この部屋では日本の女性が如何に大事にされてきたかを何度か取上げてきました。例えば、家庭では父親が権威で母親は権力とい日本の国体と同じ考えとか、家庭の財布は母親が握っているなんてのも世界には見られないのじゃないでしょうか。
それが、どこから来ているかと言えばやはり神話の時代からでしょう。と言うか天照大神が女性ということからして世界とは真逆でしょう。もっとも、男だと言う説もあるようです。それでも、日本人にとっては女性ということの方がしっくり来るのじゃないでしょうか。
西洋も女性の扱いは神話の時代から同じだそうです。この両者の違いが、あの腐敗しきった国連が日本に男女差別があるという反日売国左翼・在日の嘘を信じさせるのじゃないでしょうか。
そんな西洋と日本の男女間の違いをねずさんが書いてくれています。西洋の扱いは酷いものですね。やはり、日本とは違うようです。
何時ものようにリンク元で全文を読んでください。
ねずさんのひとりごとより 2019 年 11月30日
西洋と日本 の男女観の違いのこと
・・・略
西洋では、いまでも女性を殴るということが普通に行われますが、そうでもしなければ狡猾で好奇心と欲望のかたまりである女性と「人類は」共存することができない、という文化が基底です。
「人類は」と書きましたが、要するにギリシャ神話の時代から、人類というのは男性社会のことだけを言うのであって、女性は人類の一部とはみなされないというのが、彼らの文化の根底をなしているわけです。
英国文学でハーベイの『テス』という小説があります。
大好きな小説で、英国文学で最高の小説をひとつあげろと言われたら、迷わず『テス』をお勧めしているくらいですが、その主人公の女性のテスは、たいへんに魅力的な女性なのですが、やはり何を考えているのかよくわからない存在として描写されています。
日本人の感覚からすると「?」マークがいっぱい付いてしまいそうな捉え方ですが、ギリシャ神話を読むと、それが西洋社会における女性の定義なのだとわかります。
これに対し日本の文学では、たとえば古事記を例に出しますと、まず最高神は天照大御神であって、これは女性神です。
そしてその最高神と直接会話を交わすことができるのは、やはり女性神である天宇受売神(あめのうずめ)です。
男性の神々は、天照大御神に何事かを奏上するときも、あるいは天照大御神からのご下命をいただくときも、常に女性神である天宇受売神を通してでなければならないとされます。
これは縄文以来の日本人の伝統的思考で、子を産むことができる、つまり命を産むことができる女性は、もっとも神に近い存在であると規定しているわけです。
ですからいまでも、たとえば神社で御神楽を奉納するときに、神様に捧げる舞を踊るのは女性の巫女さんに限られます。
男性が舞う御神楽は、聴衆に御神楽や神様を説明するための舞しかありません。
つまり、
女性の御神楽舞は、神様に捧げる舞。
男性の御神楽舞は、聴衆に説明をするための舞、
と定義され、これがいまでも固く守られているわけです。・・・以下略
それにしても、女性を労働力として利用し様とする産業界は、やはり日本の歴史を知らないのでしょう。Chinaへの傾斜と言い、日本を破壊するのは金の亡者となった専業界のようです。
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