高野山の宿坊・普賢院では6時半から朝のお勤めに参加。
その後、地下の仏舎利殿などを見学した。住職がネパールからお釈迦様の遺骨(仏舎利)を持ち帰られたそうだ。
朝のお勤めの後、朝ご飯。また精進料理。日頃の荒れた食生活のありがたさを感じる。ご飯の大盛りをおかわりした。
宿坊を発ち、高野山の中心、金剛峯寺にお参りした。高野山の若い職員の方に案内していただいた。金剛峯寺は「こんごうぶじ」ではなく、正式には「こんごうぶうじ」と呼ぶそうだ。
本来は高野山全体が金剛峯寺というお寺だったが、明治になって寺をどこかに決めろと政府から言われて、豊臣秀吉が母の菩提を弔うために建立した青厳寺と高山寺というお寺を合わせて、金剛峯寺と決めたそうだ。それで金剛峯寺には豊臣家の家紋が掲げられている。
皇族や国賓クラスの方々が高野山参拝された時に宿泊される奥殿というところも特別に見せていただいたり、詳しく説明を聞くことができた。
その後は、弘法大師の眠る奥之院へ。奥之院の参道には織田信長や豊臣秀吉の墓など、戦国大名や様々な企業のお墓もたくさんあった。
奥之院では参加者全員で般若心経の読経を行った。
高野山を後にして、龍神村で昼食の後、熊野本宮大社を参拝した。ここには綾部藩の殿様の末裔である九鬼家隆宮司がおられる。
九鬼家は水軍大名として織田信長、豊臣秀吉に仕えたが、江戸時代になり、お家騒動で鳥羽藩から但馬の三田藩(久隆)と丹波の綾部藩(隆季)に国替えとなった。
綾部藩の隆季公の子孫が九鬼家隆宮司であり、元々、熊野本宮の別当であったことから熊野本宮大社の宮司となられている。
九鬼宮司にお迎えいただき、拝殿での参拝の後、熊野本宮大社の由来など、お話を伺った。
この日の宿は近くの川湯温泉へ。川原に露天風呂があり、良い泉質の温泉宿で人間界に帰ってきた気がした。