第 5405回の 「空も日本の時代か」 で取り上げたホンダジェットでちょっと不安だったのが、もしかしたらエンジンはホンダ製じゃないのだろうかということで した。
ところが、早速その疑問に答えてくれる記事がありました。流石ホンダ、エンジンも自社製だそうです。それも、かなり 良いもののようです。
開発に時間がかかっていたので不思議でしたが、何 と、一から作り上げたそうです。道理で、時間がかかるはずです。流石、やる事が違いますね。まだまだ宗一郎さんの精神が 生きているのでしょう。生きている間に見せてあげたかったですね。
その精神を生かして、来年からのF1参戦も頑張ってもらいたいものです。今から、来年のシーズンが待ち遠しくてたま りません。何度も撤退しています が、今度こそ続けてもらいたいものです。と言うか、余り勝ちすぎると、又、規制をかけられそうで心配です。民度の高い日 本人は差別を嫌いますが、それに比 べて民度の低い欧米人こそ差別主義ですね。まだまだ、世界に日本の素晴らしさの広報が足りないですね。
記事は結構長いのですが、どこをとっても素晴らしいので、殆ど引用させてもらいました。残りは、リンク元で読んでく ださい。
ビジネスジャーナルより 2014/7/4
「離 陸」間近のホンダジェット、開発宣言から50年 の舞台裏 “車屋”の発想による奇跡
片山修/経済ジャーナリスト・経営評論家
ホンダは、じつに不思議な会社である。
ホンダは、小型ビジネスジェット機「ホンダジェット」の開発を進めてきた。当初、 「“二輪屋”のホンダ に、飛行機をつくれるはずがない」というのが、世間の見方だった。それはそうだろう。富士重工業やロールスロイスな ど、母体が航空機エンジンメーカーの企 業が自動車をつくった例はあっても、自動車メーカーが航空機をつくった例はかつてない。
また、航空機産業では、機体とエンジンの開発・生産のすみ分けが進んでいる。ボーイングのような航空機メーカーは、航空機エンジンを生産していない。ホ ンダのように、両方の開発・生産を手掛ける民間企業は、世界に例がない。この事実からしても、ホンダはじつに不思議 な会社である。
しかも、不思議なことに、「ホンダなら、本当にやるかもしれない」という期待を抱かせる何かを持っている。なぜだろうか。それは、ホンダのDNAと もいうべき「夢」への挑戦にあるだろう。
ホンダの不思議についていえば、普通、ジェット機のエンジンは、左右の主翼の下、ないしは胴体後部左右に搭載されている。ところが、ホンダジェットは左 右主翼の上にエンジンが搭載されているのだ。主翼上にセットすれば、乱気流が生じ、非効率とされる。にもかかわら ず、ホンダは業界の常識を覆した。不思議 なスタイルである。
しかしその結果、ホンダジェットは、ライバル機に比較して最大巡航速度は約10% 向上の時速778km、実用上昇限度は約5% 向上の約1万3100m、 燃費性能も数値こそ発表されていないが約20%の向上を実現。客室 の広さも、約18%向上の高さ1.46m、 幅1.52m、長さ5.43mで あり、パイロットを含めて7人乗りである。そのホンダジェットは今、離陸に 向けた秒読み段階に入っているのだ。
●技術革新を見据えた長期的経営視点
ジェット機の開発は、そもそもホンダ創業者である本田宗一郎の「夢」だった。1917年、 当時10歳だった宗一郎は、米飛行士アート・スミスの 曲芸飛行を見ようと、自宅から20km以上離れた浜松練兵場へ自転車で向かっ た。手持ち金不足で入場できなかったために、木に登ってそれを鑑賞した。以来、飛行機に憧れ続けたというのは、あま りにも有名な話だ。
それから45年を経た62年、 二輪レースの世界最高峰マン島TTレース(イギリス)で前年に初優勝するなど勢 いに乗るホンダは、朝日新聞が掲載した「国産軽飛行機 設計を募集」の広告に協賛した。そして同年、宗一郎は社内報 で「いよいよ私どもの会社でも軽飛行機を開発しようと思っております」と発言している。
ただ、宗一郎の決意があったとしても、航空機の開発はそんなに簡単なことではない。ホンダが航空機の開発に正式に取り組むのは、それから24年 後の86年である。
ホンダは同年、「和光基礎技術研究センター(基礎研)」を極密に開設した。その2~3年 前からテーマの模索が行われていたが、その際、シェア一番になることより、技術の新規性、進歩性においてトップにな ることこそホンダが追求すべき道だ――と考えられた。つまり、10から20年 先の技術革新を見据えていた。長期的経営視点である。
選ばれたテーマは、航空機エンジン、航空機体、ロボット、バイオエタノールやソー ラーを使う次世代エネルギーの4つで、いずれも極秘開発プロジェクトとしてス タートした。二足歩行ロボット「ASIMO」の開発も、そのときに始まったのだ。
航空機エンジンの開発のため、若手技術者数名が集められた。極秘研究というので、 開発者たちは10年以上にわたって家族にすら研究内容を話すこ とが許されなかった。これも、不思議を通り越してクレイジーな話といわなければならない。エンジンに必要な材料チタ ンにしろ、専用ベアリング1つにしろ、業者に用途を伝えられなかったり、し かるべきメーカーに発注ができなかった。秘密保持の苦労は続いた。
●ゼロからの設計にトライ
ホンダが秘密保持を解き、正式にホンダジェットのプロジェクトを始動したのは、97年 のことである。
私は、正式発表の翌98年、当時基礎研のエグ ゼクティブチーフエンジニアとして航空機エンジンの開発の先頭に立っていた故窪田理氏を取材した。大学で航空原動機 を専攻した窪田氏は、86年の基礎研設置当時から航空機エンジンを担当 しており、初期の開発ストーリーを聞くことができた。窪田氏らは、文字通り何もないところから、航空機エンジンの開 発を始めた。ゼロからの出発だ。
「普通、まったく新しいことをやろうとするときには、よそでつくったものを買って きてバラしてみることから始めるのが常道なのでしょう。しかし、われわれは、基本的には自分たちでゼロから設計する ことにトライしました」(窪田氏)
いくら自動車のエンジンをつくっていても、航空機エンジンは技術的に格段の差があ る。「他人のマネはしないこった」という宗一郎の考え方は、今もってホンダの理念といっていいのだが、それにしても 無謀な話といえる。
実際、最初の3~4年 は、ひたすら回せば壊れるエンジンをつくり続けることになった。開発が軌道に乗り始めても、無鉄砲というか勇ましい エピソードは数知れない。秘密プロジェ クトだというので、与えられた研究室は窓のない部屋だった。和光研究所内にある車用ガスタービンのための施設で、開 発中の航空機エンジンを回したところ、 衝撃のあまり建物の壁が吹き飛びそうになった。北海道鷹栖にあるテストコースに櫓を組み、航空機エンジンを吊るして 回したら、爆音に驚いた旭川の自衛隊基 地から、ヘリコプターが慌てて偵察にきた――。
95年、米ロサンゼルスでボーイング727の 古い機体に、開発エンジンを乗せて飛行テストをした。といっても、開発エンジンが727を 飛ばしたのではなく、あくまで機体の一部分にくっつけて性能を調べたにすぎない。しかし、窪田氏ら開発者たちの喜び は大きかった。そして、前述したように97年に公式発表し、秘密のベールを脱いだのだ。
●“車屋”の発想
一方、機体の開発を担当したのは、エンジン設計者の窪田氏とともに、開発開始当初 から携わってきた藤野道格氏(ホンダの航空機事業子会社、HACI<ホ ンダ エアクラフト カンパニー>現社長)である。藤野氏は、東京大学工学部航空学科出身で、専門は空力である。クルマをつくりたくてホンダに入社したが、ジェット機開発に回 されたのだ。
藤野氏は、冒頭で述べたように、従来のビジネスジェットのほとんどが胴体後部に配 置するエンジンを、主翼上 面に配置する独特のデザインを考案した。機内空間を広くしたいけれど、エンジンを胴体後部につけると、胴体の内側に しっかりした支柱を通さないといけな い。すると、客室が狭くなる。「エンジンが邪魔だな」と考えるうち、エンジンを主翼上部に配置することを思い付い た。彼は風洞試験を繰り返し、最適な配 置、すなわちスイートスポットを見つけ出したのだ。これによって、空力性能が高まって燃費が格段に向上したほか、胴 体後部のエンジン支持構造が不要にな り、キャビンや荷室を広くできた。
独創性はまた、機体デザインにも発揮された。従来、航空機のエクステリアデザイン は空力設計者が担うため、 多くのジェット機は円柱がすぼんだような似た顔になる。藤野氏は、空気の摩擦抵抗が少ない「自然層流ノーズ」の独自 開発と同時に、デザインにもこだわっ た。デザイン重視は、“車屋”の発想といっていい。
デザインに迷っているとき藤野氏は、サルヴァトーレ・フェラガモのハイヒールを見 て、「これだ!」と、イ ンスピレーションがわいた。尖ったつま先からかかとにかけての鋭く流れるラインから、現在の尖鋭的なデザインが生ま れたのだ。ホンダジェットがビジネス ジェット機というより、ノーズが尖った戦闘機を連想させるような鋭い顔をもっている理由である。藤野氏は2012年、 日本人としては初めて、米国航空宇宙学会の航空機設計賞を受賞した。
●“大”が“小”にひれ伏した瞬間
ホンダジェットが約20分間の初フライトに成 功したのは、03年のことである。開発開始から17年 の歳月が流れていた。
ホンダの航空機エンジンに目をつけたのは、GEだ。GEは 大型航空機エンジンは得意としていたが、小型の航空機エンジンは不得意だった。実はホンダは、世界一のエンジンメー カーである。二輪、四輪、汎用のエンジ ンを生産しており、その生産台数は間違いなく世界トップだ。しかも、いずれのエンジンも小型であるのが特徴だ。新し く開発した航空機エンジンもまた、小型 である。GEのエンジニアは、ホン ダのエンジンを見て、 「こんなに小型でシンプルなエンジンに、これほどの性能が出せるのか」と舌を巻いたという。いわば、“大”が“小” にひれ伏したのだ。…以下略
凄いですね。よくも完成に漕ぎ着けたものです。流石ホンダ魂としか言いようがあり ません。私が何をした訳でもないですが、やはり、こうやって日本のメーカーが頑張っているのを読むと心の底から嬉し くなります。
ここまで来たら、飛行機のF1、即ち、三菱の心 神のようなジェット戦闘機にも挑んで欲しいと思うのは私だけでしょうか。
日本頑張れ!