このホテルは日大山岳部OBの宮原さんという方が40年前に建てられた。ネパール政府の仕事を2年間程されていて、この場所を知り、その素晴らしさにほれ込み、ここにホテル建設を決意されたそうです。
建物があまり目立たないように、背面を松の樹木で覆い、前面は大きなガラス張りです。全室からエベレストが展望できる設計になっています。石造りのテラスや大きな薪ストーブがある広々としたレストランなど。エベレスト街道のどのロッジやホテルとは比較にならない立派なもので、正に山の盟主、エベレストを堪能するために相応しいところでした。食事の内容をカメラに収めました。茶碗蒸しやお豆腐などが食べられるとは・・・・12月15日、いよいよエベレストに別れを告げてシャンボチェ空港までのんびりと下り、ヘリコプターでルクラまで、その後は飛行機でカトマンズに戻りました。
建物があまり目立たないように、背面を松の樹木で覆い、前面は大きなガラス張りです。全室からエベレストが展望できる設計になっています。石造りのテラスや大きな薪ストーブがある広々としたレストランなど。エベレスト街道のどのロッジやホテルとは比較にならない立派なもので、正に山の盟主、エベレストを堪能するために相応しいところでした。食事の内容をカメラに収めました。茶碗蒸しやお豆腐などが食べられるとは・・・・12月15日、いよいよエベレストに別れを告げてシャンボチェ空港までのんびりと下り、ヘリコプターでルクラまで、その後は飛行機でカトマンズに戻りました。
モンジョのロッジに泊まった翌日は、予定が少し遅れてしまったために、目的地エベレストビューホテルまで一気に登って行く事に成った。8時間以上の強行軍である。
川沿いの道を更に歩くと、途中、高いつり橋があり、右岸から左岸に渡るのが怖い。最後のつり橋から一気に上りが続き、遅れ気味になって足が動かなくなり人達が数名出たので、リーダーは馬を手配して最後のホテルまで馬に乗るひとも出た。
リーダーが見えたよ!と、行った先に、ついにエベレストが見えてきた。思っていたより雪が少ない。今は乾期だから雪は少ないらしい。
昼食はナムチェバザールというトレッキングの宿泊地で有名なシェルパの里で頂く。タムセルクをはじめ高い山々に囲まれた美しい町でしばし休憩。小川の周りでは野菜を洗ったり、洗濯をしたり。コックさんは日本人の好みを良く知っており、きしめんやスパゲッティ、サラダなどが出た。
ここから急な上りをひたすら進んでシャンボチェ空港を通り過ぎ、更に上ると向こうに杉林に囲まれたエレベストビューホテルが見え、後にエベレスト3山が高くそびえていた。
昨夜テレビで世界遺産の紹介の中で、丁度今回のコースが写された。見た方もいらっしゃると思いますが、この映像よりももっとすばらしい光景が待っていました。
川沿いの道を更に歩くと、途中、高いつり橋があり、右岸から左岸に渡るのが怖い。最後のつり橋から一気に上りが続き、遅れ気味になって足が動かなくなり人達が数名出たので、リーダーは馬を手配して最後のホテルまで馬に乗るひとも出た。
リーダーが見えたよ!と、行った先に、ついにエベレストが見えてきた。思っていたより雪が少ない。今は乾期だから雪は少ないらしい。
昼食はナムチェバザールというトレッキングの宿泊地で有名なシェルパの里で頂く。タムセルクをはじめ高い山々に囲まれた美しい町でしばし休憩。小川の周りでは野菜を洗ったり、洗濯をしたり。コックさんは日本人の好みを良く知っており、きしめんやスパゲッティ、サラダなどが出た。
ここから急な上りをひたすら進んでシャンボチェ空港を通り過ぎ、更に上ると向こうに杉林に囲まれたエレベストビューホテルが見え、後にエベレスト3山が高くそびえていた。
昨夜テレビで世界遺産の紹介の中で、丁度今回のコースが写された。見た方もいらっしゃると思いますが、この映像よりももっとすばらしい光景が待っていました。
12月12日、いよいよ、トレッキングに出発。朝6時前にホテルを出てカトマンズ空港へ。7時には国内線でルクラへ出発の予定であったのに、あたり一面濃霧(盆地のため霧が多いらしい)で案内は何もなく一向に飛行機は飛びそうにない。どうやら昨日の雨のため飛行機が戻ってきてないという。昼食を済ませてやっと13時15分にチャーター機の1機目が我々を乗せて飛び立った。はるか遠くにヒマラヤの山並みを見ながら50分でルクラに到着。ところが2機目がエンジントラブルで我々の飛行機が戻ってから運んできた。残っていた人たちは9時間も待たされて疲れきっていた。予定を変更してルクラのロッジに泊まることになり、翌日ドゥードコン(白い川)の谷沿いの道を8時間かけてモンジョまで歩いた。メンバー25人に現地のスタッフ19人とヤク5頭が我々の荷物を運んでくれた。祈りが書いてあるマニ石は左側を通る。コックさんがいつも日本人好みの食事を作ってくれた。現地人の子供がかわいらしい。
仏塔を見に行った帰り、すごい交通渋滞に巻き込まれた。カトマンズの町は狭い盆地に180万人の人が暮らしており、自動車とバイク、自転車、物売りの人、歩行者などがひしめいて道路に並び、しかも信号は日本の援助で設置された10台だけで、交通規則はほとんど無視されていた。道を譲るということがなく、隙間さえあればバスの直前に入り込んくる。バスも立ち往生で身動きが取れない。
次に、ネーパール最大のヒンドウー教寺院パシューパテイナートに行ってきた。聖なるガンジスの支流バグマテイ川のほとりにあり、大きな石の火葬台が並び、木材で井桁を組んで、遺体を載せ、火葬し、遺灰を目の前の川へ流すという。信者でない私達は寺院には入れないので、対岸から見学させて貰うことになったが、折からの雨の中、荼毘に付す白い煙が垂れ込め、一種独特の異臭が立ち込め、異様な雰囲気です。なにやら白いミルクをかけている人もいました。
次に、ネーパール最大のヒンドウー教寺院パシューパテイナートに行ってきた。聖なるガンジスの支流バグマテイ川のほとりにあり、大きな石の火葬台が並び、木材で井桁を組んで、遺体を載せ、火葬し、遺灰を目の前の川へ流すという。信者でない私達は寺院には入れないので、対岸から見学させて貰うことになったが、折からの雨の中、荼毘に付す白い煙が垂れ込め、一種独特の異臭が立ち込め、異様な雰囲気です。なにやら白いミルクをかけている人もいました。
翌日、マナスル東洋50周年記念のパレードと祝賀会および式典が行われました。珍しく雨の中、交通を制限して、オープンカー2台、更に、ネパール政府の軍楽隊も参加して、パレードがありました。午後は、ハイヤットホテルで、ネパール側からは観光大臣、山岳協会の役員や、シェルパ、ガイド、日本側からは、日本大使、日本山 岳会長なども参加して記念式典及び、セミナーなどが盛大に挙行され、更に、夜は400人以上が参加してパーテイで盛り上がりました。最初に登頂を果たした故今西寿雄さんの家族も参加されていました。当時8000m級の山に登るのは並大抵のことではなく、特にマナスルは「神様の住む山」といわれていたので、ネパール住民の猛反対もあり大変苦労をされたということです。
まず、エベレストの写真をごらん頂きましょう!
そうです!「ホテルエベレストビューに泊まる」エベレスト街道トレッキングとマナスル遊覧飛行の旅!で、エベレストに連なる山々をこの目で見てきたのです。12月8日に出発し関西空港・バンコック空港を経由してネパールに入り、さまざまなカルチャーショックを経験して、18日に懐かしのニセコへ戻ってきました。今回参加したトレッキングは日本山岳会とマウンテントラベル社が「マナスル初登頂50周年特別企画」としてツアーを組んだものでした。数日に分けて報告したいと思います。カトマンズに到着してまずは目玉寺といわれるストゥーパ(仏塔)を見に行った。ヒマラヤ最古の仏教寺院(スワヤンブナート)といわれ、お参りする仏教徒が絶えない。そばにお面や象などのお土産の屋台が並んでいた。