四方源太郎日記(京都府議会議員・綾部市選挙区)

これからの綾部のために、さらなる「挑戦」を!

ありがとう市民センター、思い出まつり

2019年09月28日 | 議員活動

 28日㈯心配されていた雨も降らず、逆に良い天気になり、綾部小学校の運動会が行われた。開会式に出席し、午前中の競技を見学した。涼子も温二郎も同じ赤色で頑張っていた。

 昼に家族で弁当を食べた後、綾部高校の由良川キャンパスに行き、学校公開を見学した。農業科・園芸科・農芸化学科を目指す中学3年生も数多く参加してくれていた。

 受付前で待っている時、福知山から来たという男の子と少し話をした。「将来、農業をしたいので綾部高校農業科で勉強したい。綾部高校由良川キャンパスの学校公開には毎回、来ている」と頼もしい子だった。

 全体説明の後、授業を参観した。実験や調理実習も行われており、ココアクッキーも試食させてもらった。

 

 15時からは建築デザイナー戸村聡里くんを伴って打ち合わせに。綾部駅南側から大本あたりにかけての市街地活性化に取り組むための新しいプロジェクトが動き出しており、専門家の知恵も必要だろうと綾部に来てもらった。

 現場を見たり、その後も21時頃までプロジェクトメンバーといろいろと話し合いをし、一定の方向性は見出せたのではないかと思う。そのメンバーで飲みに行き、23時頃に解散した。

 

 29日㈰今日もきれいに晴れた。10時から「ありがとう市民センター、思い出まつり」というイベント綾部市太鼓連合会(芦田正己会長)の主催で行われた。

 綾部市市民センター資材不足の時代、宮津市栗田の航空機格納庫を移築して昭和38年に開館し、長年にわたって、綾部の文化・スポーツ・市民活動・政治の舞台となってきた。有名人も数多くやってきた。老朽化により、綾部駅北口に新しい市民センター(日東精工アリーナ)が開館するため、こちらは閉館され、来年度には取り壊されることになっている。

 市民センターは、夏休みのラジオ体操の場所だったし、子どもの頃からの遊び場であり、目の前から消えることは本当にさみしい。

 「ありがとう市民センター、思い出まつり」綾部市消防団の開会ラッパに始まり、市長、前市長の来賓挨拶の後、綾ノ本鼓笛隊やカラオケグループ、民謡、舞踊、二胡、合唱、和太鼓など、思い出のある様々な方々が出演され、市民センターに感謝し、閉館を惜しんだ。

 鼓笛隊では涼子と温二郎も出演した。うちの家は祖父に始まり、小源太、涼子、温二郎に至るまで四代にわたって、市民センターにお世話になった。

 多目的ホールでは、思い出写真展示もあり、懐かしい綾部の写真がたくさん展示されていた。西町土曜夜の市も子どもの頃の大きな楽しみだった。

 今のうちの事務所のあるところはその昔は貯木場であった。うちの曽祖父も材木業を営んでおり、そういう頃の写真もあった。

 綾部市は何鹿郡であり、奈良時代には何鹿郡衙(郡役所)が置かれていたとされる。当時は今のアスパのあたりに大きな五重の塔もあったそうだ。

 二階の体育館ではドッヂボール大会が行われていた。

 幾度となく、パイナップルじゃんけんをした階段もなくなる。さようなら、ありがとう、市民センター!

 

 午後は朝、連絡があった田野川の改修要望箇所を現地調査に行った。たしかにこの部分だけ草木が繁茂し、土砂や岩が堆積しており、川沿いの住宅に昨夏の豪雨の際には土砂流入したそうだ。

 月曜日に土木事務所に電話で改修依頼をして調べてもらった結果、下流の災害復旧工事と合わせて、すぐに実施していただけることになった。

 夕方は事務所に来客


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