アメリカのポリティカルコレクトネスなる言葉が最近良く聞かれるようになりました。なんだろうかと思ったら、どうやら左翼得意のレッテル貼りのようなもののようです。
要するに、表面だって反対し難いことを主張することのようです。日本で言えば、片腕・キチガイ・憲法9条などでしょうか。兎に角、いつの間にか使えなくなったりしていて驚かされたものです。
こうしたことを言い出すのはきまって、反日売国左翼・在日共であるのも面白いですね。
そんな社会を、何時もの阿比留さんが息苦しい社会と書いてくれています。その中でケントさんの本もとりあげてくれていて、アメリカでリベラルをどう定義しているかの話題も面白い。
産経ニュースより 2018.4.15
【阿比留瑠比の極言御免】リ ベラルが作る息苦しい社会
3月27日付当欄で「臆 測でお白州に引き出すのか」と題し、臆測や推測レベルの話で執拗(しつよう)に安倍晋三首相の昭恵夫人の証 人喚問を求める野党のや り口は、もはや「人権侵害の域」ではないかと書いた。すると、産経新聞読者サービス室に、千葉市の男性から次のようなメールが届 いた。(4月5日の記事を再掲載しています)
「昭恵さんの証人喚問が実現すれば日本の社会に大混乱をもたらすだろう。知らぬ間に隣人や知人に犯罪容疑者にされる恐 怖が社会 全体に疑心暗鬼を生むからです」
また、千葉県浦安市の男性からは、同室にこんな電話があった。
「臆測で『裁判』にかけられるようになったら自由に意見も言えなくなる。何とかまっとうな世の中になってほしい」
日本社会の現状に深い閉塞(へいそく)感を覚え、今後の日本のあり方についても憂慮しているのが伝わってくる。現代の 魔女狩り に、おぞけをふるう人は少なくない。
一方、立憲民主党など野党6党は4日、国対委員長会談を開き、引き続き昭恵夫人らの証人喚問を求めていくことを確認し た。野党 も多くのメディアも、「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」という近代法の基本原則「推定無罪」などそっちのけで、 「推定有罪」を決め込んでいるかのようにみえる。
野党も多数派メディアもこれまで、安倍首相の政治手法を「強権的」だの「独裁的」だの「立憲主義に反する」などと批判 してき た。彼らはまた、日頃は人権重視をうたい、弱者や被害者を尊重する姿勢を強調し、売りにしてきた。
ところが、自分たちが攻撃する側に回ると一変し、相手の人権も立場も諸事情もおかまいなしに、大罪人であるかのように 石を投げ つけるのである。
実際、安倍首相が慰めているものの、昭恵夫人はかなり落ち込んでいると聞く。首相官邸の目の前には、もうずっと首相の 似顔絵と ともに「売国奴」と書かれた横断幕が掲げられているが、こんな嫌がらせをして何がうれしいのか。
安倍首相は周囲に「左翼は人権侵害が平気だから」と漏らす。ここでいう「左翼」が、日本では「リベラル」を自称してい ることに ついては2月22日付当欄「左派のどこが『リベラル』か」で指摘した。
和式「リベラル」のご都合主義と二重基準は度し難いと考えていたところ、米カリフォルニア州弁護士、ケント・ギルバー ト氏の新 著『リベラルの毒に侵された日米の憂鬱』に興味深い記述があった。
それによると、米国の保守的な州では「リベラル」について次のような認識を持つ人が多いそうである。
「腹黒くて、胡散(うさん)臭い」「抑圧的で、批判ばかりで、うっとうしい」「自分たちだけが絶対的正義と考えていて 傲慢」 「口だけ達者な連中で自分の非を認めない」「身勝手で利己的だから、自分の自由のためなら他人の自由を平気で侵害する」「現実を 無視してキレイごとばかりいう」
これらは常々、筆者が和式「リベラル」に対して痛感してきたことだったが、米国でもそうなのかと目からうろこが落ち た。ギル バート氏はこうも記す。
「リベラルが『自由』とは真逆の、『全体主義的で息苦しい社会』を作り出してしまったことについては、残念ながらアメ リカは日 本よりずっと先に行っています」
このまま日本も息苦しい社会になっていくのは、断固拒否したい。(論説委員兼政治部編集委員)
ケントさんのリベラルについての言葉、「腹黒くて、胡散(うさん)臭い」「抑圧的で、批判ばかりで、うっとうしい」「自分たちだけが絶対的正義と考えていて 傲慢」 「口だけ達者な連中で自分の非を認めない」「身勝手で利己的だから、自分の自由のためなら他人の自由を平気で侵害する」「現実を 無視してキレイごとばかりいう」は、全面的に賛同します。
日米と言うか、世界中でリベラルとはうっとうしいようですね。それにしても、反日売国左翼・在日共にピッタリの言葉です。本人達は、そうは思わないのでしょうね。やはり、私は良い人と思っているのでしょうね。
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