現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

鳩を捕まえたら

2008-09-25 21:17:54 | 社会問題
桜さんから「鳩を捕まえてどうするんですか?」との質問。
さぁどうしよう、考えてません。

新聞に「鳩でお困りの方、おまかせください」の広告が
載っている。何でも興味を持つ私である。羽のある鳥を
どうやって捕獲するのか、自分なりに、あの手この手
試しているのです。

まず、パンの耳などをやって、次第に安心させ、私の
手の届く所に来るまで手なづけるのに数ヶ月。それでも
いざ手を伸ばすと、危険を察知してサッと身を翻す。
網を上にかけ、その下に鳩が来たら、つっかえをはずして
網が落ちるような仕掛けも作ったが、網が落ちる前に
飛び立つ。鳩の敏捷性は意外にすばやい。

背後から襲っても逃げられる。鳩の目は、どの範囲まで
見えているのか、気配をどう察知するのか、人の心が
読めるのか、いろいろテストしながら、知恵くらべを
している。

鳩との対決は、佐々木小次郎の“燕返し”ではないが、
石を投げられた時、通り魔に突然ナイフを向けられた時
いかにかわすかの訓練でもある。私の中の“侍の血”で
しょうかね。

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鳥の目 虫の目

2008-09-25 14:16:57 | 社会問題
『宴乃桜』さんのブログからいただき。「鳥の目で広く
先を見、危機を察知し、虫の目で現実を見て、現実を
変えていく」ということだそうだ。

なるほどなるほど、わが家のベランダに鳩が来る。
なんでも興味深々の私は、鳩の行動を監察するのが
楽しい。なんとか捕まえようと試みているが、そぉーと
近づいても 後一歩で逃げられる。この身のかわしかたは
見事だ。鳩と連日あの手この手で追っ駆けっこを繰り
広げている。

鳩で困るのは糞、まさに糞害に憤慨。ところが、4階まで
小さな蟻が上がってきて、きれいに糞を掃除していくのだ。
そういえば、公園や道路に鳩やカラスの糞は無い。蟻さんが
いなければ、糞だらけだ。 自然界の摂理に感心する。

ええと、そんなことではなく、鳥の目で邦楽界の行く先を
見、蟻の努力で、邦楽界を変えていこうという桜さん。
その気迫にいつも圧倒され、煽られる。私も同感。
邦楽界からは全く無視されている私である。邦楽界には
背を向け、一般顧客の方を向いて、私は尺八を吹いている。

9/23の能楽堂は、邦楽関係者は数人だったか。あとは尺八も
琴も始めて見聞きするという人が大半。終演後、若い10代の
きれいな3人娘に「一緒に写真撮らせてください」と云い
寄られた。男冥利に尽きる。絶好調。

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土佐と愛媛の血 桜さん

2008-09-25 13:42:03 | 筝尺八演奏家
『宴乃桜』さんのブログ、連日思いのたけをブチまけて
ど迫力、読み応えがある。歯に衣着せぬ思いっきりの
良さは、土佐の血が流れているからか。

宮尾登美子の『櫂』を思い出す。主人公の喜和(きわ)は
「竹を割ったような性格」というのに惚れて、私は長女に
「喜和」とつけたのだった。「和を喜ぶ」だが、発音は
結構きつい。子供の頃から、芯のあるきつい性格を秘め
ながら、顔は丸く明るく育ってくれた。

おっと娘のことではなく 『宴乃桜』さん。厳しい文面から
想像していたのとは全く違って、お顔はふっくら笑顔が
美しい女性でした人。桜さんからコメントをいただいていた。

なななんと、私が学生時代憧れていた日野てる子さんの
遠縁とか。明るい笑顔の雰囲気はたしかに似ている。
これも血かな。

日野てる子

2008-09-25 13:41:23 | 社会問題
ハワイアン歌手・日野てる子さんが死去(サンケイスポーツ) - goo ニュース
(これは9/20に書いたものの再掲です)


私が大学の頃、ハワイアンで一世を風靡していた日野てるこさん。
常夏の太陽のような明るい笑顔がなつかしい。63歳、ガンで
亡くなった。私と3つ違いということは、私が16歳の時、19歳で
ハワイアンの女王として活躍していたのだ。早すぎる死だが、
世に出たのも早かったのだ。人気絶頂の23歳で結婚、引退。
歌手生活はわずか3年だったが、彼女の名前と明るい顔は、
強烈に記憶に留まっている。私よりすばらしい人生を送られた。

松山出身ということで、「宴の桜」さんを思い出す。桜さんの
明るい笑顔と日野てる子さんの顔がダブる。

ところで、東映アニメの「とんちんかんちん一休さん」。
母上の名前は「日野照子姫」。実際には一休の母親の名は
判っていない。当時人気の「日野てる子」にあやかったか。
おかげで、「楠木」の血筋とする私の説は、影が薄い。

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五木寛之「親鸞」

2008-09-25 12:48:39 | 五木寛之
中日新聞の連載小説「新三河物語」が終わって、
九月から五木寛之の「親鸞」が始まった。

吉川英治の長編大作「親鸞」は小学生の頃むさぼり読んだ。
「明日ありと思う心の仇桜、夜半嵐の吹かぬものかわ」
は、私の座右の銘である。ほとんどできていないからこそ
時々脳裏を掠めるのである。

さて、さすが五木寛之である。「猛牛の対決」という
意表をつく事件から始まった。ハラハラドキドキ、この先
どうなるという期待で、ぐいぐい読む者を引き込んでいく。
演劇でも音楽会でもオープニングはかくあらん。かくある
べきと思う。

前作同様、毎日朝刊が待ち遠しい。真っ先にここを読む。

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