自民党総裁選討論会をTV視聴した。不思議に思うのは、日本記者クラブ主催で、いつもの質問者の追求できない疑問に答えるだけの形式。なぜ、当事者同士の白熱した直接討論を行わないのか?。やれば、石橋氏の本音が出て、安倍氏は追い込まれ、頭に上って、かっとなり、失態を表したのに。これも、従来からの作戦。安倍氏のいつもの質問をはぐらかす自己主張は、自己のワンマンぶりが時には重要との本音を少しだす。たとえそうであろうとも、あまりにも強引な口調・態度は許せない。石破氏の論理的な話の展開は、今の世の中では、誰もあまり解さず、嫌味に見える作った笑み表情の顔ばかりが気になる。石破氏は、いつも損をしている。こんな討論会はやめた方がよい。
相対的な幸福(他人と比べてしまう、財産・金・家・健康・・・)ではなく絶対的な幸福(こころ)を求めることが、人間としての生きる道だという言葉が脳裏に浮かんでくる。この世の中、特にここ数年間、日常茶飯事で不正、不祥事が発生、発覚、それらが、エスカレートして、世間一般の倫理道徳観念が崩壊・混沌状態となってきたことは明白、その後そのことも不鮮明となり、少し、時間が経過すると、復活、悪びれずに、堂々と世間に登場する場面を見てきた。芸能・スポーツの世界だけでなく、政治経済、公平な立場のメディアにおいてでもある。富・名誉を得ても、本当の幸福になれないことは、人間社会の今までの歴史が語っている。生きること、生きていて、幸せになるということは、今日も生きること自体に爽やかな喜びを感じることであるのかなと思っている。そうなるためにを考えながら、時間が経っていく。これも、幸せの一つなのかもしれない。
