過疎化地域を支援するために、われらのホームタウンで第4回のコンサートを行いました。200年前の古民家で、都会のソプラノが響きわたりました。
やましろ100ちーたび事業に応募したタイムワープきょうたなべの第一弾『本能寺の変、家康逃走の京田辺を再現!!』と題して、12月5日(土)にウォーク&講座を開催する。家康一行の逃走、穴山梅雪が自刃した場所を参加者に生々しくお伝えする。午前は、現地に出向き、昼食ランチは、地産地消,無農薬野菜の創作料理を味わっていただき、眠くなる講座は、興味を抱いていただくように、先祖が家康一行に出会った場面を真実とエンターテイメント性あるお話を心掛ける。会場の200年前の古民家や里山の珍しいものや農園もご覧いただく予定である。本日も、当日の詳細スケジュールを今一度、参加者に、メールと電話で連絡を行った。ホームページにもこの内容を掲載した。雨天の時の対応、川沿いを歩く時の寒さ対策、帰りのバスの時刻、・・・できるだけ皆さんに楽しんでいただくように、考えていると次から次へと配慮事項が浮かび上がる。すでに、参加申込者が定員をオーバーし、市内だけでなく高槻、生駒、枚方からもやってこられる。自分としても、50回を超す、講演に引き続いて、今年度のまた新たな挑戦ということで、臨みたく思っている。
京都新聞の読書の声『窓』欄に我が投稿文が掲載され、そのプレゼントが郵送されてきた。窓欄を毎日さら~っと目を通すが、投稿は高齢者が多く若者が少なく、同じ人物の意見がよく掲載され、政治経済社会文化スポーツなど全般的な分野にわたっているものの掲載された理由が不明なものもある。
声だから、老若男女、いろいろな意見が自由に出るのは良かろうが、出来事における専門的に分析した見解や声が少ないのは、ややもの足りなく思っている。
声だから、老若男女、いろいろな意見が自由に出るのは良かろうが、出来事における専門的に分析した見解や声が少ないのは、ややもの足りなく思っている。
地方公共体や地域社会の人々との接触が広がり中身が濃くなっていくと、様々な人間の言動や行動に関心がいくものである。自己の意見をTPOで使い分けする人、苦手な相手との接触を避ける人、発生した問題解決を率先してやらない人、約束を守らない人、平気で偽りを言う人、そして、年だからといって、忘れたり、逃げてしまう人等、気になることを列挙すると数多ある。
もっと気になることは、容易な問題も解決のハードルが高いからと言って、改善活動を図ろうとしない長や組織団体が許される雰囲気にある場面に出くわすことである。その根底は、現状維持で良いと思う市民が大半を成すからではないかと思う。
地域社会で発生している課題解決の提案・企画などは、機会あるごとに発信してきたのであるが、いつもレベルが高すぎると敬遠されている。文化振興計画やまちづくりなどの市民の意見を取り入れての行政の動きもパブリックコメントやテーブルトークでお茶を濁しているのがせいぜいである。本当に、「緑豊かで健康な文化田園都市」を目指しているのかが不明なまま時が流れていくことが遺憾である。文化については、最も欠如している学術的な要素が含まれていることをあらためて申し上げたい。
数か月前もブログで発信したが、新たな方針と体制でスタートした地方自治体の実施評価を市民としては、クォーターレベルで厳密に監視して行かねばならない。
もっと気になることは、容易な問題も解決のハードルが高いからと言って、改善活動を図ろうとしない長や組織団体が許される雰囲気にある場面に出くわすことである。その根底は、現状維持で良いと思う市民が大半を成すからではないかと思う。
地域社会で発生している課題解決の提案・企画などは、機会あるごとに発信してきたのであるが、いつもレベルが高すぎると敬遠されている。文化振興計画やまちづくりなどの市民の意見を取り入れての行政の動きもパブリックコメントやテーブルトークでお茶を濁しているのがせいぜいである。本当に、「緑豊かで健康な文化田園都市」を目指しているのかが不明なまま時が流れていくことが遺憾である。文化については、最も欠如している学術的な要素が含まれていることをあらためて申し上げたい。
数か月前もブログで発信したが、新たな方針と体制でスタートした地方自治体の実施評価を市民としては、クォーターレベルで厳密に監視して行かねばならない。
市内での用事を済ませ、小雨が今にも降ろうとする中、自転車で急いでいると、十名ぐらいのウォーキンググループが幅の狭い道をあちこち見ながら歩き、近づいてきた後ろの自転車には気づいていなかった。少し、そのグループと歩調を合わすように自転車を動かしているとやっと、気づき道を開けてくれた。「ありがとうございます。」と言いながら、どちらまでと聞くと観音寺まで、とのこと。そこから、いつものエンターテイメントガイドが始まった。筒城宮、継体天皇、磐之姫、若冲、南山城33所巡り、そして、伊賀越えの家康の話をすると、皆さん立ち止まり熱心に聞きながら、質問も出て、大層喜ばれた。残念ながら、歴史好きな奈良から来られたグループの方は、京田辺のことをあまり知っていなかった。今までも、何回も体験したことである。それだけに、このような、にわかガイドができるように住民としては、郷土や自分たちの地域について、もっと知ることが必要である。こういう些細なおもてなしで京田辺という町の印象を良くするのではないかとまたまた思った。観光とは、五感に訴える魅力を土地の人々が自ら見つけ伝えることが出発点である。
山城国 井手城址に行ってきました。主郭は海抜157m。周りにいくつもの曲廓がありました。明確な堀切もわかりました。中世のやまじろ、南山城がやはり中心地です。
今朝の京都新聞の読者『窓』欄に、私の投稿文が掲載されている。「市民生活にインターネットの有益な活用をもっと積極的に図ろう」と呼びかけている。数年前から機会があるごとに訴えてきてはいるが、ITアレルギーな人々に加えて、情報漏えい、サーバー攻撃などのリスクが高まり、停滞と利用格差が拡大している。前回の国勢調査アンケートで、全国レベルでのインターネット回答を強く要望した。今回の国勢調査実施中にさらにネット回答のメリットを感じ、9/28に投稿した。残念ながら、調査終了後の掲載で、当方の趣旨を十分には込みいれられてはいない。今回の実施期間中の掲載が望ましかった。しかしながら、掲載された文章は、非常に読みやすく、手直しがされており、勉強になったことに感謝したい。
昨日のつつきはっけんウォークに参加された方の中で、私の関心ごとの二つについて、貴重な情報を持っていらっしゃる方がおられました。前回の講座に参加された方が、お誘いいただき、お会いすることになったのです。ウォーク終了後、昼食をしながら、資料を見せてもらい、お話をお聞きしました。その方は、宇治茶師・上林牛加家の十四代目、その先祖が、戦国武将の金森長近。一つは、上林家の先祖が、織田信長軍団の一員、江州瀬田城生まれの山岡景隆。本能寺の変で、光秀が降伏を迫ると拒否、瀬田大橋を焼き払い、安土城攻略を阻止、伊賀越えで家康一行の警護を果たした山岡兄弟の兄です。二つ目は、金森長近が藩主であった飛騨高山古川のこと。ここでは、我が曾祖父が士族として、どういう働きや暮らしをしていたのか知りたく思っている。お話は、家系図、家で保管する古文書、等に基づいているので、非常に鮮明にこちらに伝わってくる。帰宅後、資料を読みながら、伊賀越えでまとめてきたものと照らし合わせているが、ほとんどが一致する。12/5のちーたびイベントの中でもお話ができる内容に仕立てたく思っている。
明日(11/13)は、つつきはっけんウォーキングディ~いにしえの薫りを求めて~京田辺の北部地域を歩きます。10時 集合JR大住駅~牛まわしの跡~天津神社~澤井家住宅~大住車塚古墳・南塚古墳~月読神社(六坊)~大住城跡~虚空蔵谷川沿い~新名神高速道路の高架工事下~天神社~諏訪ケ原公園~JR松井山手駅12時半 解散。8月に講座でお話したことを思い出しながら、新たなはっけんをしてください。