団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★シッタン河畔に 全滅した日赤新和歌山班ー従軍看護婦の悲劇

2022年06月19日 | 靖国参拝

 このねずさんが書いてくれるシッタン河畔で全滅した従軍看護婦さん達の話も何度読んでも申し訳なさで悲しくなります。
  こうして、日本の為に命を捧げてくれた方達が祀られている靖国を参拝しない日本人は、まさに人でなし、人非人です。
  そんな日本人が民度が高いなんて言うのも恥ずかしい。靖国参拝が出来ない日本が真の独立国になるなんて有り得ないのかも。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より     2022/06/11

  シッタン河畔に 全滅した日赤新和歌山班ー従軍看護婦の悲劇

  ・・・略

 ひとつ、はっきりさせておかなければならないことがあります。
それは、日本以外の諸国では、程度の差こそあれ「軍と暴徒とヤクザは同じもの」だ、ということです。

 日本では、古来、軍人は規律を守り、どこまでも民のために戦うという姿勢が貫かれています。
なぜなら、日本では、民は、敵味方関係なく天皇の「おおみたから」であり、その「おおみたから」を護るためにこそ武人は存在 している、という自覚があるからです。
これは日本人にとっては、まさに骨肉に染み込んだ自覚です。

 けれども、諸外国では、「軍と暴徒とヤクザは同じもの」です。
程度の差はあります。
まさに鬼畜そのもののソ連やChinaやKorea兵もあれば、ある程度は規律の保たれた英米のような軍もあります。
けれど、その英米ですら、あきらかに女とわかる、あきらかに看護婦と傷病兵の一団とわかりながら、平気で銃撃を加え、捕まえ た女性たちに恥辱を与えています。

 歴史、伝統が違うのです。
そのことは、当ブログの過去記事「国民国家と三十年戦争」で、グリンメルスハウゼンの『阿呆物語』を紹介していますので、ご 一読いただければと思います。

 人類史を振り返れば、戦いは現実に「ある」のです。
多くの人々は、いつの時代にあっても平和を願っていますが、それでも戦争は、現実にあるのです。
そして一昨日の根本博陸軍中将のお話に書かせていただきましたが、「武装がなければ女子供が蹂躙される」のです。
だからこそ、そうならないように武装する。
これが世界の現実なのです。

 良いとか悪いとかの問題ではないのです。
「蹂躙されない」
そのためには、現実の問題として武装が必要だし、その武装は世界最強の武装でなければならないし、一国だけで守りきれない危 険を避けるためには、諸外国と軍事同盟を結んで集団的自衛権を行使しなければならないのです。

 そしてこういう過去の事実を知れば、国を護ることがどれだけ大事なことなのか、安保法案反対が、いかに世迷いごとなのかをご 理解いただけようかと思います。

 今日の記事・・・冒頭の写真は、本来なら、この事件の犠牲となられた看護婦さん達の写真(二段目に掲載)を冒頭にもってくる べきだったのかもしれません。
けれど、季節の花の白い百合にしました。
白百合の花言葉は「純潔」「威厳」です。
まさに白衣の天使たちそのものです。慰霊の意味をこめて冒頭は白百合にしました。
彼女たち、生まれ変わって今生では、きっとお幸せな人生をお過ごしのことと信じたいです。

  参考図書:永田竜太郎著『紅染めし―従軍看護婦の手記』(1977年)



  靖国参拝も出来ない人達はこうして日本の為に戦って下さった方達に会わす顔があるのでしょうか。
  それを恥と思わない人達はやはり人でなしです。


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