沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

テンペスト(暗シン御門)

2011-01-03 | 琉球・首里城

琉球小説テンペストに出てくる首里城の舞台。

上の写真は、正殿の2階の窓から、南側の未開園区域を望んだもの。

左の建物は、二階御殿(未開園区域)。

正面の草地は、奥書院や近習詰所(きんじゅうつめしょ)があったところ。

手前の芝生地は、黄金御殿(くがにうどぅん)があったところ。

黄金御殿の1階には、暗シン御門(クラシンウジョー)があった。

上の写真は、同じ場所から、少し西側(右側)を見たところ。

手前の細長い屋根が、南風(はえ)の廊下(南殿と正殿を結ぶ廊下)。

その上にある屋根が、南殿の屋根。

奥に見えるやや白い屋根が、書院。

書院と南殿の間には、細長い通路があり、奉神門に至る。

 

【真鶴が寧温に入れ替わる時】

 画面左側の世添殿から黄金御殿2階へ来て、1階に下りる。

 暗シン御門(クラシンウジョウ)内の「げらゑの間」で寧温に着替えて、南風の廊下から南殿と書院の間を通って行政空間へ出る。

【夜は真鶴、昼は寧温として二重生活をした時】

 上と同様に、寧温に着替えた後、「暗シン御門から出て久慶門から入り直す」とあるので、歓会門又は木曳門から城外へ出た後に、久慶門から入城。

 真鶴に戻るときは、上記の逆。

【寧温が、真美那から世添殿に招待され、門限ぎりぎりで急いで帰る時】

 世添殿から黄金御殿2階を通り正殿2階へ、1階に降りて南風の廊下から、暗シン御門へ。(ここで寧温が消える)

 げらゑの間で真鶴に着替え、二階御殿の前を通って、写真左の御内原入口の中門へ飛び込む。(真鶴は城外にいたことにしていたため)  

写真から、想像できるでしょうか。

沖縄県立埋蔵文化財センターの仲座 久宜氏が、首里城の復元図として有名な沖縄県首里旧城図(横内扶氏の資料)をトレースした図には、暗シン御門(赤い部分)が明瞭に記されていました。げらゑの間の位置を加筆してみました。

http://www.maizou-okinawa.gr.jp/sokuho_2009/sokuho2009rezyume.pdf 

上の写真は、最近復元された書院。下の写真はその庭園。

書院は国王の執務室で、尚育王の抜擢により科試に合格した主人公の孫 寧温(そん ねいおん)の戴帽式が行われた場所だ。

その場で13歳の主人公は、三司官(行政の最高責任者)から、評定所筆者主取(ひょうていじょひっしゃぬしどり)という課長級の辞令を受け取る。

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