写真はすべて2019/04/9交野市私市 の「大阪市立大学理学部付属植物園」
写真上:ヌマスギ(ラクウショウ)の「呼吸根」
湿地だと空気が不足するので地上に出る
ついにイコモス(国際記念物遺跡会議)は大阪府の「百舌鳥・古市古墳群49基」の登録をユネスコに勧告しました。これまで国内審査で3回も落選したけれど、それにめげないで地道な努力をされた結果です。関係する方々、地域の方々、おめでとうございます! 正式には6/30からアゼルバイジャンで開かれる「世界遺産委員会」で登録される見込みです。
前回ブログで大阪女子大学に社会人入学した、と書きましたが、またまた関連ニュースが出てきたよ。大阪女子大は古墳群の中心である「仁徳天皇陵」に隣接していたので、百舌鳥駅から陵墓の正面鳥居を通り通学していました。※なお埋葬者が不明とされ、「大仙陵」と呼ぶこともあるようですが、やはり「仁徳天皇陵」がなじみ深いです。
かなり長い間、6~8年くらいかな、通学しましたが、この国内最大級の前方後円墳は宮内庁管轄の不可侵地であり、樹木に覆われているので、参拝も鳥居の奥をのぞき込むだけです。だけどいつも整然としたたたずまいとミステリアスな雰囲気が漂っていました。
たとえ朝、外堀に落ち葉が散り積もっていても、夕にはきれいに掃き清められているのです。どうやってお掃除するのかな?一度だけ小舟で集めているのを見ましたよ…。
ところで5/24に大阪府の吉村知事は古墳群を視察後、「気球に乗って古墳群を眺めるプランを早急に検討する」と話しました。仁徳天皇陵の南側にある大仙公園から飛ばすのだそう。ああ、この古墳の上空に気球が飛ぶなんて、想像だにしなかった~!
さて五木寛之さんの「風の王国」(昭和60年1月、新潮社)は友人に「二上山(にじょうざん)が舞台となっていて、面白い」と勧められ、女子大を卒業後に読みました。最初に「仁徳天皇陵」が登場したので、「おっ、真夜中にあの玉砂利場所に集合するのだわ、主人公の記者は大仙公園に潜んだのね…」といった懐かしさとともに、奈良の物語なのになぜ大阪の仁徳天皇陵?という疑問を持ちました。
物語は大阪南部と奈良県境にある葛城山系の、特に二上山を中心に風のように疾走する民が存在し、戸籍・職業を持たず定住しないなどの理由で差別や迫害を受けたことを伝えています。サンカ=山窩=(西行法師の)「山家集」とつながることや、二上山には運搬・交易の重要地であるゆえの悲しい歴史があることを思いました。
ただし風の王国の民は「サンカと間違われた民」ということです。そしてなぜ「仁徳天皇陵」だったのか?が読み込み不足もあり、わからなかったと思い出しました。
なんだかミーアキャットみたい
写真上下:メタセコイヤ(アケボノスギ)1939年大阪市立大学・三木茂博士が
化石を発見し、 当初は「絶滅種」と思われたが、1946年に中国四川州
で現存種が確認され「生きた化石」となる。
なぜか心落ち着く雰囲気です
写真下:ミツバツツジ
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