11時に市役所に行く予定になっていたので、それまでに新聞配りなどをしておこうと思っていたが、何件か予定外のことが入ってきて、時間ギリギリになった。
自民党は、これまでのように組織の上にあぐらをかいていたら、どんどん求心力を失うだろう。
そうならないようにするためには、自らが動かなくてはいけない。受け身では何も始まらない。
動く時には必ず、反作用効果が出るが、それを恐れていては何もできない。という簡単なことが通じなかったので長電話になった。
11時から、昨夏、市議会民政会、創政会、自民党綾部支部、四方源太郎後援会の四者で開催した『地域懇談会』で受けたご意見をまとめて出した綾部市への要望書に対する回答をしていただいた。
高齢者サロンについての補助金の運用方法については、再度検討をお願いした。
昼ご飯を食べる間もなく、マクドナルドに浄化槽を見に行った。
その後、ホテル綾部に行き、打ち合わせ。
新聞配りをしながら、福知山に行き、谷垣事務所に寄った。14日の件について、最終の確認をした。
夜は輝くんとご飯を食べに行った後、悟さんにも来ていただき、14日の資料作りをした。
午前中、新聞配りなどに回った。
12時に、ホテルロイヤルヒル福知山に行った。
毎年、2月11日は自民党綾部支部として、日本会議京都北部支部主催の『建国記念を祝う綾部市民の集い』にお手伝いに行っているが、今年は『天皇陛下御即位二十年を奉祝する京都北部府民の集い』があり、奉祝委員の一人としてお手伝いさせていただいた。
受付が始まるとたくさんの方が来られた。“ヒゲの隊長”佐藤正久参議院議員と俳優の赤井英和さんが来られるということもあってか、500名を超える方が参加された。 最初に奉祝委員会の会長である谷村紘一福知山商議所会頭がご挨拶された。
谷垣代議士、二ノ湯参議院議員、西田参議院議員、小石原副知事(知事代理)、家元府議会議長が順番に挨拶され、最後に市長も市長会会長として挨拶をした。
第二部では、まず佐藤正久参議院議員が「平成の御代の防人たち」と題して講演された。
僕の府議選の時に応援にお越しいただき、一緒に街頭宣伝させていただいたが、ゆっくりお話をお聞きするのは初めてだった。素晴らしい内容だった。
「自衛隊は結果を出さなければならない組織だ」とおっしゃり、そのための自衛官の意識の持ちようについてお話しされた。「国内でも海外でも住民と同じ目線で作業をしなければ、信頼されず仕事ができない」とおっしゃった。
最後に教育勅語の現代語訳を読まれた。「これのどこが軍国主義ですか?日本古来の伝統をまとめた言葉です」とおっしゃり、日本人の覚醒を促された。
続いて登場された赤井英和さんは、軽妙なトークの中に、神様を信じることの大切さを語られた。
浪速高校が神道系の高校で毎週、神道の授業があったそうだ。
また、赤井家の先祖は丹波篠山の赤井氏だとおっしゃっていた。
明智光秀の丹波平定で滅んだ波多野一族の家老に赤井という猛将がおられたので、その子孫になるのだろうか。
講演会の後、第三部は懇親会だった。
懇親会終了後、残りの食べ物と飲み物で、軽くスタッフの打ち上げがあった。
家に帰ると、小源太が卓ちゃんからお土産にもらった毛ガニを独り占めして食べていた。
昨日、じいちゃんの誕生日で、お祝いの手紙を書いて持って行ったら、代わりに似顔絵を書いてもらっていた。
「渋すぎるぅぅぅー」と小源太は言い、嬉しそうではなかった。
午前中、奥歯の詰め物を交換していただき、歯医者さん通いもようやく終わりかと思っていたら、親知らずの抜歯を勧めていただき、今月末から来月にかけて、南丹病院に通うことになった。
南丹病院に電話をしたら、「8時半からの受付開始なので、そのくらいの時間に来ないと込みますよ」と言われた。今週、来週は忙しいので、再来週くらいに行ってこよう。
午後は「げんたろう新聞」の発行作業に来ていただき、17時頃までお世話になった。多くの皆さんのおかげで今月も発行することができている。
今月号は「定額給付金」について書いた。自治体に出される総額6000億円の臨時交付金についても、二ノ湯参議院議員の広報誌から引用させていただいて、内容を説明した。
夜は、いったん家でご飯を食べた後、会社に戻って仕事をした。
2月14日に向けて、書類作りがたくさんある。「げんたろう新聞」の市外発送分の処理もしなくてはいけない。
今朝は寒かった。9時過ぎでも外気は0℃だった。
最近、強い風が吹くようで、看板が倒れているとご連絡をいただいて直しに行った。直していると、何人か人が通られて、声をかけていただいた。
夜は、フロンティアの会議をした。新年度に向けての事務局の活動方針を相談した。
麻生首相が最近、郵政民営化について見直しを言い始めたのはちょっとおかしい。
国会が決めて、そのように進んでいることに首相が異議を唱えて止めるのなら、もう少し説明が必要だ。
本当に止めるのなら、そのように指示をすればいいのだとは思うが、そういうことをすると自民党への支持はますます急落する。
自民党への支持が最初に落ち込んだのは、安倍首相が郵政造反組の当選組を復党させたところからだ。
筋の通らないことをいきなりトップが言い始めてはいけない。
家に帰って、テレビを観たりして、しばらくゆっくりした。
午後、遅めの昼ご飯を買い、会社に行った。
夜は、谷垣会物部支部の会合に出席させていただいた。様々なご意見もいただいた。
午前中から会社に行き、仕事をした。
夕方から、「ゆめっと京都」の仲さんにお誘いいただき、福知山の三岳まで行ってきた。その家は、そう言えば、ずいぶん前に由良ネットの会合で一度来た覚えがあった。高崎さんが自分のところの本家だと言っておられたように思う。
18時半頃から、「しし鍋の会」が行われた。京都や市島、亀岡、神戸、名古屋から来ておられる方もあった。
綾部からの方は他に誰もいなかったが、福知山の方も3人ほどだった。
職業も年齢も、住所地も様々な人たちが集まり、不思議な感じもあり、懐かしく感じるところもあった。
綾部にUターンしてしばらくは、福知山へちょこちょこ行っていた。
そこで得たことを生かして、あやべ福祉フロンティアやNEXTを立ち上げ、他の活動もそこから派生していった。
綾部市内での活動が忙しくなり、中途半端になっても仕方がないと考え、最近まで力を綾部に集中させてきた。
講演等で市外に招かれることはあったが、イベントなどでわざわざ市外まで参加しに行く機会は少なくなっていた。
半年ほど前に、仲さんがNEXTに活動取材に来られた頃から、またそろそろ出て行ってみようかなと思い始めていたので、今日は行くことにした。
知らない人たちばかりの中に出て行くということは、ドキドキもするが、ワクワクもする。大学に入った頃に戻ったような気分にもなった。
鍋を食べ、近くにいた人たちといろいろ話をしていたら、いつの間にか眠ってしまっていた。毛布一枚で雑魚寝した。下は床で、身体が痛かったが、こういう感じも昔に戻ったような気分だった。
名刺交換も自己紹介もなく、朝になると三々五々、別れていった。
この家は、「せせらぎの家」と名付けられているらしい。
涼子の夜泣きに加奈っちが困っている。
どうも涼子は寒くて寝れなくて泣いているのではないかと思い、体温の高い僕と寝たほうがいいのではないかと提案した。
夜に断乳させる必要がある時期でもあったようで、その提案は受け入れられた。「湯たんぽ」ならぬ、「人間たんぽ」になることになった。
早速、ギャーギャー泣きわめかれた。30分ほど抱っこしていたら、泣き疲れて寝てくれた。
それから夜中に3度か4度、起きて泣いていたが、そのたびに身体をこすって暖めてやったら、寝てくれた。これからしばらく、「人間たんぽ」になるようだ。
午後、谷垣事務所に行った。
谷垣代議士に来ていただき、2月14日に「谷垣さだかず農林懇談会」(13時半~15時半、物部営農指導センター、入場無料)を開催するが、その打ち合わせなどをした。
夜はNEXTミーティングがあり、FMいかるでラジオ収録を行った。
月刊NEXTが120号になり、設立から10年が過ぎた。NEXT設立当初の裏話などを話した。
放送は来週土曜日(14日)の朝10時頃からです。
夕方、三平さんがお客さんを連れて来られた。
「イカの哲学」のアニメ映画化を考えておられる京都の方だった。アニメ映画の世界のこともいろいろと聞かせていただいた。初めて聞くような話もあって興味深かった。
「イカの哲学」をどのように映像化されるか、まだ現実的な企画にはなっていないようだが、楽しみではある。綾部のことが出てくる映画なら、なお良いのだが…。
夜は予定がなかったので、家で小源太と風呂に入った。小源太は「パパと“闘いごっこ”するための運動するんや」と腹筋しようとしていた。
今朝は、うちの嫁さんが早く出かけると知り、小源太は「ママが家からいなくなるのは嫌だ!」と言い出した。
いつもは9時前後に音楽院に行くのに、今日は8時過ぎに音楽院に送って行くことになった。
2番になれて、おばちゃん先生に褒められ、小源太はご機嫌そうだった。
10時にハートセンターに集合し、福知山の成仁小学校に「ユニセフ学習」の講師として出向いた。
先週末に、講師要請のお電話いただいた。以前、福知山では遷喬小学校でユニセフ学習の経験があるが、それを知っておられた先生が今回の要請をして下さった。
全くの私見だが、ユニセフに関心のある先生は皆さん、優秀な先生でしっかりとしておられる。
若い先生方もユニセフ学習に興味を持っていただき、いろいろと質問やアドバイスを求めて下さった。
成仁小学校は立派な学校で、すごい「コンピュータ室」があった。そこを会場に、5年生、6年生がそれぞれ3時限、4時限で学習していただいた。
紙芝居を見てもらい、少し話をした後、ビデオを観てもらった。子どもたちは熱心に話を聞き、ビデオを観てくれた。
終了後、校長室で校長先生にご挨拶させていただいた。
先生はユニセフとユネスコを混同しておられたが、説明をさせていただくと、「素晴らしい活動ですから、ユニセフの輪ももっともっと広がると良いですね」とおっしゃっていただいた。
会社に戻り、今朝もらった昨日の巻寿司の残りを夜の会議の書類作りをしながら慌てて食べ、14時からはサポステの府・市運営会議に参加した。
府の予算案も発表され、国の来年度サポステ公募も始まっている。
夕方、税務署徴収係の担当者と電話でやり取り。
税務署が大事なことを説明せずに、税金を無駄に浪費していると思えることがあり、その件を聞いてみたら、「確かにそうですね」ということだった。
フロンティアでは、福知山税務署長の決定に異議を申し立て、現在、国税不服審判所に不服審査請求を申し出ている。
最初の決定の前に、担当の税務署員は、「修正申告に応じる意思はありませんか?」とずいぶんしつこく聞いてこられた。
私達は現行法上における認識の相違を明確にして、今後、立法の場でその改善を提言するための証拠確保を目指し、そのような手続きを取っている。「だから、修正申告に応じるつもりはない」と言うと、書類が送られてきて、延滞税のことについては記載があった。
しかし、今日聞くと、いったん納めておいて、こちらの異議が認められた時点で、更正請求をして返してもらうことができるそうだ。
おまけにその場合は「還付加算金」という利息もつくそうだ。延滞税は14%という高利なので、さぞ高利の加算がなされることだろう。
それなら、そう言ってくれたら、とりあえず納めることには何らやぶさかではないのだ。
「それを早く教えておいたら、今、こんな書類を作ったり、送ったりする徴税コストはかかりませんでしたね?」と言うと、「確かにそうですね」とおっしゃった。
「そうですね、と思うのなら、明日からでも書類を整え、税金の無駄な浪費しなくて済むように変えないとアカンのやないですか?」と言ったが、それは「できない」らしい。
人事院の総裁がテレビに出て、何かよく分からないことを言っているが、「お金を捨てる仕事」を「昔からそうですから…」で継続しているのが国家公務員の現在の在り様ではないかと思う。
夜は会議があった。今後の予定について論議をした。
今日は節分。大本では節分大祭があった。谷垣代議士の代理で出席させていただいた。
大本では「国常立尊」が親神として崇拝されている。別名を「艮(うしとら)の金神」という。
「艮」は鬼門の方角であり、大本では節分大祭が重要なお祭で、「福は内、鬼も内」というのはそういう理由もある。
今年は丑年、来年は寅年。今年は丑寅の年でもある。
昨年の漢字は「変」で、オバマ新大統領は「チェンジ」を掲げたが、今年は何かありそうな年だ。節分を境に「春」が来るので、どういう新しい「仕組み」を見せてもらえるのだろうと楽しみにしている。
大本の節分大祭では、祝詞奏上や讃美歌斉唱があった。
節分大祭奏上讃美歌の三番が次のようなものだった。
老いも若きも皆歌へ
恵みの日光は春のごと
長閑に天地に輝きて
冬の夜半さえ春景色
変りし五六七の神の世を
祝ひて百千の歌成れり
今年の節分は雪も降らず、春のようにとは言えないかもしれないが、例年よりは暖かかった。
「われよし、強いもの勝ち」の世が変わって、新しい光が見えてくるのだろうか?
見えてきてほしい、と願うばかりだ。
よく考えたら、僕は丑年と寅年の学年であり、「丑寅年」なので、この世代が新しい時代を切り拓いていかなければならないんだろうなと感じた。
小源太も初めて節分大祭に連れて行ってもらい、「冬のお祭は初めて!」と喜んでいたそうだ。
ダルマも当て、ドラえもん焼きを買ってもらい、舞い上がる火の粉を喜んでみていたそうだ。
祭典の後、直会にも参加させていただいた。
梅原連長の隣りに座らせていただき、いろいろとお話も伺った。
初めて聞かせていただくことや様々な人生訓など、参考にさせていただくことが多々あった。
昨日のフォーラムで得た「情報開示」をフロンティアで実践すべく、さっそく事務局レベルの会議の日程調整をお願いした。次のステージに上げていかなければならない。
「攻める」時には、「守る」体制が重要だ。「守備固め」もしておきたい。
その後、いろいろとお願い事や連絡ごとがあったので対応する。
午後は来客が何人かあった。
夕方、自民党志賀郷支部の総会に出席。志賀郷では党員拡大を図っていただいており、党活動活性化に向けた様々なご提案もいただいている。
夜は自民党の本部役員会を開催。
2月14日の「谷垣さだかず農林懇談会」のこと、自民党青年政治大学の受け入れ、総会に向けての事業総括や会計決算などについて、相談をさせていただいた。
この2年弱、自民党綾部支部は皆さんのご協力で「ドン底」から這い上がってこれた。
やっとスタートラインに立った。これからが勝負だ。
午後、京都市の池坊短期大学で、きょうとNPOセンター設立10周年フォーラム「社会を変えるために、今、必要なものとは」が開催され、光くんと一緒に参加した。
NPO法ができて10年が経つが、NPOと活動資金の問題はますます重要なものになっている。
フォーラムでは最初に、三菱UFJリサーチ&コンサルティング㈱の水谷衣里研究員が基調報告をされた。
NPO法人で5000万円以上の予算を組んでいるところは、ほんのわずかしかないそうだ。また、法人数が増えても有給職員数は減っているというのが現状だ。
そのために、きょうとNPOセンターでは、「京都地域創造基金」をつくり、これを財団法人化することを目指しておられる。公益財団法人となり、京都府内のNPOへの事業融資や活動支援のための寄付を募っていく考えだそうだ。
パネルディスカッションでは、せんだい・みやぎNPOセンターの加藤哲夫代表理事などがNPOと資金の問題について、議論を深められた。
情報開示の必要性とそれによって寄付が集まる仕組みについての報告を聞き、フロンティアでも来年度、「情報公開をさらに進める」という方針を掲げようと思った。
賛助会員など、薄く広い支援者を募っていくことが、活動充実のためには大切なことだと感じた。
最後にきょうとNPOセンターの深尾昌峰常務理事が、「京都地域創造基金」への寄付を求められたので、それに応じて少し寄付をした。
NPOの活動基盤の安定で、市民生活が豊かで潤いのあるものになるよう、そういう願いを込めて、これからも「京都地域創造基金」の発展に協力していきたいと思う。