京田辺市長選挙公開討論会の感想としては、四年前に比べて、より政策面での討論会であったと思うが、政策と思えない(当時)現職のお粗末な言葉には、いつものように失笑が漏れていたほどで、これでも、当選する市長選挙に愕然としたのがよみがえる。討論は、現状課題認識から自らの主張を展開すべきであるが、これも3分間なら、何とかごまかせるかもしれないが、それ以降、もっと見解の相違が出てきたときに、どのように相手を論破するのかが重要なことである。今回も真の討論が避けられたことは、誠に遺憾に思う。コーディネーターのただ順番に、指名するだけのやり方は、前回も指摘したように討論会ではない。だから、3分で美辞麗句的に、国や府と連携をとってという言葉が頻発される。そのことが最大の得策であれば、国、府出身の首長となればよいが、我々住民は、愛着を持つ京田辺市で幸せな暮らしをしたいのであるから、そのアイデンティティを我々が真っ先に考えなければならないのである。全般的に、痛感したのは、知恵VS知識の討論であったように思う。今迄は、前もって予想され発生する事態に平平凡凡に対応していけばよかったのだが、これからの行政は、経験したことがない予期せぬ事態や外圧から影響を受けるリスキーな場面に出くわすことが考えられ、その時の頭は柔軟度の高い考え抜く知恵が重要なのである。特に、討論会の後半は、自らの考えをストーリー付け、そのプロセス展開が明快な候補予定者と、実施する項目を並べただけで、なぜ今そうするのかの論理展開がうまく表現できなかった他方候補者との相違が明確となったことが印象的である。期待していた、歴史・文化に関しては、現在と同じく、歴史的価値のクローズアップが不十分で、今一度、古代から中世、近世、近代にまで、市・市民全体で勉強すべきである。そういう中から、このまちへの愛情が高まり、もっともっと良くしたいということにつながり、市民の一人ひとりが観光や関連事業・産業に役立っていくのである。
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