合気道の達人「塩田剛三」「植芝盛平」については
知っていたが、「合気」の創設者「武田惣角」のことは
全く知らなかった。「大東流合気道」は、現在、全国に
いくつもの派があって、その元は「会津藩士 武田惣角」に
始まるという。大東流では、「武田惣角は 新羅三郎義光を
祖とする武田家の一族で、武田家滅亡後会津に土着し、
会津藩に仕えた」と言い伝えているとのこと。
それを「池月映」氏が現地を詳らかに調査して、すべて
創り話であると論破した。私としては、伝承の真偽より、
虚無僧がその開祖を中国の「普化禅師」とし、日本に
伝えたのが由良興国寺の「法燈国師覚心」、そして
虚無僧の元祖を「楠木正勝」とする伝承を創作したのと
同じ構造であることに関心がある。世を捨てた虚無僧
でも、権威付けが欲しかったのだ。
「合気道」は、古来からの日本の武道のように思われて
いるが、「武田惣角」が たえまざる研究と鍛錬の結果、
独自に編み出した比較的新しい武術であること。
しかし、彼は“農民の出”であったから、講道館柔道の
ようには世に認められず、放浪と隠遁の生涯を終えたこと。
講道館柔道が「西郷頼母」の養子「西郷四郎」で一躍
知られるようになったことからか、また偶然か「大東流
合気術」も「西郷頼母」を利用したことが実に面白い。
知っていたが、「合気」の創設者「武田惣角」のことは
全く知らなかった。「大東流合気道」は、現在、全国に
いくつもの派があって、その元は「会津藩士 武田惣角」に
始まるという。大東流では、「武田惣角は 新羅三郎義光を
祖とする武田家の一族で、武田家滅亡後会津に土着し、
会津藩に仕えた」と言い伝えているとのこと。
それを「池月映」氏が現地を詳らかに調査して、すべて
創り話であると論破した。私としては、伝承の真偽より、
虚無僧がその開祖を中国の「普化禅師」とし、日本に
伝えたのが由良興国寺の「法燈国師覚心」、そして
虚無僧の元祖を「楠木正勝」とする伝承を創作したのと
同じ構造であることに関心がある。世を捨てた虚無僧
でも、権威付けが欲しかったのだ。
「合気道」は、古来からの日本の武道のように思われて
いるが、「武田惣角」が たえまざる研究と鍛錬の結果、
独自に編み出した比較的新しい武術であること。
しかし、彼は“農民の出”であったから、講道館柔道の
ようには世に認められず、放浪と隠遁の生涯を終えたこと。
講道館柔道が「西郷頼母」の養子「西郷四郎」で一躍
知られるようになったことからか、また偶然か「大東流
合気術」も「西郷頼母」を利用したことが実に面白い。