阪神大震災から30年。17日、5:46の30分前に起きて、ラジオテレビ同時中継の現場アナウンサーの声に合わせて黙祷を行った。30年前のことをしっかりと記憶している。京都南では、震度4~5であったが、自宅ではものすごい揺れではなく、何かが倒れることはなかった。大被害の通勤地大阪までは、交通機関がストップで、復旧するまで待った。この日は、転入者がいて、会社に到着するまで待ってもらった。それ以降、2週間ぐらい、神戸を中心に関西居住社員の支援で大変忙しい日々を送った。幸い社員で亡くなった方はいなかったが、現場から届く声は目を閉じ耳をふさぎたくなるような生々しい悲惨な状況で、仕事にはならなかった。本日も、倒壊家屋の下敷きになり、声がする幼子を助けようとするお母さんを引き留めた近所の方の生々しいやるせない涙声が阪神大震災の恐ろしさを語っていた。いずれやってくる南海トラフ、もう一度、防災準備対策に一人一人が注意を払わねばならないと思った。
最新の画像[もっと見る]
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます