ)」という宮古界隈で一番大切な神様で、人間の魂を司(つかさど)っており、あの世に行く人とこの世に残る人を振り分けているのだというのです。「・・・だからうっかり入っていったりして、その日が神様が降りてくる日だったりすると、魂を掴まれてあの世にやられてしまうんですわ」と神人(カンカカリャー)に言われ、さっそく次の日一緒にあやまりに行くのです。そしてこのことが後に続く旅のきっかけともなるのです。<o:p></o:p>
島の神聖な場所はとってもシンプル・簡素だけど、神様に向かう敬虔な気持ち、信仰心の篤さ、そのほうがとっても大事なことなんだよ、と教えられるような気がします。人々の思いの強さがあるから、神様の息づかいも聞こえてくるのでしょう。<o:p></o:p>
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<o:p>写真:「西表野生生物保護センター」には珍しい生き物のパネル、資料とともに、イリオモテヤマネコの剥製も数体展示されている。</o:p>
<o:p>20世紀最大の動物学的発見といわれ、最も原始的なヤマネコといわれる。現在では100頭弱生息しているらしいが絶滅危惧種である。普通の猫と違い川を泳ぐことができる。<o:p></o:p>
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