「平良綾道」---ぴさらあやんつ。なんとなく異国情緒を感じる良い響きですね。この「美しい道」は、宮古島の旧市街地にある、ウタキ、寺跡、古い井戸、豪族のお墓など約30ヶ所を巡る散策コースとなっています。島は平良(ひらら)港を中心に栄え、地名は平良市(ひららし)なのですが、同じ地名の漢字でも読み方が違うのですね。
スタート地点の<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="47:沖縄県平良市;" Address="平良市">平良市</st1:MSNCTYST>役所から歩いてまわると、なにしろ30ヶ所もあるので、すべて訪ねるには半日~1日は必要です。主なところを巡っていきましょう。ここからは、2008/3/8「古い井戸が怖いのは映画『リング』のせい?」の続きですよ。蛇足ですがそのうちのひとつ「尻間御嶽」はどう読むでしょう?ーーー答えは「っしまうたき」声に出して見てね。
写真:仲宗根豊見親の墓、石の階段をねこがゆっくりと横切っています。右がお祈りの中心場所、手前は深く掘ってある(井戸?)
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実際に歩くことでその場所の雰囲気を全身で、また五感で感じることができます。あるいは精気とか霊気とかも迫ってきます。大きくて濃い緑色を背景に、カラフルな花たちが咲き誇っていて、周囲には蝶や虫などの昆虫や小動物もあちらこちらにいます。ああ亜熱帯だ!本土ではショップで販売している熱帯植物も普通にそのへんで生き生きと茂っているのです。
写真:ンー(芋)ヌ主御嶽はなじみのある形。中国に漂着後、帰国時に芋かずらを持ち帰った長真氏旨屋を「イモの神さま」として祭っています。
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育ちすぎて手入れの方が大変なのか、人家の庭に植木は少なく、樹木が茂っている場所はたいてい「うたき」「拝所」のことが多いです。遺跡ポイントでは目立つ標識もほとんどないので見逃してしまいそうですが、こんもりした植物群を目標にするのも1方法です。それほど広くないエリア内に、これほどたくさんの遺跡や御嶽があることに驚きます。
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写真:「知利真良豊見親の墓」は保存状態もよく、墓の形の変遷や石工技術を知る上でも重要。
隣りあわせで拝所やうたきがあるのは、なにか宗派みたいなものもあるのでしょうか?五穀豊穣とかお家安泰とか子孫繁栄といった目的が違うのでしょうか?また調べてみたいことです。そして形も本土の神社や祠に良く似たものもあれば、シンプルにブロックの囲いだけのものもあります。
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もっとも大きくて代表的な史跡が「仲宗根豊見親(なかそねとぅゆみゃ)の墓」と「知利真良豊見親(ちりまらとぅゆみゃ)の墓」で、石の階段が特徴的です。本土の古墳と違うのはやはり台風銀座といわれる気候のためなのでしょうか。反対にそうした史跡しか現存していない、とも言えるのでしょう。
写真: アトンマ墓(右)はやはりお世継ぎ、を大事にした表れなのでしょうか?
大きな墓の後ろ横に続いているのが「アトンマ墓」です。アトンマは「継室」つまり後妻のことで、仲宗根豊見親を元祖とする忠導氏ゆかりの継室だけを葬っています。周辺はひっそりと植物が茂り、また違う雰囲気が漂っています。
宮古島の史跡で有名なのが高さ143cmの石柱「人頭税石(ぶばかり石)」(写真)です。平良港近くの臨界道路沿いにあります。
王府時代に宮古・八重山地方にはこの高さになると税を課せられたとのこと。世界中で最悪の税制、と言われるのは「人の成長を阻害する方向に働いた」からということなのでしょう。
次回に続く。<o:p></o:p>
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