子供の頃に一世を風靡した「お富さん」の歌は殆ど覚えていました。その癖、粋な黒塀とか見越の松なんて意味も知りませんでした。
これこそがねずさんが言われる暗証の素晴らしさでしょう。子供の時に覚えていて大人になってから本当の意味を知るという教育の素晴らしさを思い知らされます。
そのお富さんが教科書に使われる程に感動的な話だったのは知りませんでした。
それにしても、戦前の教育って粋だったんですね。そういう面白い教育を排除して自虐史観を教えて日本人の元気を無くする今の教育の姑息さには怒りを覚えるばかりです。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねずさんの学ぼう日本より 2022/1/25
お富さんの物語 から損得勘定を考える
・・・略
金をもらった蝙蝠安と与三郎が引き上げたあと、店から迎えがきたので、多左衛門はお富さんに自分のお守袋を渡して店へ戻っ て行きます。
お富さんが、そのお守り袋を開くと、中に臍の緒書が入っている。
そして、多左衛門がお富さんの実の兄であったと知ります。
そこにそっと戻ってきた与三郎。
お富さんは多左衛門が実の兄であったと知らせ、二人は多左衛門に感謝する・・・。
とまあ、こんな物語が「お富と与三郎」のお話です。
修身教科書では、この物語を通じて、兄弟の絆の深さ、大切さ、そして嘘はバレると子どもたちに教えました。
修身教育の復活を警戒する人たちがいますが、一体何を警戒しているのでしょうか。
人生は判断の連続です。
そして人は、情報に基づいて判断を行いますが、判断に際して必要なことが、価値判断のモノサシとなる価値観です。
その価値観が、儲かるか儲からないか、自分にとって利益があるかないか、といったモノサシしか持たないのでは、損得勘定しか ない人間ができあがってしまいます。
損得勘定がいけないとか、ダメだとか言っているのではありません。
損得勘定だけではいけないと申し上げています。
人には、損得では図りきれない愛とか、友情とか、魂の響きがあるのです。
愛すること、人を大切に思うこと、損得を超えた友情など、そうした幾重にも重なる深い価値観を根本に持つのが人というもので す。
損か得かだけなら、動物や昆虫と何のかわりもありません。
そのような価値観しか教えることができないものは、教育の名に値(あたい)しません。
いまの日本の教育現場が荒廃するのもあたりまえです。
それにしても、政府・自民党は何時になったら教育改正に取り組むつもりでしょうか。
それとも、教育なんかに興味も無いのでしょうか。こんなことで日本の再生なんて不可能です。