ねずさんが元寇が何故博多湾に拘ったのかという面白い説を書いてくれています。どうやら京の裏若狭湾辺りを攻められると日本はどうなったか分からなかったそうです。
なる程、そう言えばそうですね。考えたこともありませんでした。ねずさんの凄いのがこれが壇ノ浦で犠牲になった平家の人達など先人のお陰だと言うのです。
何時ものように全文をリンク元で読んでください。。
ねずさんの学ぼう 日本より 2021/03/28
死者の軍勢
・・・略
この戦いの後に行われたのが元寇です。
一度目が文永の役(ぶんえいのえき・1274年)で89年後。
二度目が弘安の役(こうあんのえき・1281年)で96年後です。
特に二度目の弘安の役においては、日本の博多湾めがけて押し寄せた14万の元の大軍を、鎌倉御家人たち6万の軍勢が、見事打ち 破っているのですが、一点、不思議なことがあります。
それは、
「なぜ元軍は、大軍を博多湾だけに集結させたのか」
という疑問です。
彼らは、遠路はるばる船を連ねて日本に攻め込んできたのです。
もし、目指す上陸地点が博多湾ではなく、京都府の北の若狭湾であったとしたら、その後の歴史はどのように変化したことでしょう か。・・・以下略
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに。 今日のねずブロは《死者の軍勢》です。 先の大戦で命を失った我が日本の英霊諸氏もまた、いまや日本の守り神として、この日本を守り続けてくれていま す。 戦後の日本は、一時的に「はしか」のような流行病に侵されたけれど、そんな日本をあたたかく見守りながら、彼ら は日本人が正気を取り戻すときを、じっと待っていてくれている、私はそのように思っています。 続きはブログで
小名木善行さ んの投稿 2021 年3月27日土曜日
日本の消滅は近いなどと何かと悲観的な考えに陥ることを叱ってくれているようです。やはり、日本は守られているのでしょう。
それにしても、日本人が正気を取り戻すのを待ってくれているとは気の長い先人達です。現代人としては、その心に応えなければならない。
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