現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

小学生2人 山で行くへ不明

2013-05-28 10:28:06 | 社会問題
大阪の小6男女 登山中に不明 滋賀・赤坂山(産経新聞) - goo ニュース

滋賀県高島市マキノ町の赤坂山(823・8メートル)周辺で、
教諭が引率して登山中だった私立城星学園小学校(大阪市中央区)
6年生のうち男女計2人が行方不明になったというニュース。

琵琶湖の北、マキノ町なら虚無僧で行ったことがある。
追々「発見された」という朗報が はいることを祈ります。
それとともに、「教諭の引率態勢」についての批判コメントも
出るのでしょう。先生も大変でござる。

以前にも、一人行へ不明になり、未だに発見されていない。
こうした事件は後を絶たない。反省もなく繰り返される。

山登りは、危険と紙一重。人生 山あり、谷あり。それを
体験するには、山登りはよい学習だ。

私も、小学校の林間学校での山登りは、そのスリルが
また楽しい思い出となっている。雨が降り、みんなで道に迷い、
崖をよじ登ることとなった。先に上った者が落とした岩が
下の者に当たって大怪我をした。全員、岩にへばりついたまま、
身動きするのを止められた。岩が次々と落ちてくる。あの時の
恐怖は鮮明に覚えている。
その後 どうやって宿にたどりついたのかは記憶にない。

それから、安達太良山に登った時のこと。山頂まで辿りつくと、
岩ばかりで 登ってきた道がわからなくなった。霧に覆われ、
視界ゼロ。360度 どちらに降りればいいのか、下山道が見つからない。
ままよ、と降りていくと、どうやら、登ってきた道と反対側に
降りているようだ。雑木林を縫って、登ってきた道に出ようとして、
道を見失った。やがて日が落ちて、下山したのは、夜8時を
過ぎていた。山は怖い。以後、登山はしたことがない。



河野千鶴子さんの訃報

2013-05-28 10:08:36 | 地球人類の問題
「山好きの女、仕方ない」=河野さん夫、悲しみこらえ(時事通信) - goo ニュース

「三浦雄一郎」氏の快挙の報の裏で、女性登山家「河野千鶴子」さんが
ヒマラヤで雪崩に巻き込まれて死亡のニュース。

河野千鶴子さんは1946年生まれ。私より2歳上の67歳。
50歳を過ぎてから登山を始め、2004年に日本人女性として
7人目のエベレスト登頂に成功。今までに7大陸の最高峰を制覇し、
世界の8000メートル峰5座も登頂していた。

河野さんはダウラギリ(標高8,167m)の登頂を目指していという。


今 高齢者の山登りが盛んなそうだ。エベレストの途中まで
登るツアーがブームとか。私の叔父も、20年ほど前、80歳で
そのツアーに参加し、帰国後、その疲労が元で?亡くなった。
人生の最期にエベレストに登れて本望だったようだ。

三浦雄一郎 80歳の挑戦

2013-05-28 09:31:19 | 地球人類の問題
諦めなければ夢は実現…三浦さんエベレスト下山(読売新聞) - goo ニュース

子供の頃から スキーが大好きーだった私。「プロスキーヤー、
三浦雄一郎」の名は、子供の頃から知っており、憧れの人でした。
その方が、今や御年80歳。で、エベレストに登頂。
70、75歳に続いて3度目の成功。それも、76歳の時、
骨盤と大たい骨を骨折し、昨年秋には、持病の不整脈が再発して
心臓手術を受けたばかり。その病み上がりの体での挑戦。

その驚異的な回復を遂げたのには、すさまじいトレーニングが
あったとか。毎日、足首に重りをつけた登山靴を履き、背中には
20キロから30キロの重い荷物を背負って長い距離を歩いて
いたとのこと。

成功するには なにより「エベレストに登る」という大きな
目標と強い意志があったという。

三浦雄一郎氏が世界最高峰に立って見たものは、「人生、
諦めなければ 夢は実現できる。素晴らしい宝物をもらった」
「年齢に負けてはいけない。80歳はまだ、人生のスタート」と。

「あきらめないで 頑張ろう!」

(はて、私は何に挑戦しているのだろう?)